粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

マイナーな災害

2012-09-11 12:49:31 | 原発事故関連

昨日、テレビ朝日系の「TVタックル」で経済ジャーナリストの池田信夫氏が「震災の中では、原発事故はマイナーな災害」と発言してスタジオが騒然となっていた。単に言葉尻だけをとらえれば、一般的には「暴言」となるだろう。レギュラーの阿川佐和子さんが憤然となったのも仕方がない。

しかし、事故の実態を知れば知るほど、池田氏の発言は真っ当なものといえる。これに異議を唱える人に聞きたい。「事故で現在、健康被害を立証できる被害があったのか」「今は大丈夫でも、20年後顕著に被害がでるというが、20年以上たったチェルノブイリ事故でそんな現象が少しでもでているのか」いずれも答えは否である。

ただ事故での「直接的健康被害」はマイナーどころか皆無に近いとはいっても、その後避難中に高齢者を中心に死者を出している。あるいは避難者自体が16万人に及びその精神的苦痛は大きい。さらに周辺の農作物が出荷停止になってその実害も少なくない。これは事故による被害でいってよいし、東電以下原発関係者の責任が当然あるだろう。

しかし、それに輪をかけて放射能の過剰な忌避による風評被害は甚大といえる。ある面、事故の衝撃による国民の精神的パニックが自然発生的に生まれた点はある。しかし今回の事故での日本的特徴は、原発そのものに反対する勢力がその廃絶を実現するために「放射能の無限な危険性」を意図的に喧伝したことだ。これにより「日本汚染列島」のイメージをつくりだされてしまった。

したがって、原発事故自体は「マイナー」であっても「史上最悪の人災」なる虚像が一人歩きしてしまった。これは事故の二次災害というべきもので、その実態をよく理解しなければならない。

たとえば、がれきの広域処理で、受け入れ自治体に反対派活動家が乗り込んで狂気に近い妨害活動にでる。東北の産品は汚染されているといういわれなき差別をつくる。もっと酷いのは広域処理をした自治体の産品さえも特別な目で見られる。二次災害の蔓延と拡大は一年半たった今も収束していない。