粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

内部被曝というフィクション

2012-09-25 10:37:10 | 過剰不安の先

福島県で県内に住む72人の1日の食事のセシウム摂取量を調べたら、最も多い人で2.6ベクレルでこれを1年食べ続けても累計被曝0.014ミリシーベルトにしかならないという。予想されていた通りで、原発事故での内部被曝は軽微で「被曝」にも値しないといえる。

NHKニュースによれば、1960年代のソ連やアメリカの核実験が盛んに強行されていた時期では日本でも内部被曝が4ベクレルほどあったようで、それと比較しても今度の方は小さい。

核実験が行われていた時期、当時子供であった団塊世代の人々がその被曝で健康被害を受けたということはいまになっても聞かない。でなければ、日本がこんなに世界で例がない長寿社会に突入するはずがない。

敢えていいたい。内部「被曝」などほとんどが「フィクション」に過ぎないのだと。沖縄の偉い教授が「内部被曝は外部被曝の100倍も怖い」と主張しているようだが、50年前の被曝より遥かに少ない「被曝」のどこが「100倍の怖さ」なのか、全く理解に苦しむ。

最近はあまり聞かないが、去年の今頃は保護者が学校給食にクレームをつけて、子供に弁当を持たせるなど社会問題になった。当時京都大学と朝日新聞が今回の福島と同じような検査をしたが、福島でも1日4べクレル程度であった。東京では1ベクレルにも満たない。

当然給食でも出荷制限が守られている食材を使っているはずだ。だから1日1回の給食で大騒ぎすることに大いに疑問に思っていたが、当時は保護者の動きに同情するメディアも多かった。今思えば、過剰な反応でしかないが、それが生産者や給食関係者を苦しめたことは厳然とした事実として残っている。