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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

試される国家戦略局 ~がんばれ菅直人~

2009-10-16 23:19:14 | 政治
概算要求でよみがえる「美濃部都政」の悪夢(池田信夫)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/666c1515ce8a199bb5271550a1e028a0

概算要求の混乱にみる「国家戦略」なき鳩山政権(池田信夫,ニューズウィーク)
http://newsweekjapan.jp/column/ikeda/2009/10/post-71.php

(今更いうまでもないが)
池田信夫氏が民主党の戦略の無さを指摘している。
民主党に国家戦略などないのは以前から周知の事実であるが、それでも私は個別の戦闘能力に期待する面があった
(私は民主党の長期政権に期待をもっていない。あくまでも日本の政治の進化のために必要な一つのステップとして捉えている。)
ところが、個別の戦闘ですら既に敗走し始めているというではないか

補正凍結、閣議決定へ 「査定大臣」戦績は?(NIKKEI NET)
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20091016AT3S1502J15102009.html

これは一面的な情報でしかないが、こういうのを見るにつけ民主党の勘違い議員にがっかりする
いまのところ鳩山内閣の大臣でまともなのは前原国交相と岡田外務相くらいじゃないか。
批判もあるが、前原氏は就任早々から民主党の公約通り、投資効果の低い事業をぶった切っている。
こうなったら後は藤井財務相と菅国家戦略局担当相に期待するほかないようだ。
彼らに予算要求を蹴ってもらう他あるまい。
何を勘違いしてんだいお前ら!」と。
(時間がないと言い訳するに決まっているのだが。)

藤井財務相、概算要求「このままじゃまずい」(NIKKEI NET)
http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20091016AT3L1607616102009.html


これは極めて当たり前のことだけれども、
誰にも損失を出さないまま削れる予算なんて皆無に決まっている。

予算を通すには財務省のチェックも通るし、
ただでさえ財政赤字を垂れ流しているから、明らかに無駄な予算は存在しえない。
どんなに投資効果の低い予算にも、かならずもっともらしい名目がついている。
その名目の文脈作成技術は官僚の得意分野である。


ゆえに「査定大臣」の意味は「無駄を削れ」ということでは有り得ない。
民主党の重点政策に税金を振り分けるために、
全体最適の観点から投資効果の低いものについては優先度を下げて切り捨てろという意味だ。


どの予算も誰かにとって必要なのは初めからわかりきっていることだ。
その誰かに損失をもたらす可能性があるから、切れないというのなら、査定大臣失格である。
鳩山首相はそのような大臣を早々に辞めさせたらいい。
いや、このような状況に対抗するための国家戦略局だったかな。
予算の枠組みを決める役割だったな。
さてさて、菅直人に期待してみよう

自民党のために自民党は補選に負けた方がよい

2009-10-16 00:10:16 | 政治
小沢・鳩山民主党に勝てる自民党の再生はこれしかない(天木直人)
http://www.amakiblog.com/archives/2009/10/15/#001506

当Blogでも主張してきたように、短期的には自民党が今の延長線上で民主党に勝てる見込みはない。
(当Blogでは河野太郎と小泉進次郎を推している。)
民主党が来年の参院選までに大失点をする以外の方法は、自民党が解党的出直しをすることぐらいしか思いつかない。


 自民党の再生は国民の8割が望んでいる事だ。それができる政治家として今誰がいるというのか。
 親ばか小泉純一郎が、次男進次郎の下に有能な人材を結集させ、小沢・鳩山民主党に参院選で挑戦することしかないだろう。
 それを成功させる鍵は、小沢・鳩山民主党を上回る政策を鮮明に打ち出すことだ。
 昨日の公開質問状と同様に、このメッセージが小泉親子に届く事を期待して書いている。
 小沢・鳩山民主党を上回る政策とは何か。 
 それはズバリ本物の「小さな政府」と本物の「日米同盟」を掲げることだ。


この意見にも当Blogは同意する。


 その二つを正面から批判して、その対極の政策を掲げるのだ。
 それに賛同する優秀な人材を小泉進次郎のまわりに結集させるのだ。
 それこそが来る参院選挙で、民主党・社民党・国民新党連立政権を選ぶのか、新生自民党による保守政権の再生を選ぶのかの、国民による究極の選択になる。
 本物の「小さな政府」とは何か。本物の「日米同盟」とは何か。


自民党総裁選挙で河野太郎の議員票が伸びなかったのは、前回の衆院選だけでは、まだ自民党が負け切っていないからだ。
その後の自民党議員が地方で地方への利益誘導の話ばかりをして選挙に勝とうとしている姿を見て、絶望した。
彼らに国家ビジョンを語る力はない。
その意味で民主党とどんぐりの背比べレベルなので、引き分けでは民主党には勝てない。
自民党の人達は、まだ旧来型の選挙で勝てると思っちゃっている
彼らは小沢のどぶ板選挙の意味も理解できていないらしい。
一度、小沢先生になぜどぶ板選挙をするべきなのか、教えを請うた方がよいのではないか。

参院選の補選で2敗してもらって、自分達の考えが時代遅れだということをわかってもらわないといけない。
自民党の再生はそれからだ。

民主党による雇用(派遣による雇用)政策

2009-10-13 22:48:39 | 政治
民主党は派遣使っちゃダメでしょう(城繁幸)
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/57a33b3771f20181fb1f0123458f1ca4

年金全8.5億件、4年で照合 厚労相方針 6万人投入 (asahi.com)
http://www.asahi.com/politics/update/1012/TKY200910110301.html

これはちょっと面白い。


朝日新聞によると、長妻さんが年金問題調査で派遣を使うらしい。
登録型派遣を廃止しようとしている政権が使っちゃダメでしょ。
「ダメなのは製造業だ、一般事務はいいのだ」というロジックも無理がある。
連立相手の社民党にいたっては、マニフェストで「有期雇用の規制」自体を掲げてもいる。


誰だって作業上必要性が出てくれば、正規社員以外の一時雇用(例えば派遣)を使いたくなるのが普通だ。
この場合、4年間の年金記録の照合のためだけに正社員を雇うのはコストが高いから、のべ6万人もの派遣やアルバイトを雇おうという話になる。
一時的な作業だから一時的な雇用を用いる
これは、実に合理的だし当たり前だ
製造業派遣だって企業側からすれば永続的に生産が必要かどうかもわからない作業(いわば一時的作業のため)に当てる人員を、正社員として雇おうとするインセンティブが働かないのが当たり前なのである。

企業経営者は、経営はオセロゲーム(つまり一瞬で引っくり返る)のようだと言う。
今期最高の利益を上げたかと思えば、来期に最大の赤字に転落する可能性があるからだ。
(実際に2008年度に起きた。日本の名だたる大企業が最高益から大赤字へと転落した)
今、自分の会社が利益を上げていても、それが永続的に維持できるなどと考えている経営者はまずいない
そういう意味で、経営者からすれば、自社の強みであっても一時的なものにしか見えないから、常に利益や業界動向に関してセンシティブにならざるをえない。
この点が社民や共産党、一部の見識者と呼ばれる人達には見えていない

彼らはすぐ内部留保の話を取上げ企業を糾弾するが、であるならば1400兆円あるといわれる日本の個人金融資産も批判してみるべきだ

あなた達が金を使わずに貯蓄するから内需が盛り上がらないじゃないか」と。

家計にしてみても、今の利益では将来に不安があるから貯蓄するのだ。
企業も同じで、将来に不安があるから備えるのである
(対投資効果の高い案件がないからという言い方もできる。一方では成長率の低さが問題なのである)

つまり、何が言いたいかというと、派遣などの非正規雇用が生まれるのは、そこに一時的雇用の需要があるからに他ならず、それが合理的であるからであって、企業を責めても仕方が無いのである。

その需要を不適切として禁止するのも一つの趣向としては面白い。
(いわば売春宿を禁止するのと論理的には同じだな)
が、それで問題が解決するかどうかは別問題である。
なぜなら(売春宿もそうだが)問題となる行為を禁止したところで需要がなくなるわけではないからだ。

抑え付けてもその需要は必ず違った形で表面化する。(活火山の噴火と同じ)
(禁酒法なんて法律も似たような理由で無茶だ。)

それで、需要を適切な形で誘導する仕組みが重要なのである。
非正規雇用問題でいえば、需要を正規/非正規の制度が歪めているので、非正規にしわ寄せがいくのだ。
だから、守られている正規雇用に風穴をあければ非正規問題は大きく改善するという城氏らの雇用流動化提案は真っ当な意見なのである。

もちろん、既得権益者である正規雇用側の人間は反対するであろうが。


まあ仮に登録型派遣自体は規制せずに残すとして、パートで集めきれない分を派遣会社
に頼むとしても、3年経ったら公務員にしないといけませんから。
3年直前に雇い止めなんてことは、やめてくださいね。


「マクロvsミクロ」の解決に向けて

2009-10-01 22:25:19 | 政治
昨日のエントリ(亀井金融相が浮き彫りにする「マクロvsミクロ」の構図)は途中で書き終えてしまったので、少し中途半端だった。
なので少しだけ続きを書こうと思う。

昨日も書いたことだが、政策的紛争というのはたいてい立場の違いからくる衝突なのだが、その中でも「どう考えても劣悪な政策なのだが、どうしても推進したがる奴がいる」という種の衝突は「マクロvsミクロ」の構図から成っている場合が多い。


マクロ重視派は合理的な全体最適を指向しているが、ミクロ重視派は全体最適よりも個別最適を指向しており、両者の意見は一致することがほとんどない。
(中略)
両者の違いの理由は簡単で、前者は何らかの特定の物事に利害関係を持たないので全体最適指向を持つことができるが、後者は利害関係を持っているので個別最適指向になりがちだ。
前者は学者に多く、後者には政治家や弁護士、活動家などに多い。


昨日は上記のような説明がメインだったのだが、これだけでは少し説明が不足している。
なぜ利害関係を持つ者はミクロ重視派になってしまうのかという点についての考察を述べていなかった。

理由は「生存本能」と「自己投影」「限定合理性」だ。
順に説明してみる。

まず「生存本能」についてだ。
私はこの言葉が好きでない(人間にそんな本能はないと思っている)ので、本当は生存活動の優先度が高いという意味でバイアスという言葉を使って「生存バイアス」と書きたかったのだが、これだと既に他の意味として使われてしまっているので、誤解を生むので仕方なく「生存本能」を使っていることをあらかじめご了承いただきたい。(哲学のエントリを書くときは違う表現をしたいと思うが)

人間の判断基準においては、ワケあって生き残ることへの優先度が高い
(これは決して本能などではない。例外なら腐るほどある。あくまでバイアスである。)
人は生命が脅かされることや生活が脅かされることについて敏感に反応し回避行動をとろうとする。
これは、原始的な生物であった頃からの習性である。
(今でも十分原始的な存在だが)人間は進化した結果、若干の理性的な判断能力も追加的に手にしたので、今では、原始的な時代の判断と進化した時代の判断と同時に行い、それを最終的にひとつの判断に統合しているが、最終的な判断に及ぼす危険回避バイアスは大きい。

自分に危険性のある利害関係があるとき、人は全体最適よりも個別案件をより重視する
これが生存本能だ。

つづいて、「自己投影」だ。
人間は、自分だけで自己を認識することはできない。
他との関係性の中で常に自己を再定義(認識)し続けている。
誰もが人のフリ見て育っているのだ。
当Blogでいつの述べているように、人間は相対的基準を用いて認識することしかできない。
自と他があって初めて自が成立するのである。
これは、自と他の一体化作業と分離作業の際限のない繰り返しによって実現されている。
(自と他の差異の求め方というのは、結局のところ自と他の比較の連続なのである)
人は、他に自己を投影することによって否応無しに他人の気持ちになってしまうものなのだ。
(そういう意味で自分に興味のない人は他人の気持ちもわからない。要は無頓着な人ということだ)

「生存本能」と「自己投影」の2つで既に次のことが説明できる。
「人間は生活に困った人をほうっておくことはできない。」ということだ。

しかし、これは特に問題のあることではない。(これだけならミクロ派万歳だ)
困った人を助けようと思うのは、人間たる所以であり素晴らしいことだと個人的には思う。
私は、その考えを支持したいし、また唯一の希望だと思っている。
だが、最後のひとつ「限定合理性」が曲者だ。

限定合理性というのは、人間の知性は限られているので限定された範囲の中でしか合理的には振舞えないということだ。
人間は合理的か非合理的かという議論は別にあり、人によっては合理的選択理論(人は合理的に振舞おうとする)を否定する場合もある。
人間はそもそも非合理的な存在だと。
しかし、私はそもそも合理/非合理の判定自体が相対的なものなので、何が合理で何が非合理かを議論するかはあまり意味がないと思っている。
人間の知性が不完全な以上は全て非合理なのだから、全て程度問題でしかない。
(判断がバイアスに歪められることをもって非合理というのも結局のところ知性が限定的だからなのである)

ここで重要なのは、人間の知性は不完全だという点である。
人間は「困った人を救おう」と思っても「どう救えばよいのか」というところの判断を誤る場合が多いのだ。
動機は十分でも方法論がついてこない。
いわゆる精神論に陥りがちなのは、こういうところからきている。

この限定合理性が曲者なのは、それだけが理由ではない。
特に問題なのは、この限定合理性自体を認識していない場合が多いことである。
しかし、それもまた限定合理性の特性なのであって、人類最大の敵でもある。

拙速ではあったが以上で説明してたことで、なぜミクロ重視派が生まれるのかはだいたい理解していただけたと思う。
(あくまで個人的意見だが)

結論としては、「マクロvsミクロ」の問題を乗越えるためには、ミクロ重視派の動機となる部分の「生存本能」と「自己投影」に十分に配慮した上で、最大の要因である「限定合理性」の部分に解決策を提案することである。

このように考えると、永遠に平行線であった議論に解決の糸口がもたらされるのである。

亀井金融相が浮き彫りにする「マクロvsミクロ」の構図

2009-09-30 22:24:01 | 政治
亀井静香が金融相に抜擢されたことが鳩山内閣最大のサプライズ人事であると当Blog(鳩山政権のサプライズ人事)で述べたが、就任当初から彼の言動に世間が振り回されているようだ。

亀井金融相は、現代における徳政令「モラトリアム制度」を実施すると強硬な姿勢を貫いているのだ。
下記Blogを読めば今回の騒ぎの理由についてだいたい理解できるだろう。

迷走するモラトリアム議論(池田信夫)
http://agora-web.jp/archives/761526.html

亀井金融相にレッドカード!(Gucci Post)
http://guccipost.jp/cgi-bin/WebObjects/12336a3d498.woa/wa/read/sq_123fce2c05d/

金融音痴を露呈した民主党(JBPress)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/1824

みんな亀井静香を甘く見ない方がいい(金融日記)
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51590683.html

まず、モラトリアム制度が実施された場合に起きると思われていることを簡単に説明しよう。

資金繰りに詰った中小企業の元本および利子の支払いを猶予
-> 金融機関は収益悪化が予想されるので「貸し剥がし」「貸し渋り」を行う
-> 資金繰りに困る中小企業が増え、雇用問題などの深刻化
-> 政府はこの事態を回避するために金融機関の不良債権を補填する
-> 政府が公的に不良債権を補填するために財源が必要になるので国債を増発する
-> 国民新党は200兆円国債発行することを主張している
-> (ハイパー?)インフレ

これが皮肉にも「亀井金融相によるリフレ政策」と言われる所以である。

これとも別に次のようなシナリオも囁かれている。

資金繰りに詰った中小企業の元本および利子の支払いを猶予
-> 金融機関は収益悪化が予想されるので「貸し剥がし」「貸し渋り」を行う
-> 資金繰りに困る中小企業が増え、雇用問題などの深刻化
-> 政府はこの事態を回避するために金融機関の不良債権を補填する
-> ゆうちょ銀行を国営化し、ゆうちょ銀行に債権を一本化させる
-> 国民新党が常々主張している「国民の資産」を使って中小企業を延命

ゆうちょ銀行に預けられている国民の資産を使ってハイリスクな取引はできませんというなら、国民の税金を使ってハイリスクな取引もできないはずなので、彼らの思想に基づいて考えると、国債を発行してやれることならゆうちょ銀行を使ってやれるはずだ
(ゆうちょ銀行にそんなことはさせないと思うが。税金のことを自分の金だとは思っていないから200兆円も国債発行などといえるのだ。)

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そんな中、少し引き気味の視点で本件を見ているのが公認会計士の磯崎氏だ。

亀井大臣の「モラトリアム」は実はあんまり使われないんじゃないか?
http://www.tez.com/blog/archives/001463.html

先のBlogではマクロの議論ばかりだったのだが、モラトリアム制度を利用する企業側の視点に立って考えてみることも重要だ。
モラトリアム制度の利用普及度が低いと、企業側にとってモラトリアム制度を利用することは「経営不振のシグナル」を世間に周知するに等しく企業の信用を著しく毀損してしまう。
短期的な延命のために長期的な存在可能性を削ることになってしまうのだ。
(もちろん、今日・明日を生存するために躍起になっている経営者の心にこの言葉が届くことはないだろうが)


この「モラトリアム制度の適用を申請をした」という事実は、明らかに「ダメな企業」のサインです。

また、金融機関にとっても、このモラトリアム制度利用企業への貸付けがどのくらいあるかというのは、金融機関経営の不良度を図る指標になってしまいかねません。

普及の可能性があるとすれば、多くの人が使っている事実が広く知れ渡って「みんなで渡れば怖くない」ということになるケースです。しかし、中小企業は制度を使った事実を必死で隠そうとするはずですし、金融機関も、どの程度の企業がこれを利用したかは個別には開示できないはずです。

つまり、この制度を普及するにあたっては、「他の人がどう行動するか」というのが重要になり、利用が少なければますます利用したくない度合いが高まるので、しきい値(キャズム)を超えるのが非常に大変で、ことは「線形」には進まないのではないかと思います。


そもそも、モラトリアム制度を利用することになるであろう企業とは、経営改善計画など建てても見込みのない企業に限定される。
もう先が無い企業」ということになる。


銀行員は、相談に来た中小企業に対して以下のように行動するはずです。

A.モラトリアム制度を適用するほどでない優良な企業に対しては、「この制度を使ったら、後々ろくなことにならないかも知れませんよ」という趣旨のことを、あうんの呼吸で伝える。

B.見込みはまだあるが、確かに今までの返済スケジュールではキツいという企業に対しては、モラトリアム制度を利用するのではなく、合理的な経営改善計画を建てた上で、金融機関・中小企業双方の合意によって、返済スケジュールを変更する。

C. 「もう先が無い」と思われる企業についてはモラトリアム制度を使わせる。
(法律では、経営改善については求められないんでしょうか??「返済を猶予する代わりに雇用をカット」なんて法案が通るとも思えませんので、求められないのかも知れません。)


初めに挙げたBlogの方々はマクロに与える影響を憂慮しているのに対し、磯崎氏は少しミクロの部分に光を当てている。
これが今回のテーマだ。
私は、政治的紛争を解決するためには、皆がもう少し「マクロvsミクロ」という構図に着目すべきだと思っている。
今回の案件についてもいえることだが、いわゆるマクロ重視派は合理的な全体最適を指向しているが、ミクロ重視派は全体最適よりも個別最適を指向しており、両者の意見は一致することがほとんどない
政策が個別的案件に深化すればするほど全体最適から遠のく可能性が高いからだ。
両者の違いの理由は簡単で、前者は何らかの特定の物事に利害関係を持たないので全体最適指向を持つことができるが、後者は利害関係を持っているので個別最適指向になりがちだ。
前者は学者に多く、後者には政治家や弁護士、活動家などに多い。
これは、それぞれの立場(役割)から必然的に導かれる特徴であり、単純には正誤をつけられる問題ではない
完璧な政策を立案できない以上、両方のバランスをとるのが最適解だろうと個人的には考える。

そこで、亀井金融相の立場からの考察も必要ではないかと考え、続ける。

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亀井金融相がモラトリアム制度の導入を推進しようとする背景には、「義理人情がなくなったら日本は終わり」という彼の政治哲学がある。
今、目の前にいる生活の困窮する(企業中99%を占める)中小企業事業者を救うためで、そのことが日本の古き良き文化を荒廃から守り、それが日本国民の幸せに寄与するという考えだ。
直近数年を耐えれば、いずれ景気が回復し、中小企業は復活すると。
(景気が回復したとしても中小企業が利益を上げられる保証はどこにもないが)
今は100年に1度の経済危機であり、しかもそれは市場原理主義者達によって引き起こされた人災で、中小企業は被害者なのであるから、国家はこの善良なる中小企業を救うべきなのだ。
という考えである。

私は、苦難の最中を必死に生きる人々を救おうとする気持ちを肯定したいと思う。
その気持ちこそが人間の素晴らしさであり、非常にサバサバとした自然の中に置かれた我々にとって唯一の救いであると思う。
だが、ここで我々が注意を払わなければならないことがある

「救おう」とする気持ちは尊いが、「救う」とはどのようなことなのか、それは明確にしておく必要があるだろう。

まず、なぜ亀井金融相がモラトリアムを用いて人を救おうとしているかといえば、零細企業のオーナーは倒産を前にして自殺を図るケースが多々あるからで、これをモラトリアムによって短期的とはいえ回避することができるからだ。
この背景には、日本では個人資産を担保にとられたり、厳しい取り立てが行われたり、連帯保証人を犠牲にしたり、また経営と個人的付き合いが結び付けられているので築き上げた人的ネットワークが破壊されるなどし、倒産コストが非常に高いことがある。
さらにいえば、倒産=壊滅的破産を避けるため、無理な資金繰りに手を出すケース(家族が風俗で働くや闇金に手を出すなど)があるため、零細企業オーナーは劣悪な環境に身を置くことになり、これが生きる自身を喪失させる。
ここに倒産が畳みかけると決定打となる。

見方によっては様々な意見があるだろうが、このような凄惨な状況を目の前にしたら、たとえマクロ経済に対するネガティブな影響をわかっていたとしても、誰もが(自分が政治家ならなおさら)政治的介入による解決策を模索するだろう。
だから私は亀井金融相の人を救おうとする気持ちは肯定したいと思う。

だが、今述べたように、ここで重要なことは人を救うことであり、モラトリアムではない
モラトリアムは数ある政治的介入方法の中の一つでしかない。
政治家としての彼の役割は人を救うために最善の方法を模索することであるはずだ。
しかし、ここに亀井金融相がサプライズ人事たる最大の理由がある。
それは、モラトリアムが彼にとって模索した結果だという点だ。
我々にとってまだまだ改善の余地のある最善から程遠い劣悪な政策が彼にとっての最善であり、また彼がそのことに気付こうとしないことに我々は失望し、そして怒るのである。
私は、公権力をふるう立場にある政治家にとって最も重要な資質は無知の知を理解することだと思っている。
それは何度も当blogで述べてるように、政治というものは誤った結論を出してしまうことが多いからだ。
日本の政治を硬直化させた主な要因は無謬性にあると考えている。
過ちて改めざる、これを過ちという」である。

話が少しそれたので元に戻す。


全体最適の方が効果は高い。
だが個別最適を無視した形で政策を進めることもまた難しい。
この両方のバランスをとることが、政治そのものなのである。


変なまとめ方な上、結論がぼけてしまったが、長くなったのでこれで終わりにする。
(いや、書いてるうちに疲れたので・・)

民主主義の凄み

2009-09-30 01:37:06 | 政治
当Blogの記事(河野太郎の夏)についてttosiさんから実に核心をえぐる鋭いコメントをいただきました。


本日、電車の中で老夫婦が総裁選の結果について以下のような話しているのを耳にしました。

「谷垣さんは誰だったか前の首相(“麻生さんでしょ”と奥様)とは違って礼儀正しいし好感が持てるよ。河野は先輩を“腐ったリンゴ”と例えたり、あんなのはダメだ。谷垣さんになって自民党は良くなるよ。」

もちろん人格も判断の一つですが、自民党が負けた意味を考えれば、古いものを切り捨てなければ国民には受け入れられないはずです。ただ、こうした心に訴える手法(?)でまた昔のままの自民党が復活してしまうのかもしれないと思うと、少し残念です。


そうなのです。
一言で言ってしまえば価値観ということになるのですが、物事の価値判断の基準というのは人それぞれなのです。
このことは当Blog記事(費用負担のない便益など存在しない)でも少し触れました。

例えば「何が正しくて、何が悪いのか」といった判断は、相対的価値に基づくもので、絶対的価値に基づくものではありません。
人によって異なるのです。

多様な人が存在するのが人間社会です。
世代、性別、宗派、学派、文化、etc...などによって異なる相対的価値基準を持つ人々が同じ場、同じ国の中で共存しているのです。
あるコミュニティでは正しいことが、他のコミュニティで正しくない場合などは多々あることでしょう。
民主主義制度を導入する国では、そのような多様性の中で多数決というシステムをとるのです。
混乱しないはずがありません。
デモクラシーのコスト」です。

日本政治の部分についていえば、「人柄」による投票行動をとる高齢者は多いと思います。
(具体的な統計データを持っているわけではないです)
「人物本位で選ぶ」なんていわれたら、有効な反論なんてできなそうです。

この背景には、戦後日本政治の中で「人柄」で選ぶことに問題がなかったことがあります。
政治理念や政策構想よりも、人柄重視で問題のない時代があったのです。
そんな時代の価値観を持っている彼らに言わせれば「自民党・政府がどうあるべきか」よりも「政治家がどうあるべきか」ということの方が重要なのです。
だから麻生太郎の漢字の読み間違い失言ブレばかりに注目が集まるのです。

極論を言ってしまえば、私なんかは政治家の人柄なんかよりも政策的有用性の方を重要視します。
政策的に有能であればひらがなしか読めなくても問題ないと思います。
女性問題があろうが借金問題があろうがスキャンダルがあろうが、結果として国家・国民にとってプラスならそれでよいではありませんか。
また、ブレること自体は問題ないことです。
孔子の言葉が実に本質的です。

過ちて改めざる、是を過ちという (論語)

君子豹変することは政治家には必要なことだ。

真に、ひとかどの人物であれば、変化、変革を恐れない。
必要であれば、あるいは過ちとわかれば、
がらりとやり方、態度を変えたりもする。

ところが小人は、表面上、それを受け入れる素振りをしつつも、
旧来のやり方やメンツにとらわれ、古いやり方や、
いったん口にした自説にこだわってしまう。
(『易経』革・上六 (先奏))


政治家に対して聖人君主たらんことを求める理由はどこにあるのでしょうか?
私には、聖人君主とかけ離れた国民が政治家にそれを求めるのは奇妙にしかうつりません。

少しは話が脱線しましたが、重要なことは、我々はそのような多様な考えが共存する社会に生きており、その社会は多数決というシステムを採用しているということです。
民主主義は全く不完全なシステムで誤まることの方が多いのにも関わらず、我々は民主主義を採用しています。
なぜなら、民主主義では多数派が入れ替われることによって、結論を変えることができるからです。
君子豹変できなかったら、民衆豹変することで実質的に君子豹変を可能にすることができるのです。

我々は、確かな結論を提供するシステムではなく、確からしい結論を出し、さらにその結論を変えることができるシステムを選んでいる。
こう考えると「民主主義はくそったれだが、でも他に比べればマシ」という言葉に妙に納得するのです。

変われない自民党と変わる政治

2009-09-28 23:36:23 | 政治
自民党新総裁に谷垣氏(NIKKEI NET)
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090928AT3S2800O28092009.html

谷垣候補300、河野候補144、西村候補54(山本一太)
http://ichita.blog.so-net.ne.jp/2009-09-28-7

期待に反して予想通り谷垣氏が新たな自民党総裁に選出されました。

河野氏が派閥領袖などの退場を求めたのに対し、谷垣氏は「全員野球」を訴えた。
衆院選でベテランばかりが残った自民党でどちらが勝つかはあらかじめ予想はできる
過半数というシステムを取り入れている以上、多数派が勝利するのは必定なのである。

だが、多数派が必ずしも主流ではないことは有り得る
なぜなら、数というのは変化し、変化の方向があるからだ。
人間は未来を予測しようとする。
すると、変化の方向に敏感にならざるを得ない
勢いの衰えている方と、勢いの盛んな方とでは、現状の数とは他に実態としての違いがある。
いかにタイタニック号が巨大で揺るがない存在だとしても、流氷に衝突し沈み行く中では、小さなボートにも勝てない
みな、タイタニック号を捨てて小さなボートに移ろうとするだろう。

だが、タイタニック号の威信を求める者は、どうしようもない現実を突きつけられるまで船に残ろうとするかもしれない。
タイタニック号は実績がなかったが、実績のある船であればなおさらだ。
我々人間は未来を見通すことができない。
確たる信念の無い場合、未来において成功を手にするために、最も合理的な選択は何か
それは、経路依存性に身をゆだねることだ。
過去にうまくいったことは、今後もうまくいく可能性が他よりも高い。
ロシアンルーレットよりはマシである。

しかし、これはあくまで見かけの可能性の話であって、現実の話ではない。
環境が変化すれば当然、可能性は変化している
だが、それに気づくためには環境の変化の本質を理解する必要がある。
オッズが劇的に変化していることに気づかず、これまでと同じようにゲームを進行してしまえば、ロシアンルーレットよりも最低な結果を招くこととなるだろう。
経路依存性は諸刃の剣なのでもある。

さて、私には、谷垣氏を選出した自民党は変化しない道を選んだように見える。
もちろん、そんなことを考えて谷垣氏を支持した者はいないだろう。
谷垣氏を支持した人達も変化を求めて谷垣氏に投票したのだ。
しかし、彼らにとっての変化は、我々が考える変化とは異なるのかもしれない。
それは、彼らと我々とは問題意識が異なるからだ。

私は、河野太郎が主張していた「今、自民党の(新たな)存在意義が問われている」という問題意識が正しいと思う。
自民党は谷垣氏を選び、新たな道を進む覚悟を捨て、ある意味で自民党を再定義し直したのだ
それはそれで自民党のあり方なのだと思う。

であるならば、河野氏と河野氏を支持した議員は自民党を離党し、みんなの党と合流するべきだと思う。
これ以上、彼らが自民党にこだわる必要があるとは思えない。
私は、そのことによって政党間に新たな対立軸を構築されることを望む。
民主党と自民党と似たような政党による二大政党よりも、新しい軸による対極を期待したい。

河野太郎の夏

2009-09-23 01:08:54 | 政治
シルバーウィーク中は多忙のため更新できていません。
休み前にようやくアクセス数が伸びはじめていたところでしたので、もったいない限りです。
ネットワークアクセス・コストが高い環境にいるということの他に、まとまった時間をとることができないことが主な要因です。
ほんの空いた2,3分単位で起動&スタンバイが瞬時で行え持ち運びコストの低いポケッタブルPCのようなものが欲しくなります。
分断された時間を仮想的にデ・フラグメンテーションすると大そうな時間になるはずなのですが。
(一日のうちほとんどが暇な時間のような気がします)

書きたいことは多々ありますが、時間がないのでいつもの焼き直しです。
当Blog発足当初からの主張である「河野太郎を自民党総裁に」について少し流れが出てきた気がします。

自民党が参院選に勝つ唯一の道(池田信夫)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/d5a3a2bcc1ede917c0a77ccbf76959ed

↓熱い!

河野太郎の自民党総裁選挙(YouTube)
http://www.youtube.com/watch?v=2xpD65P7kTE&feature=player_embedded

この認識がいたってまともだと思うのだが、自民党の中にいてはそうではないらしい。

自民党は総裁選で負けてよかった
新しい政党に生まれ変わることができるチャンスを手にしたのだから。
自民党の夏はこれからだ。

河野太郎か小泉進次郎をニューリーダーに

2009-09-19 00:50:53 | 政治
【正論】民主党政権発足に寄せて 永世棋聖・米長邦雄(産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090918/stt0909180303004-n1.htm

実は、私と全く同意見なのです。
以前、当Blogでも述べましたが、私は自民党が解党的出直しをするためには河野太郎小泉進次郎しかいないと思っております。
自民党の政治家一人ひとりに直接会って話を聞いたわけではないので、本当にいないのかわかりませんが、感覚的にそう思います。

昔の成功体験を引きずっている自民党のベテラン議員を見ていると、昔の自民党に戻れば昔と同じように国民から支持を受けることができると勘違いしている節がある気がします。
少なくても彼らが「保守本流」という時の「保守本流」の定義が何なのか、国民はその言葉の意味を問い直さなければならないと思います。

自民党が解党的出直しを本当に目指すのであれば、これまでとは違った形でリーダーを選ぶべきなのだが、残念ながら今回の衆院選で生き残ったベテラン議員達だけでは無理のようです。
いつもと同じことを繰り返しているようです。

ある閣僚経験者の恐るべき証言(山本一太)
http://ichita.blog.so-net.ne.jp/


さて、永世棋聖の言葉に戻りましょう。
彼は、次のように述べた上で持論を展開する。

私は政治に関しては全くの素人だが、勝ち負けの世界にあって先を読むことだけが取り柄の人間である。勝負と近未来の予測を語ってみたい

彼が述べているのは、緻密な分析に基づいた予測ではない。
勝負師としての勘である。
根拠があるわけではないが、なぜかそう確信するということだ。
私が私に対して答えを指し示す、そういった感覚なのだ。


これから先をどう読めばよいのだろうか。私は、国民の大多数が少なくとも過半数は、次は自民党に勝ってもらいたいと願っているのではないかと思う。ただし、条件が二つそろわないと実現しない。一つは民主党が失政することと、もうひとつは自民が立ち直ることである。

 私は民主党の失政など願いたくもないので、自民が勝つための方策のみ書きたい。16日の首相指名はなんとか一致して第一関門を突破したが、次は誰を党首(総裁)に選ぶかにある。粛々と手順を踏んで、組織として間違いないアプローチで選んでもらいたい。最も大事なのは誰を選ぶかである。


私は政治家が勘違いをする原因は「選挙に勝ったこと」にあると思う。
「選挙に勝つ=自分が肯定された」と勘違いしてしまうのだ。
だから、選挙に勝つベテラン議員は自分が偉いのだと勘違いし、強い姿勢を持ってしまう。
だが、選挙結果というものが政治家本人に対する信任かどうかは明確ではない。
(この件に関しては後日まとめたいと思う。)

とにかく、リーダーを選ぶ際は、自民党もしくは国家にとって何がよいことかを基準にして考えるべきで、選挙に勝った偉い自分が判断基準であってはいけないのだ。
しかし、政治家というのは本当に自分は正しいと思う人の集まりで、困ったものなのだ。
「無知の知」から最も遠い職業なのである。


こんなことを書いてよいものかどうか、私は1人しか思い浮かばない。小泉進次郎氏(28)である。あっと驚く名前であろう。自民議員の中で、麻生太郎氏か小泉純一郎氏(進次郎氏の父親)か、どちらの方がより嫌われているのかは知らぬ。然れども今回、小泉進次郎氏さえ選出しておけば、次回は必ず自民は勝てると断言する。

 なぜか。まず古い体質、しがらみを抜け出せない体質を一挙に払拭(ふっしょく)できる。次に、政治家として全くの新人である点だ。明治維新の立役者はほとんどが20代であり、その情熱が新しい国を作った。シンボリックな選択ではないか。3つ目は、小選挙区で民主候補に勝利した新人であることだ。これは重要であり、おろそかにしてはならない。4つ目は、その顔、ルックスである。コワモテ幹部の多い民主党から女性層を奪い返そう。

 5点目も重要だが、小泉氏の複数の番記者情報によれば、今回の選挙中に日に日に成長して、今や父親と比肩するほどになってきた感があるという。まだまだ伸びしろがあることだろう。純一郎氏が本当に壊してしまった自民党を息子が再生するというドラマ性も楽しいではないか。イチかバチか、進次郎氏に賭けませんか。

 そのくらいの覚悟を決めなければ自民党は立て直せないだろう。若さと謙虚さのあとに「笑い」はついてくるはずだ。


ほんとにね。
選挙前の彼と、選挙後の彼は別人です。
オヤジを超える逸材というオーラを出してますよ。
過去には違ったかもしれないけれど、人は成長する生き物です。
今は違うのです。

実は、特に自民党にこだわる必要はなくて、有志はの方々で自民党を離党して新党を立ち上げるくらいで丁度いいのかもしれないけれど・・。

レビュー能力の低さを露呈した民主党

2009-09-19 00:07:27 | 政治
昨日当Blogでも取上げた民主党の記者会見のオープン化後退について、既得権益者の記者クラブ会員である既存大手マスコミはほぼこの問題について無視だが、やはりネット上では大きな議論を呼んでいるようだ。

「第四権力」の政権交代 (池田信夫)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/a6467b5a671c912aa9821365a9f3d125

記者会見クローズの主犯と鳩山さんとリバイアサンの関係(神保哲生)
http://www.jimbo.tv/commentary/000585.php

新聞が書かない民主党の「公約破り」(山口一臣)
http://www.the-journal.jp/contents/yamaguchi/2009/09/post_90.html

鳩山内閣早くも公約違反? 隠れた官僚支配の温床壊せず(日経ビジネスオンライン)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090916/204933/

首相官邸に入った直後に官邸についての感想を聞かれた鳩山首相は、官邸を外部から遮断された息のつまる場所とした上で、「情報過疎になる。現場に出て直接に国民の想いを聞きたい。できるだけ外に出るようにしたい。」と言っていた。
あの言葉は、大手マスコミに対して、そしてそのマスコミの情報しか知らない一部の国民に対してだったのか。
既に現場感覚を失ってしまったらしい。

この問題の原因については情報が錯綜しているようだ。
今のところ最も有力なシナリオは、民主党側は記者会見オープンのつもりでいたのだが、官邸側が拒んだというものだ。
官邸側の主犯格は、鳩山首相の女房役である平野官房長官だといわれている。

この話だけを聞くと、鳩山首相はこの問題を知らず、官邸側が独自判断に基づいて行動したという推測ができる。
鳩山首相のスキャンダルを封じるために、平野官房長官が汚れ役を買って出たのだとした説だ。
そして、鳩山首相本人はこの問題を知らなかったと。

しかし、私は、この説について懐疑的だ。
なぜなら、仮に鳩山氏が知らなかったとしても、(浮かれていたとはいえ)記者会見に参加している面子を見て、何かおかしいと思うことができたはずだ
自分が記者会見を行うにあたってその形式について注文をつけることは為政者として当然として、その後どうであったのか官房長官に聞いたり内閣広報室に確認をすることだって可能なはずだ。
にも関わらず何ら動きが聞こえてこないということは、鳩山首相が容認したか、黙殺したかのどちらかだ

鳩山首相擁護者達に言おう。
もし仮に、鳩山首相が今もその事実を知らないとしたら、もはや鳩山首相に期待することはできないことを理解した方がよい。

今まで自民党政権下で嫌というほど知ったと思うが、レビューのない命令などというものは存在しないに等しい
言ったっきりの発言に実行性などまるでない。
命令される側は、レビューされないのがわかれば、隙をついては好き勝手やるだろう。
これはガバナンスの前段にあるレビュー能力の問題だ。

民主党は行政をレビューできない無能な自民党を批判してきたのではなかったのか?!

この程度の問題をレビューできずに、どうして霞ヶ関官僚機構をレビューできようか。
今後民主党が闘わなければならないのは、もっと高度で難しい問題ばかりだ。

この問題は小さく見えても、実に大きな火種を内包している核爆弾級の問題である。
なぜなら、民主党という政党の本質を写しているからである。

しっかりしろ!鳩山!!
ここでガツンと真相を明らかにし処分を発表すれば、君の前に多くの人々が平伏すだろう
この人の前では好き勝手にはできないと。
これはチャンスなのだ!

と、記事を書いていたら、岡田外相が率先して記者会見を開放する宣言を行ったという情報が入った。

岡田外相 全メディアに記者会見を原則開放(スポニチ)
http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20090918119.html

やるな~と思うと同時に、内閣内で足並みが揃っていないことに危惧を感じる。
岡田外相がこの問題の重要性に気づいてセンシティブに反応する一方、政府官邸が動いていないところが微妙な関係性をあぶりだしている。
これは岡田外相からのメッセージだろう。
鳩山首相はこのボールをどう投げ返すか。
より一層、鳩山首相の動きに注目が集まる形になってきた。

民主党の小さいけれど大きな裏切り

2009-09-18 00:45:25 | 政治
非記者クラブメディアを排除した鳩山首相初会見への落胆(上杉隆)
http://diamond.jp/series/uesugi/10094/

当日、一部の記者にしか開放されなかったという第一報を聞いた時、記者クラブ側の勝手な行動かと思った。
記者クラブもまた民主党が闘わなければならない既得権益者、利権団体なのである。
彼らも彼らの利益を守るために必死に抵抗してくるだろう。
しかし、その程度のことも気が回らないようでは脱官僚などできるわけがない。
抜け道、逃げ道、ズル、これらにはそういう名前がついているわけではないのだ。
「消えた年金」だって発覚されなければ、消えていなかったのである。

野党の時は気づいたことだけに集中すればよかったが、政権与党になると全てにおいて気づかなければならないと突っ込まれることになる。

竹中平蔵氏は大臣在任中にこういった。
戦略は細部に宿る」と。
私は真にそう思う。

↓このようなことを言われぬよう、細部、末端にいたるまで気を回せるかどうかだ。


 記者会見のオープン化は確かに小さな約束だったかもしれない。

 だが、足元のそうした小さな公約すら果たせないような政権に、官僚政治の打破などという壮大な改革など、到底成し遂げることはできないのではないか。


といわれても仕方がないことなのである。

鳩山政権のサプライズ人事

2009-09-16 21:30:51 | 政治
本記事はバイアスのかかった無責任ネタです。

鳩山内閣で亀井静香氏が郵政担当相だけでなく金融担当相を兼務するという驚愕の人事が行われました。
郵政民営化のあり方については推進派から反対派まで様々な議論があり、一言ではまとめられませんのでここでは触れませんが、郵政民営化見直しを主張していた民主党が政権与党になった以上、同じ路線の国民新党の党首が担当相になることは仕方のない面があると思います。
(野党第一党の洗練化に期待する他ありません。)

しかし、金融担当相も兼務という選択は一体どういった意図による判断なのでしょうか。
おそらく、多くの人が鳩山氏の頭の中がどうなっているのかと疑問に思っているはずです。
(「サプライズはなかった」というTVコメンテーターの見識とは一体・・)

個人的には民主党議員の中で選ぶなら大塚耕平氏が適任かと思いますし、金融業界は時代とともに新しい知見が求められますので、政治家でなくても民間人ならよりよかったとも思います。
(大塚氏は国家戦略局もしくは政調にということなのでしょうか?)
そこで、当Blogでは鳩山新首相の判断を独自の偏見を基にトレースしてみたいと思います。
(人間の得意技である思考実験です。)

まず、本件がなぜ騒がれる人事なのか。というあたりから見て行きます。
早速というか当然というべきか、一部の方々から「国民新党の主張からして相当リスクのある人事だ」と懸念の声が上がっています。

まず、国民新党が主張する政策を確認してみましょう。
国民新党 2009政権政策
http://www.kokumin.or.jp/seiken-seisaku/index.shtml

詳しくは上記のリンクを辿っていただきたいのですが、経済に対する考え方は、大企業や高額所得者に増税するとともに無利子国債等を増発し、積極的財政政策を実施することで年6%成長、5年後に税収80兆円増を目指すとしています。
全政策における基本方針としては、弱者への給付を厚くし、強者に対して規制を強くする。
社会内の小規模コミュニティを重視し、分断された個人のネットワーク化を推進する。
私には「みんなで弱気を助け、強気をくじく」を目指す政党というように思えます。

個別的にみていきますと、金融関係の政策としては、下記のようなものが挙げられています。
緊急金融安定化対策について
http://www.kokumin.or.jp/seisaku/20081017.shtml
- 時価会計の無期限停止
- 自己資本比率の撤廃
- ペイオフ制度の適用停止
- 公的資金による資本注入
- など

なるほど。
ここまで短い説明をしてきましたが、これだけでだいたい国民新党がどういう政党かわかると思います。

そうです。
旧来あったと思われる(でも頭の中にしか存在しない)「三丁目の夕日」的、日本社会を目指す「社会民主主義」に根ざした政党です。
それも、北欧型の社会民主主義ではなく、国民に(見せ掛け上)重い負担を求めない都合のよい社会民主主義です
「社会民主主義」を略すと「社民党」で既存政党と重複してしまうので、公には社民党とは言えず、「国民新党」になっておりますが。
(連立が組めるのもよくわかります。)

彼らのように、古き良き日本に対するノスタルジーを捨てることができずにいる人々は数え切れないほど多いと思いますし、私には個人の情緒的感傷を否定する気は全くありませんが、人間が正確に過去を振り返ることができないことだけは忘れてはならないと思います。
我々が覚えている「過去」は、本当に「あの時の過去」なのでしょうか?
このあたりは後日、日を改めてまとめたいと思います。(宿題ばっかりたまっていく・・)

連立政権そして担当相だからといっても、民主党との数の力学からすれば、亀井氏の思ったとおりに事が進むとは到底思えませんが、このような政党の党首が金融担当相を兼務するのです。
市場関係者が騒がないはずがないわけです。

考えてみてください。
「かんぽの宿」の問題すら理解できない彼が、つまり市場のことを理解しようともしない彼が金融担当相に就くのです
市場の混乱は火を見るより明らかではないでしょうか。

時価会計の無期限停止」というのは市場の存在意義でもある重要な機能の一つの「価格決定メカニズム」を破壊する行為であります。
自己資本比率の撤廃」の具体的意味を私は理解することができていません。
党の目指す方向と間逆だと思うのですが、誰か教えてください。
ペイオフ制度の適用停止」については気持ちはわかりますが、これも目指す方向と間逆のナンセンスな政策です。
リーマンショックの複数あるうちの一つの原因は、自己責任が徹底されていなかったことによる過度な投機だと思います。
自分の行いが社会を破壊し連鎖的に自分をも破壊する可能性がある場合、投機は抑制されるでしょう。
ペイオフ制度がなぜ必要かといえば、(諸説ありますが)意識を変えるためにあると私は考えます。
公的資金による資本注入」はよくゾンビ繁殖事業などと言われるわけですが、よく考えてみてください。
老齢で自由に動くこともできないが命だけは長らえている状況を考えてみましょう。
そのまま200歳まで生きろといわれるのが嬉しいのですか。
生まれ変わって新しい命を生きようと思うのではないでしょうか。
人間にとって何が幸せかということを問い直してみて、それを企業にも当てはめてみる想像力が欠如しているのです。
進む道がなく苦しくてどうしようもなくなっている人を、どうして解放してあげるだけの優しさがないのでしょうか。
もう進む道がないのなら、新しい道があることをさとしてあげる必要があるのに、その勇気がないのです。
がんばってる人に「がんばれ」といっても無駄であり、これは指導者としての責任放棄です。
「まだがんばれ」、「やればできる」といって無根拠にがんばらせるのは根性論以外の何者でもありません。
その人を助けたつもりが、結果としてその人を苦しめることになることは多々あることです。

(少し脱線しました・・)

言葉足らずではありますが、日本経済が生きるか死ぬかのこの時に、亀井氏の金融担当相への起用は有り得ない!!
ということがなんとなくわかっていただけると助かります。

しかし!
しかし!
しかしだ!

前置きが長かったのですが、ここからが当記事の本題です。

では、なぜ鳩山氏は亀井氏を金融担当相を兼務させたかのかという疑問が残ります。

最適化理論を論ずるオペレーションズ・リサーチ(昨日知ったところによると鳩山氏は今も学会員のようです)を専門領域とするPh.D Hatoyamaが、そんな単純なこともわからず亀井氏を金融担当相にアサインするはずがありません!
私が当記事で述べたことは、もちろん全て計算に入っているはずです。
彼が座わることになる内閣総理大臣の椅子に座った気持ちで最適とは何かを考えてみる必要があります。

結論から述べましょう。

鳩山由起夫氏は、日本から「経済大国」という名の亡霊を引きずりおろし、友愛という名のもとに新しい国家を構築しようとしているのです!!

民主党のマニフェストに成長戦略がなかったことが話題になりましたが、それもそのはずです。
彼には成長戦略の必要性なんて見えていないのだから!!
彼が追い求めるものは、国民の生活が豊かになることであって、経済的相対地位なんてものには興味がないのです。
国民の全員が「3丁目の夕日」的幸せを享受できる政治を目指しているのです。
目指す世界が異なるのだから、友愛反対派のみなさんから批判を受けるのは仕方がありません

しかしながら、ここに日本ではあまり議論されることがないけれども、非常に重要な問題があります
前述したことは、社民、国民とも共通することなのですが、これは「人々の幸せ」を規定せんとする典型的な社会主義の姿なのです。
(○○主義なんてラベルが重要だとは全く思っていませんが)

精神的自由を尊重するという姿勢が見えればリベラルになるし、経済的自由を尊重すればコンサバになるといったところでしょうが、どちらでもないのでこれは典型的な「社会主義」です。
(ちなみに精神も経済も自由を尊重するのはリバタリアニズムといわれています。)
そんな社会主義政党が、大きな政府&規制強化路線を直走るのも特段変わったことではありません。

今、日本はグローバル自由主義経済の大波にのまれようとしております。
このままでは日本は強制的に激しい競争に引きずり込まれ、結果の不平等が生まれ、国民の間に不信感が渦巻くようになってしまう、だから民主党は友愛の旗印の下に防波堤にならねばならない!
そういうことなのだと思います。

だから彼らは自由主義に反旗を翻したのです。

是非ここに自由主義防衛軍として自民党が登場してくると、面白い闘いが繰り広げられそうです。
その先頭は河野太郎氏がよいと思います。
彼の割り切った性格は自民党内で攻撃力最高だと思います。
間違っても谷垣氏が選ばれないことを願います。
余計なものを捨て去ることができなければ、自民党は再生できない。

河野太郎が出る?!

2009-09-13 22:47:16 | 政治
初めに書いておきますが、この記事はいつにも増してかなり適当です。

河野太郎が自民党総裁選挙に意欲とな?!

そういうことであれば是非応援したい。
自民党で大きな可能性を感じる政治家は彼と小泉進次郎ぐらいだ。
今回の衆院選で小泉進次郎が意外にまともなのにビックリした
ってかみんなそう思ったんでないの?
私は彼について何も知らないが、でも見たらわかる。
やるやつは見たらわかるんだよ。
個別的能力において優秀かどうかの問題じゃないんだ。
資質の問題だよ。
企業の人事面接官だって長年やってると部屋に入ってきた瞬間で90%わかるっていうでしょ。
(多分、経験したことある人なら理解していただけるだろう)
問題は常にオヤジの影を見てしまう有権者からのプレッシャーに彼自身が勝てるかどうかだ。
選挙演説だって聴いたらすぐわかるでしょ。
この政治家には何か可能性を感じるだとか。
オバマがその代表例だよ。
(彼は今苦しい立場みたいだけど)

ベテランでまともなのは石破氏だけ。
私は常々政治に必要なのは「弱点と不知を認める勇気」だと思っているから、自分が賢いと思っているような政治家は嫌いなんだね。
無知の知」って2500年前の言葉なんだが、未だに理解されていないようだ。
自民党若手とかいってさも自分達が正しいこと主張しているかのような動きとか醜いしね。
残念だけど。

谷垣氏がいの一番で声を上げたが・・彼が総裁なら自民はあと数年這い上がれないだろうね。
彼には問題しか見えていない。
いや、本音をいえば「つまらない」の一言。
消費税の話すれば誠実だと思ってもらえるとでも思っている節もある。
政治の責任って、おいおいそんなことで責任をとれると思ったら勘違いだぜ。
散々無責任なことしておいて、そこだけ非連続的な解説は許されない。
今日というのは昨日から続いているんだ。
諸先輩方の所業を総括せずに先に進もうたってそうは問屋が下ろさんぜよ。
それに彼に改革ができるとは思えない。
無茶できなさそうだし国民に対して思考停止を促せるカリスマ性を感じない。
私が鳩山だったら谷垣が野党第一党の党首だったら嬉しいもの。
小さな政府になったら任せてもいいんじゃないか。

根拠もなく自民党と彼を批判するのはよくないことだが、床屋談義程度の愚痴とでも思ってもらいたい。
ちょっと程度が低い記事になってしまったかな。

「あるべき論」と「するべき論」を分けて考えてみる重要性

2009-09-13 15:20:50 | 政治
少し前に池田信夫氏が発起人のアゴラにて↓のような記事があったのでコメントをしてみた。
(livedoor IDはadvanced_futureです)

あとだしジャンケンでも良いと思います ―中川信博―

政治や経済ネタなんかについてはネット上の議論が最も(好き勝手言えるという意味でも)先鋭的なのだが、どうしても原理的なものになる傾向があると思う。
同じくアゴラ管理人である池田信夫氏は元NHKディレクターというだけあって、政策実現の裏にある政治的障害をよくご存知のようで政治的実現の難しさを前提にして(かつそれでも先進的な)提案をしている。
一部には彼の都合のよい解釈・引用について批判もあるが、私は彼の少し強引でもそういう切れ味の良さを高く評価している。(私が評価するかどうかは彼にとって関係ないだろうが・・)

いきなり話が少しずれたので元に戻そう。
そうだ。今回のテーマはついつい原理的になりがちな「あるべき論」とリアル指向の「するべき論」だ。

結論から述べれば、ネット上の議論はついつい「あるべき論」になりがちだ。
初めに勘違いされないように注釈しておくが、「あるべき論」が駄目だというつもりはない。
全ての始まりに「あるべき論」はあるべきだ。
問題は、「あるべき論」に終始してしまうことだ。

とにかく、そういうことは、特に自分は頭がいいと勘違いしているインテリ層に多い。
このことに右も左も関係なく、どの分野の人間にでもあてはまる。
だが、それではTVでお馴染みの評論家と同じことだということを良く知った方がいいだろう。
なぜなら、「あるべき論」は具体化されないからこそ「あるべき論」なのである。
無自覚的に責任の所在を曖昧にする論法だということを理解した方がよい。
換言すれば、「あるべき論」しか語らないやつは具体的解決方法をなんら持っていないと白状しているに等しい。
「あるべき」姿を具現化するために必死な人は「するべき論」をするはずなのだ。
そういう意味でオバマは今後窮地に立たされるであろうし、Doctor.鳩山は友愛の意味を問い直されることになるだろう。
(だが、私はオバマを応援している。)
(愛が宇宙で一番曖昧な言葉なのは前にも述べた)

国家戦略局の担当相に菅直人氏をアサインする人事について批判が多いが、それ以外の選択肢があったのなら教えて欲しい。
大きな政治的変換機にあって予想される最も大きな波は「既得権益者との闘い」である。
小泉政権下で改革を推進した竹中平蔵氏は改革が中途半端に終わった原因を、利権団体や圧力団体の抵抗と説明する。
そして、既得権益者と政治的に戦える唯一の職業は「国民の代表という印籠」を持つ政治家だけである。(竹中氏も途中で参議院議員になった。)
民主党にあって最も戦える政治家といえば、菅氏以外に思い当たらない。

もう一つ、民主党の程度の低そうに見える政策に対して修正を求める意見を表明するのはよくわかるが、そのリスクがあまりにも過小評価されている。
私も民主党にはブレて欲しい、だが、それは誰にとっても同じだ。
政策に介入の余地があることを認めることは、ある特定の利権団体に隙を与えるリスクをはらんでいる。
「マニフェストをより最善のものにするが、介入リスクを大きくする」ことと「マニフェストを愚直に遂行して、介入リスクを小さくする」こととの間にはトレードオフがある。
例えば、↓こんな動きが山ほどある。

政策実現のチャンス=民主党政権で-全トヨタ労連

我々はどうしても全人格的で完璧な政治を求めてしまいがちだが、そんなものは人間が政治を行う以上存在しえない。
人間が完璧では在り得ないからだ。
どれだけ洗練された人間も過ちを犯す。(しかも過ちは過去にしか存在しない)
魑魅魍魎渦巻く中にあって、我々が民主党に望むべきものは何か。
よく考えてみる事だ。

最後に一つ。
民主党が向かう先についての不満を述べる気持ちはよくわかる。
政権を奪取するためとはいえ、国民をバカにしたような政策も多い。
(選挙期間中、鳩山氏の演説を聴いたがバカバカしくてよく一生懸命聴いていられるなと聴衆に感嘆としてしまった)
しかし、民主党は民主党以上でもなければ以下でもなく、民主党でしかない。
100% Theoryではないが、民主党の枠内でしか政策を行えないのは当然だ。

遠くない将来、今回の政権交代で最も多くを学んだのは国民だったということになるだろう。
政治も国民もお洗練される必要があることを学ぶからである。

コロンビア大のジェラルド・カーチス教授がしっかりとした政党基盤のない日本には小選挙区は似合わず、中選挙区がよいと世迷言を繰り返しているようだが、そういう発想が日本を駄目にすることにきづくべきだ。
村上龍がNYTに寄稿したとされる文章が正しい。
日本人は今回の選挙で一歩を踏み出す覚悟を決めたのである。

時間がなく話しにまとまりがないが、リンク先のコメント等を読んでもらえば少しは理解してもらえるのではないかと思う。

※ちなみに記事自体の内容に不満があるわけではありません。

民主党の素晴らしきかな社会主義への道

2009-09-10 23:04:44 | 政治
福島氏入閣、社民は雇用担当を要求 鳩山氏、閣僚人事を加速(NIKKEI NET)


鳩山民主代表、日本郵政の西川社長に辞任要求へ(NIKKEI NET)


福島みずほ氏は何大臣になるのでしょうか。
亀井静香氏は総務省を希望だとか。
噂では共産党も入れて4党協力関係これこれみたいな話も。

本気で小泉構造改革を撒き戻すつもりのようです。
しかもより一層、社会主義への道を走っている。
表現上は社会民主主義というご都合的な言葉が使われるのだろうけれど。
しかし「社会民主主義」という言葉は定義が曖昧すぎて、何かとても素晴らしい言葉のように見えても、実態は無いに等しい。
社会主義政策を正当化する時には「社会」を強調し、自由主義政策を正当化する時には「民主」を強調すればいいのだ。
ある意味、どのような意味にでも使えるとても優れた言葉ともいえる。
そう、日本人は悪く言えば玉虫色、良く言えば止揚された言葉を使うのが得意だ。

さて、話は変わって、その民主党の代表である鳩山由紀夫氏の「友愛」について述べる。
「友愛」が何を意味するかは意見の分かれるところではあるが、ここでは仮に「愛」だとしよう。
(愛は人間界で最も曖昧な言葉なのでどんな意味にでもなれる。なんて素晴らしい!)

個人の愛を最大限に発揮させるための政策、というとなんとなくリベラルを想像するが、「愛」の定義を狭くすると、コンサバを超えてこれは「押し付けの愛」になってしまい、完全に社会主義的になる。
民主党が鳩山由紀夫の意のままに動くとは全く思えないが、彼の「愛」の意味がわかれば、民主党がどちらへ向いている党なのかわかるのではないか。
これまでの彼の主張を聞いていると、前時代的な幸せを愛と読んでいるような気もするが、それは私の彼への愛が足りないからかもしれない。

と少し悪乗りしたところで正気に戻ってみると、自民党がふざけ過ぎていたとはいえ、ホント日本は大変な政党を政権与党に選んでしまったなと思う。
ただ、日本の未来を非常に危惧されている方が多いわけですが、民主党が社会主義的であれば社会主義的であるほど、自由主義的な政党の確立が早まるのではないかという気もするのです。
「小さな政府」待望論が強く出てくる可能性に期待します。

受け皿が自由民主党なのかみんなの党なのかは未知数だが。