村井嘉浩宮城県知事が政府と「市民」活動家に疑問を呈している。政府にはエネルギー政策の迷走、活動家にはがれき広域処理の反対行動についてである。どちらも知事の意見は真っ当な話あり、同時に対象の双方の姿勢には自分も絶句してしまう。
まず政府に対してだが、原発ゼロを目指す方向が示されたことについて「思慮深く検討してほしい。一時的な感情に流されてはいけない」と語っている。「技術者が不足する事態になりかねない」との懸念もあるようだ。知事は浮ついたポピュリズムを問題にしている。そして本当に国民の大多数の民意を代表しているのか。知事が言うように政党間で論争するくらいが望ましいと思う。
これ以上に知事が首を傾げるのは、石巻市から北九州市に搬入される震災がれきの広域処理への反対運動だろう。北九州「市民」が撤回を求めて宮城県に質問状を出したことに「理解に苦しむ」のは当然だろう。「一部市民が反対したからといって立ち止まることはない」という知事の意思は揺るぐことはない。
北九州「市民」というが、実態は首都圏などから「避難」してきた人々が主導していることが明確になってきている。知事はその「事実」こそ口に出さないが、「本質」をわきまえていると思う。震災から1年半、なかなか進まないがれき処理に知事もいらだちを隠せないのだろう。反対する「市民」は日本の復興に背を向けて、空疎な自己目的のために奔走している。もうそろそろ目が覚めてもいい頃だと思うが。