粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

決められない政治

2012-09-19 10:09:32 | 国内政治

野田内閣が進める「原発ゼロ戦略」は早くも怪しくなってきた。経済界、労働界、原発立地自治体の反発が強く、閣議決定を見送り参考文書にとどめるという。いわば「努力目標」でしかなく大幅後退=骨抜きであることは間違いない。

尖閣諸島問題で大騒ぎしている時期を狙って、わざわざ決定見送りを決めたのかと勘ぐりたくなる。政府にとっては財界はともかく労働界が政府に異議を唱えたことが大きかったのではないか。民主党には労働組合を支持基盤にしている議員が多いからだ。

また「決められない政治」の典型例をつくってしまった。自分はもともと「原発ゼロ戦略」には疑問を持っていたので、それが大幅後退したことは歓迎しているが、民主党の将来には悲観的にならざるを得ない。民主党は考えてみれば様々なグループの寄せ集めといってよい。細川護煕氏が結成した日本新党、自民党の小沢ループ、旧社会党、旧民社党、松下政経塾出身、鳩山グループ、菅直人前首相を中心とした市民グループなど「アンチ自民党」の旗のもと結集し、ついには政権交代を実現させた。そして今後二大政党制の時代到来かと思われた。

しかしいざ政権を担当すると各議員の思惑、エゴが表出し櫛が抜けるように造反議員が続出した。衆議院過半数の維持さえ困難の状況になりつつある。ただこれはまだまだ前哨戦の感じもする。総選挙の洗礼を受けてそれが決定的になるかもしれない。しかしこれはある面仕方がなく、また悪いことではない。同じ主張、信条を持った同士で再編されるのではないか。それは対立する自民党とて例外ではない。

キーワードはいうまでもなく「決められる政治」である。個々人が政治能力を持っていても、それを結集して、より能動的な政策集団になっていかなければならない。もしかしてこんな時期に、予想もつかなかった人物が政権をリードして行くかもしれない。

尖閣諸島問題で揺れる日本の外交、まだまだ序の口であり今後も様々な問題が噴出してくるだろう。国内にしてもしかり。「原発廃止で経済停滞もやむなし」などとのんきなことをいうノーベル賞作家の戯言を聞いている暇はない。


総裁の顔

2012-09-18 12:14:49 | 国内政治

ドクター町田氏が自民党総裁選に出馬した5人の候補について人物評価していた。町田氏は石破茂氏を特におしていて、その評価については自分自身全面的に賛成だ。原発政策では石破氏が一番はっきりと積極策を表明している。外交防衛にしても信頼できそうだ。

しかし町田氏が指摘するように石破氏の弱点は「顔」だ。その目つきがちょっと怖く、女性には敬遠されてしまうかもしれない。それと同時にどうも彼は弁が立ちすぎて話に愛嬌がない。どこか本音の自分を隠して政治家を演じている感じがしてならない。時々喜怒哀楽がでるほどに人間味が欲しい。

彼を見ると以前の橋本龍太郎元首相を思い出す。橋本元総理の答弁を聞くといつも政治家という役者を演じているようであった。話にそつはないがどこか優等生的な冷たさを感じた。その点同じ「はしもと」でも今の橋下徹大阪市長は敢えて本音を小気味よくさらけ出している。それが彼の人気の一因なのだろう。

もちろん実際の政治家にはそんな顔つき、性格はたいしたことではないのかもしれない。政治という実務を能動的にこなしていけばそれにこしたことはない。ただ最近頻繁に行われるメディアの世論調査で首相就任当時はまずまずだがあっという間に支持率が下がってしまう一因にはこうした政治家の顔も影響しているのではないか。

以前野田首相の顔のたるみが気になっていたが、今はさほどでもない。ここ最近の首相では能力的に一番まともかもしれない。でももう少し人間味が欲しい。不躾な質問をした記者には食ってかかるくらいの野性味があればと思う。

次期総裁はもしかして首相にもなりうる注目の選挙だ。石破氏の出身地は、鳥取県。あの「ゲゲゲの鬼太郎」の作者水木しげるさんの故郷だ。登場する妖怪は容貌はともかく皆愛嬌があって親しみがある。石破さんも見習って目つきをなんとかする?



官邸前デモの終焉

2012-09-17 17:02:43 | プロ市民煽動家

いったいこのデモはなんだったのだろうと思う。毎週金曜日に行われる首相官邸前の脱原発デモ。最近テレビで取り上げる頻度も激減している。先週14日も行われていたようだが、動員数が伏せられるくらいマイナーな規模になってしまった。これは当初から自分が予想した通りだった。

自然発生的にも見える衝動は、潮が引くようにすぐに覚めることを今回も証明してしまった。「再稼働反対」の声を挙げることが、思えば一つのファッションでしかない。流行に敏感な若者や主婦たちは、少しでも時流の遅れを意識すると離れていく。

当然メディアも引いていくだろう。脱原発を標榜する毎日新聞だから少しは「義理立て」してこんな体裁のニュースにしているのだろう。毎日が参加者の言葉を借りて「脱原発を政府が明確に打ち出した意味は大きい」とデモの成果を強調しているが、そんな単純なものではないことは明らかだ。

野田首相が菅直人前首相を中心にした民主党内に元々いた脱原発グループと折衝し、総選挙を見据えた上で「玉虫決着」したのが今回の政府決定であろう。しかし、この決定は将来のエネルギー政策を考える上で大きな禍根を残すに違いない。

一連の官邸前デモの存在意義を今後十分検証する必要がある。おそらく官邸前デモは下火どころか消滅も時間の問題だろう。一時的なパッションから覚めて冷静に見つめ直す時期はそう遠くないはずだ。


日常が「歌」にならない

2012-09-16 08:14:32 | 音楽

先日、作詞家の北山修さんがラジオ出演し作詞について語っていた。北山さんは60年代フォークグループとして自分作詞の奇抜な「帰ってきた酔っぱらい」を歌い世間の度肝を抜いた。その後は作詞家として「花嫁」「白い色は恋人の色」「あの素晴らしい愛をもう一度」など叙情的ながら現代的なセンスを加味した数々のヒット曲を世に送り出した。

彼が作詞でこだわっているのは、不特定多数相手に万人向きの歌を創作するのではなく、自分が思う一人の相手のためにつくるということだ。その直接的な心情が結果的に普遍性をもつ。たとえば万葉集で「防人の歌」は兵士にかり出された東人が自分の妻や恋人を思って詠んだ歌であるが、その深い心情が多くの人々の胸を打つのと同じだという。

北山さんが作詞し堺正章が歌った「さらば恋人」も自分の実体験が反映されているという。

さよならと書いた手紙、テーブルにおいたよ

あなたの眠る顔みて黙って外へ飛び出した

今でも冒頭のフレーズは印象強く耳に焼き付いている。そしてラストのつぶやき、

悪いのは僕の方さ、君じゃない

今思えば少し気障にもみえる男のダンディズム、堺正章が歌うといかにも自然に聞こえる。

ところでこの曲は別れの手紙を題材にしているが、今の携帯とは違い昔の固定電話の方も、日常で歌として生きていた。

ダイヤル回して手を止めた 

I'm just a woman Fall in love

(小林明子「恋に落ちて」)

夜更けの電話あなたでしょ、

話すことなど何もない

(杏里「オリビアを聴きながら」)

電話の呼び出し音。掛ける方、受ける方双方の様々な想いが交錯する。歌の行間にも幾重にも男女の人間模様が織り込まれる。それが日常のたわいもない仕草から生まれてくる。

今のせわしない時代ならどうなんだろうと思う。さしずめ別れるにも携帯メールに涙顔の絵文字付きで彼女に送るかもしれない。それを見た彼女は「なんで?」と、これまた驚きの絵文字を添えて送り返す。どうもそこには男のダンディズムも女心のせつなさもなかなか生まれてこない。そして再会したら

会いたかった!会いたかった!イエー!君に~

なんてなるのだろうか。秋元さん?

そうすると現在の歌にはどうしても万人向きのメッセージソングが増えてしまうのかもしれない。

こんなのどかな日常的詩情は生まれて来ないのだろうか

カーテンを開いて、静かな木漏れ陽の

やさしさに包まれたならきっと

目にうつる全てのことはメッセージ

(荒井由実「やさしさに包まれたなら」)


民度の低い反日中国人

2012-09-15 12:42:24 | 厄介な隣国

日本政府による尖閣諸島国有化政策の動きに、中国国内の一部民衆の反発は異常という他ない。日本人を路上で殴ったり、ラーメンを店でぶっかけたりする暴力は枚挙に暇がない。さらには日の丸が焼かれたり、日本車がつぶされたりして目を塞ぎたくなる光景だ。

しかし、たとえ中国国民がこんな反日的態度をとっでも、日本人が同類の報復行動をとるだろうか。一昨年の尖閣諸島漁船衝突事件以来、日本人が駐日の中国人に暴力を振るったり中国料理店を襲撃したりするのを見たことはない。

これは国民性の違いはあるとしても、日本人が最低限の礼節をわきまえている国民だということを示していると思う。これを日本人として大いに誇ってよいだろう。いわば国民の「民度」が高いといえるのではないか。

もちろん自分はこれをもって日本人が優秀だというつもりはない。長い共産党独裁体制の下、中国国民の自由な行動を押さえ込んできたためであると思う。しかしここ10数年に及ぶ高度経済成長で全体的に豊かにはなったが、貧富の差が一段と激しくなった。そんな中ネット社会が中国でも急激に拡大し、もはや情報を政府が制御することは不可能になりつつある。

政府への不満はネットを通じて増殖していてもそれを表立って抗議する手段がない。したがってこうした反日行動の名を借りて不満を爆発するしか手立てがない。これが歪な民意の発露となり、民度の低さに繋がる。

これは結局共産党政権、とりわけ胡錦濤政権の無策によるものだろう。経済成長を優先するあまり政治改革がほとんど進まなかったばかりか、逆に民主化の動きに強い警戒心を示してきた。この付けを習近平が引き継ぐことになる。

ただ胡錦濤にしても習近平にしても国民により選出された代表という正当性をもち得ないのが弱点である。プーチン(ロシア)にしてもアフマディネジャド(イラン)にしても一応国民審判の洗礼を受けている。しかし中国の主席は一政党内で秘密裏に選ばれた代表にしかすぎない。いわば日本共産党の志位委員長が選挙もなしに突然首相になるようなものだ。

国家元首としての正当性を持たない人物が、国民を統率している不思議。毛沢東や鄧小平のようなカリスマ性をもはやもたない主席が今後もその権力を持ち続けるとは思えない。国民の不満がいずれ爆発する時期がやってくると思う。今の国民の民度のままでは、過激な反政府暴動も大いに予想される。