よしりん先生の登場です!
HKT48宮脇咲良のぐぐたすに感動した。(ゴー宣道場)
https://www.gosen-dojo.com/index.php?action=pages_view_main&active_action=journal_view_main_detail&post_id=2323&comment_flag=1&block_id=13#_13
秋元康は総選挙の順位は
参考に留めるだけで、
誰をどう売り出すかは
自分のカンを信じて決断を下す。
それで良いのだ。
顧客にとって最善の企業であろうとし、その時点で考え得る最高の手を打つことによって、企業は滅ぶ。
愚かさによってではなく、誰よりも合理的であらんとして、その優秀さゆえに滅ぶ。
なぜなら、時が経てばあらゆることが変わるからだ。
時代が変われば顧客は変わる。
今日の顧客と明日の顧客が同じものを求めているとは限らない。
5年前の2008年の7月の時点では、尖閣諸島で漁船は追突していないし、iPadは発売されていないし、3.11東日本大地震は起きていないし、AKB48はキングレコードにまだ移籍していなかったし、オリコン1位をとったことがなかったし、選抜総選挙もまだやっていなかった。
(NHK紅白には出たことがあった。2007年に「アキバ枠」で。)
環境はぐるぐる目まぐるしく変わる。
世の中に意図した通りに進むことなど、ほとんどない。
この世界は、意図せざる結果に溢れている。
しかし、意図せざる世界だからこそ、進歩がある。
企業が利益を上げることができるのは、市場が不完全だからだ。
市場には、新しい商品やサービスがどのくらいの価値があるのか判断をする能力はない。
もちろん、その意思もない。
顧客は、5年後自分が何を求めているのか、という点について答えを持っていないのだ。
だが、この不確実性を利用して企業家は利益を得ることができる。
企業家が新しい商品やサービスによって利益を得るのは、リスクを負う覚悟に対する報酬ではなく、不確実性を利用する能力で「顧客の創造」を行うからだ。
それゆえ、企業家は、今の顧客に最善であろうとしながら、それとは別に明日の顧客を創り出すという、二兎を追わなければならない。
修羅場を乗り越えていくには、阿修羅の三面六臂のように、複数の顔を持たなければならない。
HKT48宮脇咲良のぐぐたすに感動した。(ゴー宣道場)
https://www.gosen-dojo.com/index.php?action=pages_view_main&active_action=journal_view_main_detail&post_id=2323&comment_flag=1&block_id=13#_13
秋元康は総選挙の順位は
参考に留めるだけで、
誰をどう売り出すかは
自分のカンを信じて決断を下す。
それで良いのだ。
顧客にとって最善の企業であろうとし、その時点で考え得る最高の手を打つことによって、企業は滅ぶ。
愚かさによってではなく、誰よりも合理的であらんとして、その優秀さゆえに滅ぶ。
なぜなら、時が経てばあらゆることが変わるからだ。
時代が変われば顧客は変わる。
今日の顧客と明日の顧客が同じものを求めているとは限らない。
5年前の2008年の7月の時点では、尖閣諸島で漁船は追突していないし、iPadは発売されていないし、3.11東日本大地震は起きていないし、AKB48はキングレコードにまだ移籍していなかったし、オリコン1位をとったことがなかったし、選抜総選挙もまだやっていなかった。
(NHK紅白には出たことがあった。2007年に「アキバ枠」で。)
環境はぐるぐる目まぐるしく変わる。
世の中に意図した通りに進むことなど、ほとんどない。
この世界は、意図せざる結果に溢れている。
しかし、意図せざる世界だからこそ、進歩がある。
企業が利益を上げることができるのは、市場が不完全だからだ。
市場には、新しい商品やサービスがどのくらいの価値があるのか判断をする能力はない。
もちろん、その意思もない。
顧客は、5年後自分が何を求めているのか、という点について答えを持っていないのだ。
だが、この不確実性を利用して企業家は利益を得ることができる。
企業家が新しい商品やサービスによって利益を得るのは、リスクを負う覚悟に対する報酬ではなく、不確実性を利用する能力で「顧客の創造」を行うからだ。
それゆえ、企業家は、今の顧客に最善であろうとしながら、それとは別に明日の顧客を創り出すという、二兎を追わなければならない。
修羅場を乗り越えていくには、阿修羅の三面六臂のように、複数の顔を持たなければならない。

秋元康がカンによる決定をせよという意味で
小林よしのりを支持するという趣旨に理解しました。
今のファンの多数は、今の体制では、合理的には兒玉宮脇を支持しているとしても。
今のファンが何を言おうと、秋元康は秋の本店シングルに田島芽瑠センターを鮮烈に打ち出すのでしょう。
ダブルセンターの相方は、あの時へのセルフオマージュ重視であれば、松井珠理奈。
純血生え抜き主義を重視すれば、島崎遥香。
今の運営の保守さ加減からすれば、スリートップかもしれないし、フォートップかもしれないが、まゆゆは政治的にもう単独センターの芽はない。選抜に宮澤はないし、それがなければ高城もない。北原は選抜としては終わった。
何より、武道館【まゆゆぱるるユニット】、研ユニ、HKT2nd、福岡ドーム【ぱるる玲奈ユニット】の起用法からすれば、田島センターは確実でしょう。
16人選抜では初として川栄と入山+もう一人を確実に投入。
田島J島崎まゆゆ大島高橋横山指原柏木小嶋R山本みるきー川栄入山+X
今のファンをある程度残しながら、次のファンを創造するしか、第二章はないのかもしれませんね。
自分がついて行けるか、擬似新規として惹き込まれるかどうかわからない。
けど、秋元康の思考を読めるように、主さんの視点の意味がわかるように、チャレンジしてみます。
決定されたものの良し悪しを判断しようとするつもりは今回のエントリでは述べていなくて、「やすす先生が5年後のAKB48に責任を持たなかったら誰が持つのか?」ということを言いたいのです。
利益が欲しくてAKB48に近づいてくる人々は、AKB48から利益を得ることができなくなったらすぐ去っていきます。
極論を言えば、AKB48のスタッフでさえ仕事がなくなったら転職すればよいのです。
真剣に5年後のAKB48について考えることができるのは、「AKB48」を自分のコトとして考えることができる人だけです。
5年後のAKB48のことを考えた時、今のファンには理解できないこと、嫌われることもしなければならないこともあるでしょう。
モノゴトを動かそうと引っ張れば、その力の一方に安定する力が必ず働きます。
この「引っ張る力」と「安定する力」をうまく調和させて「動かす力」に変えていくことが大事です。
逆に言えば、そういったAKB48を自分のコトとして考えることができる人を、立場に関係なく増やしていくことも重要です。
そうすればよりよい動かす力が得られます。
スタッフかもしれないし、メンバーかもしれないし、ファンかもしれません。
この対談のソース探していた時に、偶然これ見つけたんですがご存知でしたか?政府は訴求力がないので、ヲタやファンにすら知られていないんじゃないかと、念のため貼っておきます
http://www.mof.go.jp/public_relations/finance/201306g.pdf
(対談)
秋元「メンバーよりも、スタッフに。僕も放送作家としてやってきたから分かるんだけど、『どこまで時間を掛けられるか、24時間、AKBのことだけを考える』ってことをどこまでできるかってことなんですよ」
田中「うん」
秋元「でも、みんなそれは会議室を一歩出たら、ガールフレンドに電話したりするし。それが許せないんだよね」
田中「それは厳しいわ」
秋元「それが多分」
太田「嫌われる」
秋元「そうそう。嫌われる」
>>そういったAKB48を自分のコトとして考えることができる人を、立場に関係なく増やしていく
秋元氏はそれをどの程度描いているのか(描く気があるのか)、読めないですね。AKBはどうなるのか、まったく読めない。
AKBファンはどんどん去り、ファン層も「個々のメンバーのファンの寄せ集め所帯」になりつつある。
推しメンを自分のコトのように考えているファンは残っても、AKBを自分のコトのように考えているファンは、どんどん去っている。
そんな中で、よしりんはAKB48を自分のコトのように考えてくれてるファンとして、心強い。
言葉ジリだけそのまま受け取ると時に過激に見えるその裏に、AKBへの敬意と懸念、メンバーに対する愛情や期待が透けて見える。
ここのブログとよしりんがAKBを見捨てた時、それはAKBの事実上の終焉とイコールのようなものですね。