2020年のオリンピック開催地が東京に決まった。
状況は刻々と変化していくし、エントロピー増大の法則ではないが、モノゴトは時間経過とともに複雑化していく。
わかりやすい大きなテーマが設定されたことで、これから日本は2020年に向かって心理的にも社会的にも変化していくのだろう。
---------------------
↓このエントリで消費者心理はマクロな経済環境に影響を受けていて、AKB48を取り巻く状況も変化してるというテーマが提起され、コメント欄が賑わっていた。
お父さん応援ソング作ってほしい
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/27a5292f33a2a043820d395e85945e02
実は、↓このエントリを1年前に書いた時には、既に状況の変化を感じていた。
チーム4を組閣でいじるべきでもないし、JPN48もいらないということを、今一度説明してみる
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/32bcca4fef220cd7ac0819eb84bf620c
(これは私の感覚的な話だ。)
当Blogでのコメント欄が盛り上がるのに反比例して、アクセス数のベースは下がる一方だ。
ターニングポイントは前田敦子がAKB48を卒業する少し前くらいからだったと思う。
明らかに勢いが落ちたし、アクセスの傾向も変わった。
消費者の心理的状況は刻々と変化しているが、とりわけ大きな変化であったと思う。
以前は、何かスキャンダルが起きる度に跳ね上がったアクセス数だが、今はそれほど変化しない。
以前から述べているが、AKB48第1章の終演とともに、問題意識はAKB48から個々のメンバーに移った。
多くの人がAKB48自体への興味を失っており、AKB48コミュニティの中でさえ、AKB48全体や組織について語ることは流行らないのだ。
だから、経営陣がその社会的、心理的な状況の変化に対応しようとすること自体は自然であるし、
それゆえに、その状況に危機感を持つ私を含めたコメンテーターが当Blogで熱弁を奮うのも、当然の帰結だ。
当Blogで理念や組織に関する話題が盛り上がるということは、同時に、それだけAKB48がそこから離れていっているということでもある。
両者は表裏一体なのだ。
この状況を憂う人々が時に荒らし的に暴れまわることも同様である。
そういう意味で、下記のコメントで指摘されていることは半分正しいと思う。
-------------------
何度も言うが、この状況の中でいくら「組織を変えよう!」と叫んでも共感は得られない。
準備がないからだ。
派手な一発逆転を夢見るのは人間の性だが、いくらやっても有効な活動にはならないだろう。
今やるべきことは、明日への橋頭堡を築くことだ。
そして、それが新しい動きに繋がるように、ひそかに土壌を作り変えることだ。
「茹でガエルの寓話」を逆に利用するのだ。
その地味で地道な活動を継続すること、それが王道である。
状況は刻々と変化していくし、エントロピー増大の法則ではないが、モノゴトは時間経過とともに複雑化していく。
わかりやすい大きなテーマが設定されたことで、これから日本は2020年に向かって心理的にも社会的にも変化していくのだろう。
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↓このエントリで消費者心理はマクロな経済環境に影響を受けていて、AKB48を取り巻く状況も変化してるというテーマが提起され、コメント欄が賑わっていた。
お父さん応援ソング作ってほしい
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/27a5292f33a2a043820d395e85945e02
実は、↓このエントリを1年前に書いた時には、既に状況の変化を感じていた。
チーム4を組閣でいじるべきでもないし、JPN48もいらないということを、今一度説明してみる
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/32bcca4fef220cd7ac0819eb84bf620c
(これは私の感覚的な話だ。)
当Blogでのコメント欄が盛り上がるのに反比例して、アクセス数のベースは下がる一方だ。
ターニングポイントは前田敦子がAKB48を卒業する少し前くらいからだったと思う。
明らかに勢いが落ちたし、アクセスの傾向も変わった。
消費者の心理的状況は刻々と変化しているが、とりわけ大きな変化であったと思う。
以前は、何かスキャンダルが起きる度に跳ね上がったアクセス数だが、今はそれほど変化しない。
以前から述べているが、AKB48第1章の終演とともに、問題意識はAKB48から個々のメンバーに移った。
多くの人がAKB48自体への興味を失っており、AKB48コミュニティの中でさえ、AKB48全体や組織について語ることは流行らないのだ。
だから、経営陣がその社会的、心理的な状況の変化に対応しようとすること自体は自然であるし、
それゆえに、その状況に危機感を持つ私を含めたコメンテーターが当Blogで熱弁を奮うのも、当然の帰結だ。
当Blogで理念や組織に関する話題が盛り上がるということは、同時に、それだけAKB48がそこから離れていっているということでもある。
両者は表裏一体なのだ。
この状況を憂う人々が時に荒らし的に暴れまわることも同様である。
そういう意味で、下記のコメントで指摘されていることは半分正しいと思う。
ここにコメントしてる人達は、自分達を切り捨てられたくない顧客の立場としてしか意見が言えないのだから、運営は参考にできないのではないか。
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何度も言うが、この状況の中でいくら「組織を変えよう!」と叫んでも共感は得られない。
準備がないからだ。
派手な一発逆転を夢見るのは人間の性だが、いくらやっても有効な活動にはならないだろう。
今やるべきことは、明日への橋頭堡を築くことだ。
そして、それが新しい動きに繋がるように、ひそかに土壌を作り変えることだ。
「茹でガエルの寓話」を逆に利用するのだ。
その地味で地道な活動を継続すること、それが王道である。
◯(私が今批判しまくっている)運営は、「理念や組織について語らせること」を促していました。その証拠は、小林、濱野、宇野、中森、田原総一朗、、、。
◯ あの施策は、あえて見立てればAKBに最も乗り遅れたレイトマジョリティの40~50代おっさんをこっちの道に引きずり込む最後の刈り取り。ひいては組織全体に社会的権威を少しでも付与したいという思惑だったのでは。
◯ あの論者たちの議論は、我々にとってほとんど解明し尽くしたAKB組織の特異性を知らず理解できていないレイトマジョリティを啓蒙した。たかみな、まゆゆ、指原、横山、ぱるる、柏木といったおっさん論者らのメジャーな推しメン(面白いくらいに運営推ししかおらんな!)を試食させる意味合いはあった。けど、議論が今流行らないというなら、あの論壇全体効果発揮しなかったのですかね?
◯ 「経営陣がその社会的、心理的な状況の変化に対応しようとすること自体は自然」というのは良いですが、握手券を増刷し、握手の回転を上げることで変化に対応しているんだとすればいただけませんね。この数日で運営が打った施策は、”地方全握への投入メンの拡大”と、”個別1次3枚は1メン限り指定可”です。
その施策の私の感想は「また刷ったのか。本当にSBIと同じだな。運営の発想が北尾CEOと同じだから、そのうち子会社(支店)に対して不平等株式交換するに違いないな。」と「マクドナルド原田みたいな回転率の引上げだな。大島、みるきー、玲奈の時間あたり収益率をさらに上げる気だな」です。
※ genkiさんから握手論まだ聞いていないし、対話は終わってませんぞ
◯ 組織理念に対する議論が深まらず、個別メンにしか関心が向かわない新しいAKBの土壌って、今の”山本、渡辺その他5名程度”のNMBの土壌にそっくりですね。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/5813267ad1a4fb6ee4379aca829a953a
>あの施策は、あえて見立てればAKBに最も乗り遅れたレイトマジョリティの40~50代おっさんをこっちの道に引きずり込む最後の刈り取り。ひいては組織全体に社会的権威を少しでも付与したいという思惑だったのでは。
そうです。
本文で述べておりますが、構図は当Blogのそれと同じだと思います。
盛り上げなければならないと思って手を打つわけです。
が、それは一方で、彼らの手を借りなければならない状況でもあるということです。
(半分は単純に面白いからだと思いますが)
> 「経営陣がその社会的、心理的な状況の変化に対応しようとすること自体は自然」というのは良いですが、握手券を増刷し、握手の回転を上げることで変化に対応しているんだとすればいただけませんね。
それが良いことだとは思わない、という点について当Blogではほぼコンセンサスが得られていることですが、それが主流派になることは難しいのではないか?ということです。
つまり、こういうことです。
「運営ですら主流派ではなくなった。」
消費者心理をコントロールする力が運営にはもうありません。
それは「理念」に対する姿勢を変えた時に勝負がついているわけです。
だから、当Blog内における議論にとっても、運営にとっても、新しい橋頭堡を築くことを考えるしかない、と私は思います。
もはや巷にゴマンと存在する平凡(ジリ貧)企業の経営と、まったく一緒ですね。誰もが考える典型的な事なかれ主義、逃げの経営。そして運営・メンバー・ファン(顧客)ともに、その黙認派(消極的容認も含めて)が主流になったのだから、大枠としてはステークホルダーの方向性が合致している。それで何とかなっている。だから敢えて現状路線を変えて冒険するつもりもない。
各ステークホルダーの多数派がそうなった以上、「イノベーターとしてのAKB」は使命を終えたと同義でしょう。AKBの原動力のはずの理念やイノベーションを求める勢力が、今や「ノイジー・マイノリティ」側になった。イノベーションのムーブメントしてAKBに熱くなったファンは急激に消滅中であり、AKBにその役割を期待することをあきらめた感がします。イノベーションの欠片も感じないやり方で、AKBがイノベーションとは真逆の方向へ進むことをファンも含めて多数派の現状なのであれば、満足できる身内だけで「もう勝手にやってれば」という感じです。
今回の「TOKYO 2020」は、未来に向けた本気の理念、この日本・東京で絶対やらせてほしい、大会を成功して見せる、その熱い想いが世界に伝わる素晴らしいプレゼンだったと思います。これまでの活動の積み上げ(地力)とハートが、当初冷めていた人たちの気持ちも動かしたのではないでしょうか。AKBにエネルギーを注ぐのが虚しくなりました。日本人としてもっと大きな、「TOKYO 2020」に向けた大きな理念・テーマ・イノベーションを刺激する新しい何かに取り組んだり、あるいはそういう勢力(どんな分野でも良い)を探し、支援・応援したほうが、未来が切り開けるのではないか、そんな気分になりました。
たかがAKB、されどAKBだったのが、今の流れでは本当に「たかがAKB」になってしまいそうです。
↑訳は少し変ですが、参考にそのプレゼン全文を見つけました。
大舞台での演説としては、個人的には小泉首相の所信表明や郵政解散以来、本気の信念や理念が伝わる熱いものを感じました。
AKBもこのくらいの気持ちを伝えてほしい、AKBはそういう集団だったはずですが。
>AKBはそういう集団だったはずですが
よしりんファンさんは、主や私ともちょっと思想や主張が違うかなと思っていましたが、上の2つで違いが決定的に現れた。
今の運営を叩きまくっている私が言うのもアレですが、よしりんファンさんのこのコメを読んだ瞬間に、別のアーティストの”ヲタへの当て付けソング”の歌詞が浮かびました。秋元康もRESETみたいなメンへの当て付けと併せ、こういうヲタへのあてつけ歌詞を書いて、新公演に散りばめそうだなと。
http://j-lyric.net/artist/a000723/l000ac7.html
※私がよしりんファンさんにそう思っているという意味でなく、今の運営はそう思っていそうだという想像です
被災地の子どもは無料でやってくるAKBに感激し、劇場に通えない地方のピンチケ世代はドームツアーや全握のお約束の”会いたかった”や”ヘビーローテーション”を聞けて歓喜する。これは、たくさんのキズと屍と犠牲者の末に達成した成功で、運営にとっては今までのAKBが間違ってなかったからこそ、見れている光景です。
”そういう風に喜んでくださるたくさんのお客様のために、貢献するのが何が悪いのか?”って感じなんでしょうね、戸賀崎さんあたりは特に。イノベーションのジレンマ。
イノベーションは流血を伴う。もう血は流したくないんでしょう、運営は。
平嶋を獄門さらし首にした時のtgskの男泣きが最後の理念順守。増田やでの切腹がメン主導では最後ですかね。あれを組織として続けろというのも人道的に酷すぎるが、続けなきゃならんでしょう。
今の成功、今喜んでいるお客さんを切り捨てられませんものね(それだけじゃダメだろというのは、ここのコメンテーターの大半(全員とは言わない)の意見)。
レイトマジョリティを悦ばせるのと、イノベーター育成を完全に別物として同時並行すりゃいいのですが。
①ネ申テレビが6週に渡って(?)チーム4合宿
②AKB48 33rdシングルに「Type4」が追加発売決定
の2本でした。これ2つとも評価です。
①について
私は”研究生ゴリ推しについて”のエントリ記事で、http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/b55a64026e1922bc05c7692b4c95bf48
>ボール拾いをさせましょう。受け身を取らせましょう。素振りをさせ続けましょう。
>特別扱いしてゴリ推すなら、長嶋監督が松井秀喜にしたように、その素振りをゴリ推せばいい。
>メディア工作する金と資源を今持ってるなら、その素振りを全部映像でリアルにさらせばいい。
と提案しましたが、ようやく運営も理解した模様。
残念なのは6週やる割には、1泊2日であること。ヲタを惹きつけるような、悲壮な絵や痛々しい特訓になるのだろうか。チーム4(へ)の求心力と挙国一致を高める上で、この試行は良い。
本当は入山加藤を徹底的に鍛え直す(痛めつけた上で試練から這い上がる絵を取る)のが、”推し直し”に有効なはずなのですが。
②
「また刷ったのか」の要素も確かにある。実際に、タイプ増には、将来の全握握手券増刷に向けた布石の側面もあるだろうし、実際に将来もっと刷るのだろう。
ですが、初代チーム4のためにtype4を設定しなかったこと含めた一連の4劣後扱いが、初代4の正規チームとしての位置づけを損ない、名実ともにエセ研究生体制を固定化したという反省が運営にきっとあるだろう。
そうなら”失敗から学習する組織”となっていただく上で、必要な一歩ではないかと。徐々に昇格さすのでなく最初から16人(指導者込み)体制とするのと併せ、教訓を活かす意思は認められて、この運営ならまだ良いですよ。
主もこの2件評価するのでは?
コメントを躊躇っております(笑)
エントリーと関係ないのですが
閑話休題として。
昨日松村が120分もの生コメダを敢行しましたが、
興味深い話題がいくつもありました。
その中で軽い感じでの自己サゼスチョンですが
何と運営側に入ってみたい、的な発言が出て
軽い驚きがありました(笑)
48は長年続くグループですが、
(他アイドルグループ含)
こういう意思を対外的に示したメンバーは
過去恐らくいなかったと思います。
もちろん松村は特殊ですが、未来的には
こういう人材が現れることが
今後のグループの発展的展開へのヒントを
内包していると思いました。
お久しぶりです。
マジな議論が多くてちょっとコメントしづらいですか?(笑)
もうちょっと軽い話題も話していかないとかな。
最近また忙しくて・・なかなか手が回らない状態です。
SKE48は勢いがありますね。
反対される方もいますが、少なくとも松村を抱えることができるSKE48の強さは認めたほうがいいと思っています。
弱みが強みに変わることはよくあることで、それは弱みが視点の転換を迫るからですね。
理念のような一つの価値観を大事にしながらも、それに反しない形で他の価値観と共存できる組織的な土壌が非常に大切になるかと、思います。
新チーム4の話について。
>主もこの2件評価するのでは?
はい。
新チーム4を結成した時点で意図を理解しているつもりですので、見守る気持ちの方が強いです。
新チーム4の価値を決めるのは、新チーム4であるということを考える機会をメンバーに与えるのはよいことだと思います。
電通のやる事をやすすは止められないし、
劇場の組閣に電通は口を出さない。
つまり、お互いに失策だと思っても止める方法自体がない。
メンバーを処分するという策を打ちたいと思う人がいないから処分されないだけで、
処分しないという策を打ってる訳ではない。
というのが、私の見解。
ファンは運営の失策を批判するけど、そもそも失策という概念のない運営組織だからAKBは売れた。
過去から失策しないようにしようなどと学ぶ必要はない。
今してる事は失策というより、利の見える策が多いから醒めるのだけじゃなか。
乃木坂はライブ中、万歩計をつけて歩数ランキング発表とか、
何の意図もない企画をしてて象徴的。
ソニー役員はAKBの握手券をソニーで販売したいと思ってるはず。手数料の利益率は高い。モー娘の獲得には成功した。
でも、現場運営は、利益を出す気はない。売る気はあっても。
コンセプトがないのがコンセプト、
つまり目的がないというのは好景気下でのトップダウン組織のあり方としては正解かもしれない。バブルっぽくて楽しい。
歴史に学ぶなら、実際に48を倒しそうになった時に、48を倒すのが目的だといい始めたら終わるでしょう。
それこそ、公式ライバルというのはコンセプトではなく、電通の都合に過ぎない。
マイナビに前田敦子を、リクルートに乃木坂を、同時に売る為の魔法の仕組みなので、ソニーは忘れるべき。楽しく楽しく。
AKBは、意図のない企画をやれば良い。来年五月に長者番付を発表とか。
AKS所属のメンバーと社員の年収を全員公開すればただ単に面白い。ガチさ加減が分かる。
あと、私がエイベックスなら、京楽と太田プロと共謀して、指原を電撃脱退させる。指原をプロデューサーとするアイドルグループを結成、オーディション開催、と発表。
で、北原電撃移籍、博多メンバー決断の時、みたいな。
秋元プロデュースというネームバリューに金を払う客はいない。指原プロデュースなら、今なら採算が取れる。
この方向じゃないと、AKB的な文化は終わる。
松村じゃ無理。
トップアイドルになった者だけがガチのプロデューサーになれるというのでなければ、ありふれた話でしかない。
あと、今日、生田絵梨花のブログ読んだら、佐久間正英が親戚だって書いてあって、今年一番驚いた。
やっぱり乃木坂の方が単純に興味を引く事が多い。
私は増資しそうな企業の株は先んじて売る。そういう風に先んじてAKBから興味がなくなるけど、増資で株価が下がってもその資金で新規事業を始めるなら買う。つまり興味を持つ。
それだけなんで、乃木坂に関して興味は初期の半分ぐらい。
今はX21に興味がある。
メンバーが千人なら一人が千人と握手すればミリオン達成になる。
オスカーは所属6500人だから可能性はある。とりあえずX21はメンバー300人にする予定らしいので、実現したらAKBを本当に倒すかもしれない。
[パー→グー] と出して、自分が勝つ確率.........(1/3)*(1/3)
[パー→パー→ グー] と出して、自分が勝つ確率.........(1/3)*(1/3)*(1/3) ・・・・・・・・となるので
一人の相手にたいしてパーを出し続けて勝つ確率は
1/3+(1/3)^2+(1/3)^3+(1/3)^4+・・・・・
AKBがどういう組織か、恥ずかしながら、今さら分かってきました。
今年は松井Jが同じ型で7連勝、昨年も島崎が同じ型で6連勝 → 同じ型で連続13連勝の確率 = 1/8192
さすがにここまでくると、やらせの可能性99.988%(確率理論的にはほぼ100%)です。
石器時代からじゃんけん大会を毎年続けて、ようやく一度起こり得るかどうかの事象が現実に起こっている。
運営推しの島崎+松井Jで2年連続同じ型で13連勝、総選挙の当初は争点だったまゆゆタイアップを含めると、ぱるる・まゆゆ・松井J、運営が意図するセンター適任者3人プッシュと見事に一致。
ぱるる・まゆゆ・松井Jは個人的に3人とも推しメンだし、AKBを引っ張ってほしい人材だし、運営のゴリ推しの意図やその対象自体は支持できる。だから堂々とゴリ推してくれれば良いのに、シナリオ通りに進ませるために、ガチのイベントに託けて、有りえない確率の事象を晒すのは、いかがなものかと。そもそも、ガチやマジを前提とした理念や論議や対話そのものが、無駄なエネルギーを費やす行為だったと思うと、寂しくもあります。
でも、ここまであからさまだと、逆にすがすがしくもある。2chではないけれど、「ウソをウソと見抜ける人でないと、AKBを楽しむことは難しい」「どうかシナリオ通りのAKBプロレスを(ガチであるかのように見せますので)是非楽しんでください」ということなのですね。
再スキャンダル疑惑の峯岸も、めでたく選抜復帰。
「スキャンダルはスルー」の運営方針、メンバーの自己判断で人気を保てれば不問にする(=メンバー各自の自己責任)ということを、運営が事実上容認しているわけですから、今や恋愛禁止条例も実質「やらせ」になったということで、ガチや理念として論議や対話をする価値そのものが無くなってしまいました。
少なくとも「ガチ」や「理念」としての恋愛禁止条例の存在は、運営のやり方を見る限り、事実上旗を降ろされたと判断できましたので、ある意味、すっきりした気持ちです。
AKBの運営自体はプロレスだと割り切って楽しみ、あとは個人的な推しメンの活動を個別に楽しむ。それ以上でもそれ以下でもない。個々のメンバーとしての「ガチ」は残るだろうけれども、高校野球やオリンピックのような、理念を前提とした、組織とメンバーを繋ぐガチの物語は、もう期待できない。
社会人野球のように、企業の広告塔(チームやメンバー)とスポンサー(推しメンの握手券を買うファン)という、限定された範囲内に独立した線と線がたくさん発生するだけの、多面的拡がりや物語のないノンプロ社会人スポーツビジネスですね。
今回のじゃんけん大会での有りえない確率の事象や、最近のスキャンダルに対する運営の姿勢を見るにつけ、前田敦子の存在自体がAKBの理念そのものだったように感じました。
一連のゴタゴタを後から振り返ってみると、やはり前田敦子の卒業が大きな分岐点で、あれからAKBというグループは、本質的に変わったのだなと実感しました。
吉田豪氏の指摘を完全に支持します。
http://n-knuckles.com/serialization/yoshida/news000430.html
言われることは分かりますよ。
千代の富士はかなりの八百長があったことは暗黙の事実になっていますが、対戦相手も「まともに闘っても勝てないし、万一勝ってしまっても気まずい関係になるから、せっかくならカネに変えて負けた方がマシ」「勝つと申し訳ない気がして、負けた方がマシだと思えた」として、星を売ったり、その存在を感じただけで八百長でなくとも負けていたという多くの逸話。それだけ千代の富士の存在は大きかったことを示すものです。
また、王や長嶋の全盛期には、あきらかなストライクゾーンであっても、堂々と見逃せば、そのオーラに飲まれて、審判も思わず「ボール」と判定してしまった、という逸話も多くあります。
そういうのも含めて、ガチといえばガチの楽しみ方でしょう。それは全然ありだと思うし、スポーツに限らず、そういう楽しみ方をすることは多いです。
ただ、AKBの近年の一連の流れの中で、今回のような事象がさらに上塗りされても、その前提や土台となるガチが共感を得にくくなっている状況で、例に挙げた千代の富士や王・長嶋の事例のような、「八百長かどうかを問うのは愚問」「そういう観点や次元では語れない超人たちの繰り広げる世界を楽しむ」という気持ちになれるかといえば、Nonです。
「そういう観点や次元では語れない超人たちの繰り広げる世界を楽しむ」境地まで至れるかどうか。やはりNonです。
例えば、総選挙1位で指原に対する支持が割れたのも、支持側とすれば、スキャンダルが許されたかどうかとか、恋愛禁止条例がどうかとかの次元を超えた別の文脈、捨て身の活動や怪物的要素に共感や陶酔できる人と、しらけ側とすれば、活動自体は高く評価できても、文春以来スキャンダルのネタ化に幻滅し、AKBファンとしての危機感のほうが上回る人では、相容れないのは仕方ないでしょう。
じゃんけん大会の松井Jにしても総選挙の指原にしても、「八百長だの恋愛禁止条例だのの観点や次元では語れない超人たちの繰り広げる物語や世界に酔える」という気持ちは理解できるけれども、個々のメンバーに対する気持ちと、AKBファンとしての気持ち(視点)は、リンクはしていても別の問題で、釈然とはしませんね。
松井Jは今回のチャンスを活かして、茨の道であっても、今後は真の意味でAKBグループを背負ってほしい。彼女は、心から応援しています。
また今回もヤラセかよ、もうすべての企画がヤラセだろ、AKBはどんどん胡散臭いグループになってるわ、つまんねーなAKBはくだらねーな、って気持ちになる人が多いなら、失敗。
「モンスターたちが繰り広げる超次元的な究極の美への陶酔・境地」は、組織のガチや信頼に対する裏打ちがあるからこそ、たとえ作られたメニュー(ネタ)さえも、ガチとして活かせる。ネタもガチのシナリオの一要素という物語に組み込まれ、ファンも本気になれる。でもさすがに近年のAKBは、組織として共感できるガチ要素や信頼の裏打ちを、ある面で意図的に裏切って崩しておきながら、作られたメニューばかりを次々提供されては、やることなすことが胡散臭く伝わり、逆効果になる。共感できない層・冷めていく層が、決して少なくない割合で存在することは事実だと思います。ガチの信頼や裏打ちが崩れていく組織がどんな優れたシナリオを描いても、その物語を美と感じて陶酔することは、一部の信者を除いて難しい。
松井Jほどのセンターに相応しい優れた人材の晴れ舞台が、「じゃんけんの奇跡」という超次元的究極美の物語として陶酔できる層を取り込むメリットや、そこから拡張する物語よりも、組織に対して冷めたファン層の捌け口として(本来運営に向けられるべき)攻撃の標的対象として晒し者にされるデメリットのほうが大きいようであれば、悲しい。松井Jはファンと一緒に、それを乗り越えなければならない立場。かつて前田敦子に向けられた攻撃は凄かったけれど、その頃はAKB組織に対する「ファンのガチの想い」があったからこそ、団結して大島優子というとんでもない対抗モンスター物語を生み出して、組織もメンバーもファンも拡張させることができた。AKB組織に対するファンのガチやパワーが、そうさせた。SKEは松井Jに対する松井Rという怪物を生み出せたけれど、今のAKBはセンターポジションでさえ、組織に冷めたファンの攻撃の恰好の捌け口・晒し者にされるばかりで、かつてのような「AKBの未来の物語は俺たちファンが創るんだ」という本気の団結パワーに乏しく、それ故、そこから拡がる物語が創成されなくなった悲しさがある。
あやりん解雇・再合格にしても、米平騒動にしても、増田の辞退にしても、峯岸坊主にしても、少なくとも前提に(たとえ幻想であったとしても対外的には)「恋愛禁止条例はガチ」という暗黙の前提・信頼関係・裏打ち・共有認識があったからこそ、彼女たちの物語にガチの価値を見出せた面も大きいわけで、「恋愛禁止条例はガチではなかった」という共有認識であるならば、組織のガチばかりでなく、彼女たちの物語すらガチの陶酔が薄れ、魔法が解け、逆効果で胡散臭くなってしまう。組織が積み上げてきたガチの信頼や裏打ちが崩壊していれば、確率論的には有りえない島崎や松井Jの同型での2年連続の連戦連勝が、先に例に挙げた千代の富士や王・長嶋のような、八百長やヤラセとは別次元での「モンスターたちが繰り広げる超次元的な究極の美への陶酔・境地」に達する前に、組織に対する胡散臭さ、信頼崩壊に心が傾き、そちら側の心理に負かされてしまう。「組織に対してファンを本気にさせる信頼の裏打ち」と「個々メンバーが持つガチとファンの支持・共感」のベクトルが相互リンクし難くなっているから、物語に本気で酔えずに酔いから覚めてしまう連鎖の悲しさがある。次作のこじはるセンターも、長年の功労者に対する花向け、篠田・板野・秋元の卒業で彷徨うファン層への慰め、さらに主力メンバーの複数卒業発表は有りえるかもしれませんが、それ以上の意味があるかは不明。それが今のAKBなのかもしれません。松井Jこそは、島崎やまゆゆでさえも越えられなかった壁を越えて、未来のAKBグループを創り出す存在にさらに成長することを期待、託したいですが、ファンに本気でその土壌を作るモチベーションが育たないと、バラバラなベクトルが足を引っ張り合うだけの連鎖で終わってしまうでしょう。
「モンスターたちが繰り広げる超次元的な究極の美への陶酔・境地」、AKB発足からブレイク、そして前田敦子と大島優子の物語、たかみなのガチ、神7の神話や魔法、恋愛禁止条例に絡むこれまでの一連の物語は、組織に対して「AKBはガチという信頼の裏打ち」があったからこそ、作られたシナリオであったとしても、ファンは超次元的な世界の魔法に本気で陶酔できたと思っています。AKBはガチであるという前提、信頼の裏打ちがなければ、恋愛禁止条例やじゃんけん大会、リクアワ、下手したら総選挙さえも、胡散臭いイベントに成り下がると思います。主力メンバーの卒業連鎖を機にスタッフ・メンバーを総シャッフルするくらいの大胆な構造改革を行うでもしない限り、ファンに組織としてのガチは示せないかもしれません。