超ヤバい経済学 (スティーヴン・D・レヴィット, スティーヴン・J・ダブナー, 望月 衛 (翻訳) )
訳者が同じ望月氏だからだと思うが、軽快な語り口が『ブラックスワン』と非常に似ていて妙な親密性を覚える。
内容としても、著者が主張する「経済学的アプローチ」が
タレブが『ブラックスワン』で主張する「懐疑的実証主義」と重なる部分があることもあるだろう。
「経済学的アプローチ」とは、できる限りバイアス(偏見)を排除して、
実証データや論理性に基づいて判断をしようというものだ。
そうすることで、日常見ている風景とは違うものが見えてくる。
しかし、この手の書籍の評価は難しい。
即効的な効果はあまり期待できないからだ。
「面白い話」として飲み会や世間話で使えるネタ程度の教養ものか、
それとも、読んだ人の「生き方や物事の考え方を変えてしまう」ほどの教養なのか、ということだ。
経済学を学んで、それが実際の生活に役に立つのか?という問いにも似ている。
もちろん役に立つ場面もあるし、本質的には読み手の資質にも影響されるわけで、
そういう意味では評価は読み手に任されていると言えるのだが、
この本については特に意見が分かれるだろう。
私が思うに『ブラックスワン』が評価されるのは、思想的転換を"分かりやすい形"で読者に迫るからである。
では、『超ヤバい経済学』はどうか。
私は、「新しい視点を提供してくれる書籍」と位置づけるのが良いように思う。
内容が『ブラックスワン』に比べて貧弱だとか高尚でないというのではない。
どのようなキッカケを読者に与えてくれるのかということだ。
力点の置き場所の違いと言えば、わかりやすいかもしれない。
我々が普段接するのは各種マスメディアから伝わる情報であるが、
この情報にはかなりバイアスがかかっている。
バイアスに振り回されないための心構えの重要性、
そしてそのためのツールを我々に与えてくれる書籍だ。
特に、売春ビジネスを経済学的アプローチによって焙り出す部分は、必読である。
ブラックマーケットの実態調査を進めると、意外に経済学的に説明できることが多いし、
そうすると「悪」や「善」だと考えていることも違って見えてくる。
(つまり論理的に説明できることが多い)
人間は、どこにいても最適化してしまう生き物なのである。
この書籍について、もう1つ触れておくべきことは「意図せざる結果」について力点を置いていることだ。
これも、「より大きな視点」、「より広い視点」を持つべきだという意見に換言できるが、
何かを行う時には「意図せざる結果」について考慮しておくという発想を身に着けておくことは
ついつい他人のせいにしてしまいがちな外部要因による事象について
自己責任を感化できるという意味において大変に意義深いであろう。
情緒的な人間の前に、ちょっと冷たいひとつの置石。
そんな書籍だ。
訳者が同じ望月氏だからだと思うが、軽快な語り口が『ブラックスワン』と非常に似ていて妙な親密性を覚える。
内容としても、著者が主張する「経済学的アプローチ」が
タレブが『ブラックスワン』で主張する「懐疑的実証主義」と重なる部分があることもあるだろう。
「経済学的アプローチ」とは、できる限りバイアス(偏見)を排除して、
実証データや論理性に基づいて判断をしようというものだ。
そうすることで、日常見ている風景とは違うものが見えてくる。
しかし、この手の書籍の評価は難しい。
即効的な効果はあまり期待できないからだ。
「面白い話」として飲み会や世間話で使えるネタ程度の教養ものか、
それとも、読んだ人の「生き方や物事の考え方を変えてしまう」ほどの教養なのか、ということだ。
経済学を学んで、それが実際の生活に役に立つのか?という問いにも似ている。
もちろん役に立つ場面もあるし、本質的には読み手の資質にも影響されるわけで、
そういう意味では評価は読み手に任されていると言えるのだが、
この本については特に意見が分かれるだろう。
私が思うに『ブラックスワン』が評価されるのは、思想的転換を"分かりやすい形"で読者に迫るからである。
では、『超ヤバい経済学』はどうか。
私は、「新しい視点を提供してくれる書籍」と位置づけるのが良いように思う。
内容が『ブラックスワン』に比べて貧弱だとか高尚でないというのではない。
どのようなキッカケを読者に与えてくれるのかということだ。
力点の置き場所の違いと言えば、わかりやすいかもしれない。
我々が普段接するのは各種マスメディアから伝わる情報であるが、
この情報にはかなりバイアスがかかっている。
バイアスに振り回されないための心構えの重要性、
そしてそのためのツールを我々に与えてくれる書籍だ。
特に、売春ビジネスを経済学的アプローチによって焙り出す部分は、必読である。
ブラックマーケットの実態調査を進めると、意外に経済学的に説明できることが多いし、
そうすると「悪」や「善」だと考えていることも違って見えてくる。
(つまり論理的に説明できることが多い)
人間は、どこにいても最適化してしまう生き物なのである。
この書籍について、もう1つ触れておくべきことは「意図せざる結果」について力点を置いていることだ。
これも、「より大きな視点」、「より広い視点」を持つべきだという意見に換言できるが、
何かを行う時には「意図せざる結果」について考慮しておくという発想を身に着けておくことは
ついつい他人のせいにしてしまいがちな外部要因による事象について
自己責任を感化できるという意味において大変に意義深いであろう。
情緒的な人間の前に、ちょっと冷たいひとつの置石。
そんな書籍だ。
「親密性」ってのがどういうことなのかオレにはわからないけど、
> 軽快な語り口が『ブラックスワン』と非常に似ていて
というところでややほっとしました。
コメントありがとうございます。
まさか訳者ご本人からコメント頂けると思っていませんでした。
いろんなBlogでコメントを入れているのは幾つか見ていましたが(笑)
うまく表現できないので「親密性」という言葉でお茶を濁したわけですが、
「両作品がひとつの大きなシリーズに属しているかのような親近感を感じる」という意味でした。
本文で書いたように「語り口」だけでなく「内容」との相乗効果だとは思いますが。
「既視感」とも似ているんですが、ちょっと違うんですね。
簡単に言ってしまえば「なんとなくキャラが似ている」のでしょうね・・。
「似てる芸能人いるよね。そうそう、あの人っぽい。」みたいな感じの。
私が原文を読んでいないのと、文章のディテールまでこだわって読んでいるわけではないからだと思います。
たぶん具体的に見ていけば、そんなことないのでしょうけれど、与える印象がそうなのです。
きっと。
でも、伝えたい雰囲気がそうなのだから、いいことだとは思います。
それと、「ヤバい」という邦題のセンスいいですね。
まさにそういう雰囲気が出てますよ。
あらら。なんせ、一人でやる作業なんで、完成して世に出ると人と話したくなるのです。お目汚し。
何を以って実証とするか、あるいはどんなことなら実証可能であるとするかという点は大きく異なるものの、おっしゃるとおりどちらの本も「いろんな説や理論があって、それぞれ筋が通っている、あるいは理にかなっているように聞こえる。それじゃ、どれが正しいか(ヤバ経の場合)、あるいは間違っているとは言い切れないものがあるか(タレブの場合)見てみようじゃないか」という基本スタンスですね。
いずれにしましても、お楽しみいただけたなら幸いであります。
再コメントありがとうございます。
個人で批評する方はさほどリスクを負っていませんから、あまり考えずに適当なことを言ってしまいがちなものです。
自己顕示欲というかシグナリングのようなものを無意識的に期待して、書評するよりも「読んだ」と言うことの方に重点を置く場合も多々あるような気がします。
お互いにFeedbackがある方が中身が濃くなっていいかもしれませんね(笑)
それと『まぐれ』もよかったです。
個人的に『ブラックスワン』より好きです。
(まぐれを先に読んでいるからだと思いますが)
今後の作品にも期待しています。