※ネタバレ注意!

ジブリの最新作『風立ちぬ』を観てきた。
あえて何の予備知識も持たず、前評判も聞かず読まず、期待もせず行ったのだが、観て驚いた。
映画として恐ろしく出来が良い。
観ている途中でジブリ映画であることを忘れてしまった。
宮崎駿の作品とは思えない。
宮崎駿自身が主張しているように、ジブリは「子供向けファンタジー」を得意とする会社なので、その観点でこの映画を「ジブリ的映画」として考えると様々な意見があるところだと思うが、「ジブリ」を外して「映画」として観たときの完成度の高さは、これまでのジブリ作品と比べるとかなり異質だ。
宮崎駿の本意ではないかもしれないが、ジブリの作品の中で最高傑作と言っても過言ではない。
ネットでは『風立ちぬ』を酷評する意見が散見されるのだが、私は真逆の感想を持った。
『風立ちぬ』を作る力があるのであれば、宮崎駿はまだまだやれる。
私は↓のエントリでディズニーとジブリを対比して、ジブリの強みを説明しているのだが、『風立ちぬ」はこういった浅知恵を一蹴している。
ジブリ映画の真髄
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/f518a1811df47cdc3743c10c3da6f879
確かに『風立ちぬ』は、これまでのジブリの人気作品のように子供向けファンタジーではない。
だが、それゆえジブリの実力がよくわかる。
喩えるなら「ピカソ」だ。
ピカソは高い写実能力を持ちながら、キュビズム的絵画を描く。
ジブリは『風立ちぬ』を創る能力を持ちながら、子供向けファンタジーを創るのだ。
また、「宮崎駿の自己満足」という批判もネットで散見されるが、私はこれについても逆の印象を持った。
ファンタジー系の作品では「伝えたいイメージ」を「イメージで伝える」という手法が作品中で常に先行しているが、『風立ちぬ』は実話を土台にした作品なだけに、叙述的でありながら物語の骨格はしっかりしている。
ファンタジーとは異なり物語の世界観に解釈の余地があまりない分、「宮崎駿の自己満足」どころか、物語はかなり抑制的、理性的に描かれている。
むしろ、そのような理性的な内容の中に、よくもこれだけ違和感なくファンタジー的要素を入れ込んだなと感心するばかりだ。
実話を土台としているため物語の世界観が骨太となっており、その分ファンタジー要素の組み込みが難しくなるのだが、宮崎駿は「二郎の夢」という形で非常に巧みに、現実とファンタジーを驚くほど違和感なく接続している。
この絶妙なバランス感覚で、厳しい時代において夢語る姿を表現する難しさを、爽やかに乗り越えていると感じた。
この部分で、ジブリはシナリオを作りこむ力があることを立証していると言っても過言でない。
これは完全に私の妄想だが、ケイパビリティ(組織能力)という観点では、ディズニーはジブリを作ることはできないが、ジブリはその気になればディズニーの作品を作れるがあえてやらないという話さえ成立すると思えてしまうほどの恐るべき力だ。
最後に、この作品のキャッチコピーである「生きねば」について触れておきたい。
作品の中で「生きねば」は唐突感のある使われ方をしているので、どう解釈するべきなのか難しいと感じる人が多いのではないかと思うが、これは物語全体を理解しなければならない。
この言葉は作中にも出てくるポール・ヴァレリイの詩中の「風立ちぬ、いざ生きめやも」からの引用で、意味は「生きようじゃないか」「生きることを試みなければならない」といったもののようだ。
しかし、宮崎駿は「風立ちぬ、生きねば」としている点に注目したい。
宮崎駿は「風立ちぬ、生きねば」を映画全体を貫くコンセプトとし、作中の様々な場面でそれを表現している。
これこそが宮崎駿が映画に込めたメッセージなのだ。
Wikipediaによれば、『風立ちぬ』が映画化されるに至った経緯は次のようなものだという。
鈴木敏夫が映画化を提案したが、宮崎は本作の内容が子供向けでないことを理由に反対していた。宮崎は「アニメーション映画は子どものためにつくるもの。大人のための映画はつくっちゃいけない」と主張していたが、鈴木は戦闘機や戦艦を好む一方で戦争反対を主張する宮崎の矛盾を指摘し「矛盾に対する自分の答えを、宮崎駿はそろそろ出すべき」と述べて映画化を促した。
そして、宮崎駿は製作意図について、下記のように説明したと言う。
この映画は戦争を糾弾しようというものではない。ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない。自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである。
この映画には、宮崎駿の答えが明確に描かれている。
まず、最初に認識しておくべき前提は「人生に予め与えられた意味などない。」ということだ。
『風立ちぬ』は堀越二郎という男の人生を描いている。
人生の意味を問う作品ではない。
しかし、人生に風は吹く。
夢の中にカプローニが何度も出てきてはこう言う。
風は吹いているか?
人生は意味を与えてはくれない、しかし風は意味を問うてくる。
作品中で、とても印象的に描かれているのが、風によって飛ばされる帽子、パラソル、紙飛行機であり、それを時に身を危険にさらして掴もうとする二郎と菜穂子の姿である。
風が吹けば、人は動く。
人が動けば、そこに何らかの意味は生まれるだろう。
どういう意味を生み出すのか、風があなたに意味を問うているのだ。
そして、人はその意味が為に生きる。
人生に予め与えられる意味などないが、生きるということはそういうことなのである。
これが宮崎駿の答えだ。
飛行機に憧れた男が戦争の時代に戦闘機を作ることに情熱を傾けるのも、結核で余命の限られた女性を愛し妻とするのも、風が立ったからだ。
ヴィクトール・E・フランクルの名言を思い出す。
あなたが人生に意味を問うのではなく、人生があなたに意味を問うているのだ。
風が吹くならば、生きねばなるまい。
これは、これまでのファンタジー系の作品に込められたメッセージとは大きく異なると思う。
しかし、同じ宮崎駿の作品であるにも関わらず作品間でメッセージに矛盾が発生していても、何ら不思議ではない。
「生きる意味とは何か?」と、子供に問われた時と大人に問われた時で、答える内容は異なるだろう。
子供向けのファンタジーと、この『風立ちぬ』に込められたメッセージが異なったとしても、ある意味で当たり前なのだ。
さて、今日も生きていくか。
風立ちぬ、生きねば。
この最後の唐突感は映画と同じ

ジブリの最新作『風立ちぬ』を観てきた。
あえて何の予備知識も持たず、前評判も聞かず読まず、期待もせず行ったのだが、観て驚いた。
映画として恐ろしく出来が良い。
観ている途中でジブリ映画であることを忘れてしまった。
宮崎駿の作品とは思えない。
宮崎駿自身が主張しているように、ジブリは「子供向けファンタジー」を得意とする会社なので、その観点でこの映画を「ジブリ的映画」として考えると様々な意見があるところだと思うが、「ジブリ」を外して「映画」として観たときの完成度の高さは、これまでのジブリ作品と比べるとかなり異質だ。
宮崎駿の本意ではないかもしれないが、ジブリの作品の中で最高傑作と言っても過言ではない。
ネットでは『風立ちぬ』を酷評する意見が散見されるのだが、私は真逆の感想を持った。
『風立ちぬ』を作る力があるのであれば、宮崎駿はまだまだやれる。
私は↓のエントリでディズニーとジブリを対比して、ジブリの強みを説明しているのだが、『風立ちぬ」はこういった浅知恵を一蹴している。
ジブリ映画の真髄
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/f518a1811df47cdc3743c10c3da6f879
確かに『風立ちぬ』は、これまでのジブリの人気作品のように子供向けファンタジーではない。
だが、それゆえジブリの実力がよくわかる。
喩えるなら「ピカソ」だ。
ピカソは高い写実能力を持ちながら、キュビズム的絵画を描く。
ジブリは『風立ちぬ』を創る能力を持ちながら、子供向けファンタジーを創るのだ。
また、「宮崎駿の自己満足」という批判もネットで散見されるが、私はこれについても逆の印象を持った。
ファンタジー系の作品では「伝えたいイメージ」を「イメージで伝える」という手法が作品中で常に先行しているが、『風立ちぬ』は実話を土台にした作品なだけに、叙述的でありながら物語の骨格はしっかりしている。
ファンタジーとは異なり物語の世界観に解釈の余地があまりない分、「宮崎駿の自己満足」どころか、物語はかなり抑制的、理性的に描かれている。
むしろ、そのような理性的な内容の中に、よくもこれだけ違和感なくファンタジー的要素を入れ込んだなと感心するばかりだ。
実話を土台としているため物語の世界観が骨太となっており、その分ファンタジー要素の組み込みが難しくなるのだが、宮崎駿は「二郎の夢」という形で非常に巧みに、現実とファンタジーを驚くほど違和感なく接続している。
この絶妙なバランス感覚で、厳しい時代において夢語る姿を表現する難しさを、爽やかに乗り越えていると感じた。
この部分で、ジブリはシナリオを作りこむ力があることを立証していると言っても過言でない。
これは完全に私の妄想だが、ケイパビリティ(組織能力)という観点では、ディズニーはジブリを作ることはできないが、ジブリはその気になればディズニーの作品を作れるがあえてやらないという話さえ成立すると思えてしまうほどの恐るべき力だ。
最後に、この作品のキャッチコピーである「生きねば」について触れておきたい。
作品の中で「生きねば」は唐突感のある使われ方をしているので、どう解釈するべきなのか難しいと感じる人が多いのではないかと思うが、これは物語全体を理解しなければならない。
この言葉は作中にも出てくるポール・ヴァレリイの詩中の「風立ちぬ、いざ生きめやも」からの引用で、意味は「生きようじゃないか」「生きることを試みなければならない」といったもののようだ。
しかし、宮崎駿は「風立ちぬ、生きねば」としている点に注目したい。
宮崎駿は「風立ちぬ、生きねば」を映画全体を貫くコンセプトとし、作中の様々な場面でそれを表現している。
これこそが宮崎駿が映画に込めたメッセージなのだ。
Wikipediaによれば、『風立ちぬ』が映画化されるに至った経緯は次のようなものだという。
鈴木敏夫が映画化を提案したが、宮崎は本作の内容が子供向けでないことを理由に反対していた。宮崎は「アニメーション映画は子どものためにつくるもの。大人のための映画はつくっちゃいけない」と主張していたが、鈴木は戦闘機や戦艦を好む一方で戦争反対を主張する宮崎の矛盾を指摘し「矛盾に対する自分の答えを、宮崎駿はそろそろ出すべき」と述べて映画化を促した。
そして、宮崎駿は製作意図について、下記のように説明したと言う。
この映画は戦争を糾弾しようというものではない。ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない。自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである。
この映画には、宮崎駿の答えが明確に描かれている。
まず、最初に認識しておくべき前提は「人生に予め与えられた意味などない。」ということだ。
『風立ちぬ』は堀越二郎という男の人生を描いている。
人生の意味を問う作品ではない。
しかし、人生に風は吹く。
夢の中にカプローニが何度も出てきてはこう言う。
風は吹いているか?
人生は意味を与えてはくれない、しかし風は意味を問うてくる。
作品中で、とても印象的に描かれているのが、風によって飛ばされる帽子、パラソル、紙飛行機であり、それを時に身を危険にさらして掴もうとする二郎と菜穂子の姿である。
風が吹けば、人は動く。
人が動けば、そこに何らかの意味は生まれるだろう。
どういう意味を生み出すのか、風があなたに意味を問うているのだ。
そして、人はその意味が為に生きる。
人生に予め与えられる意味などないが、生きるということはそういうことなのである。
これが宮崎駿の答えだ。
飛行機に憧れた男が戦争の時代に戦闘機を作ることに情熱を傾けるのも、結核で余命の限られた女性を愛し妻とするのも、風が立ったからだ。
ヴィクトール・E・フランクルの名言を思い出す。
あなたが人生に意味を問うのではなく、人生があなたに意味を問うているのだ。
風が吹くならば、生きねばなるまい。
これは、これまでのファンタジー系の作品に込められたメッセージとは大きく異なると思う。
しかし、同じ宮崎駿の作品であるにも関わらず作品間でメッセージに矛盾が発生していても、何ら不思議ではない。
「生きる意味とは何か?」と、子供に問われた時と大人に問われた時で、答える内容は異なるだろう。
子供向けのファンタジーと、この『風立ちぬ』に込められたメッセージが異なったとしても、ある意味で当たり前なのだ。
さて、今日も生きていくか。
風立ちぬ、生きねば。
この最後の唐突感は映画と同じ
さすがです。
他の識者の批評とまるで視点が違う(笑)
実は私何も感じなかった方です。
こんなんだから何処いってもだめなんですね私は。。
AKBとは違う話題でも主さんは主さんなんですね。
感心しました。
すみません、それだけです(^^;
ブログを書いてから様々な批評を読んだのですが・・自分と異なる意見が多くて逆に驚きました。
酷評の嵐なのですね・・意外です。
言いたいことはいっぱいあるのですが、やめときます(笑)
あっ、やっぱり一つだけ。
戦争の悲惨な部分を描写しなかったことについて批判している人たちに言いたいことがあるのです。
そういう人たちの方が、その時がきたら戦争を美化して猛進すると思う、と。
戦争を特別なものだと考えているから。
戦時中だって人々は生活をしていたわけです。
戦場で死んだ人たちもいれば、爆撃で死んだ人もいるけど、大多数の人たちは厳しい状況ながらも生活してたわけで、そういう時代、人々は何を見て、何を想い、どう生きたか、戦争の悲惨さを知ることも大事だけど、それだけじゃ片手落ちでしょ。
と、思っちゃいますね。
あぁ、ちょっとグダグダですね。
でも物語の骨組みがしっかりしてるぶんだけ製作者の意図に気付けないと駄作呼ばわりされちゃうわ。
私は完成度の高い素晴らしい映画だと思ったので、世の中で駄作呼ばわりされている理由がわかっていません。
是非ご教授いただければ嬉しいです。
ジブリ映画の真髄という記事で、
トトロなどジブリ映画のほとんどは叙述的だという内容も拝見しました。
私は、ナウシカには物語を通じて伝えたい製作者のメッセージが明確にあり、それを示すシーンが存在すると考えていました。
しかし、トトロは何度みても物語に込められたメッセージが明確にないように感じますが、純真さのイメージを全体を通して感じました。
ジブリ作品には基本的に伝えたいことというものはないのでしょうか?