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進化する魂

フリートーク
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『脱「ひとり勝ち」文明論』 21世紀の予言の書

2010-10-14 12:45:17 | TV・書籍
『脱「ひとり勝ち」文明論』(清水 浩)

著者は、最高速度370km超の電気自動車「Eliica」の生みの親として知られている。
メディアにも多数出演しており、科学技術者としての認知度は相当に高い方だろう。
その著名な第一線の研究者が本を書いた。

でも、本の名前に違和感を持った。

『脱「ひとり勝ち」文明論』

科学技術者による文明論はありがちだが、たいていピンボケやトンデモが多い。
それは、往々にして科学技術者が社会構造やビジネスモデルに疎いからだと思う。
(疎いというと語弊があるが、ある価値観に偏っている場合が多いという意味に近い。)
それなのに、この本の名前は"脱「ひとり勝ち」"と、
いかにも「これからのビジネスモデルを語るぞ」という雰囲気を醸し出しているではないか。
正直言ってあまり期待できないと思った。

それでも、この本を薦める人がいたので買って読んでみたのだ。

私の傲慢さは打ち砕かれた。
科学技術者だからこそ文明論について語れるのだと理解させられた。
それも中高生が読んでも理解できるわかりやすさとともに。

この本を絶賛する書評は多い。
だが、その多くは、この本が我々に与えてくれる本質的な価値について捉え切れていない。
多くの書評はたいていこのような文句を使っている。



「この本に未来がある!」
「この本には希望がある!」
「具体的な解決策を示している!」



それは確かなのだけれども、そこがこの本のメインテーマなのではない。
「Ellica」は未来への先導役だが、それがこの本の主旨ではない。
メインテーマは、本の冒頭部分を読めばわかる。



高校生の9割が「未来は悪くなる」と予測している時代


神奈川県のある県立高校で、僕は、特別講義をやりました。
講義の冒頭で、
「これからの世の中は、良くなると思いますか?それとも、ダメになると思いますか?」
と、50人の高校生に質問してみたのです。
結果は、
「良くなる」=2人
「ダメになる」=48人
というきびしいものでした。

・・・

しばらくして、ぼくの勤務先の慶応義塾大学を志望している高校生達のために開講されたオープンキャンパスの講義の中でも、同じ質問をしてみました。結果は・・・。
「良くなる」=3割
「ダメになる」=7割
講義の終わりに、もう1回、聞いてみました。
「良くなる」=9割
「ダメになる」=1割
というふうに、ぜんぜん違う結果になりました。



この結果が示すことは何か。
著者のプレゼンテーション能力が高いということではない。
将来を悲観している高校生達が、なぜ将来を悲観しているのか。
それは、高校生達が本当の問題と、その解決方法を知らないからである。
では、本当の問題とは何で、その解決方法とは何か。
その手がかりが、この本には書いてある。
そして、それがこの本のメインテーマだ。

この本のメインテーマは、力学と電磁気学を基にした「20世紀型文明」から、
量子力学を基にした「21世紀型文明」へのシフトなのだ。
我々は数々の地球的規模の問題を前にして、
将来を悲観して「このままでは未来は暗い」と議論することが多いが、
それは20世紀型文明の下で考えるからであって、
21世紀型文明の下で考えれば、それぞれ解決可能な問題なのだ。

この本が我々に迫るのは「パラダイムシフト」なのである。
だからこそこの本は「文明論」と名を打っているのだ。

また、著者は、力学や電磁気学をベースとした文明では、
豊かさとは資源の獲得であったため、「ひとり勝ち」することが利益に直結すると考えられたが、
量子力学をベースとした文明では、そうはならないと指摘する。
量子力学を基盤にした社会では、資源のあり方そのものが変わるからだ。

さぁ、人類よ。
20世紀型文明である「ひとり勝ち文明」から脱し、21世紀型文明へシフトするのだ。

脱「ひとり勝ち」文明論 = 21世紀型文明論。


【あとがき】
ちなみに、私はこの本を最初に読み終えた時、著者の人柄が出ているなと思った。
「希望がある」「未来がある」と絶賛する書評から、きっと著者は熱い人なのだろうと想像していた。
しかし、いざ読んでみると非常に物静かな文章で、正直に言って語り上手とはいえない。
プレゼンテーション方法よりも、中身で勝負という科学技術者らしい側面を見た気がした。

先日、著者のプレゼンテーションに直接に接する機会があった。
私の予想したとおり、静かな語り口で、確かなことをさらっというタイプの研究者だった。
「一番大事なのは中身」
久しぶりに本物の科学技術者に触れた気がした。
(誤解のないようにいうと、清水氏のプレゼンは十分に上手だ。私が言いたいのは、プレゼン能力でのし上がった人ではないという意味だ)

[つぶやき] 家のテレビが壊れた

2010-10-14 10:51:20 | ブログ情報(News Release)
家の液晶テレビが壊れた。
電源が勝手に入ったり消えたりするのだが、その頻度が徐々に高くなり、ついには視聴することができなくなってしまった。

購入から4年と10ヶ月。
当時は液晶テレビの値段が1インチ1万円に届くかという時代で、今より値が張っていた。
思い入れのあるメーカーから購入したテレビであったが、
5年間の使用にも耐えられないとは、正直言って残念だ。
(確率的に"たまたま"私の買ったテレビが当たってしまったのかもしれないが)

デジタル家電の登場で耐久消費財のライフサイクルに対する考え方も変えなければならないということなのだろうか。
一般にはテレビのサイクルは7~10年と言われているが、経済産業省の調べによると、近年の製品のライフサイクルの短縮率が家電では60%になるという。
ここには、メーカーの思惑と消費者のマインドの間にギャップがあるように思う。
家電量販店で「テレビの寿命は5年間です。」などと言ってしまったら誰にも買ってもらえないだろう。
買ってくれるのは時間割引率の高い(夏休みの宿題を先送りする目先の利益追求タイプの)人々だけだ。

もし、テレビメーカーが5年間の使用に耐えればよいなどという発想で製品設計をしているのであれば、日本のテレビメーカーが製造するテレビにこれまでの価値などないということであろう。
どれだけ性能がよくても使える時間が少ないのであれば、割引現在価値はイメージよりずっと低いと思われる。
このようなイメージが一般化すればテレビの価格は新興国メーカーに近いところにもっと下落するはずだ。

残念無念だ。