6月22日夜NHKテレビで福島県双葉町の町民の避難生活を紹介していた。昨年の原発事故以来、双葉町は町民総出で埼玉県内に移転していった。これは江戸川町長の決断によるもので、今も町役場の機能は埼玉県加須市の廃校になった高校にある。そこには当初は多くの町民も避難していたが、今は200人ほどになってしまった。町民の半分は、福島の仮設住宅などに移り住み、残りは主に埼玉県が提供する住宅などに生活している。各々がそこから近隣の職場で仕事をしている。
その点が福島県の他の市町村と違うところで、福島県内の町民と県外の町民とに対立を生んでいる。町議会は町役場の県内移転を目指していて町長と対立していた。結局町長は議会の主張に押し切られる形で、福島県いわき市への町役場移転を決めた。
番組では埼玉の避難所に残る人々を中心に紹介していたが、印象的だったシーンが2つあった。ひとつは92歳のおばあちゃんの言葉だ。もともと明るい性格で同居する人にとっては楽しい話し相手になっている。「はたして私の人生はしあわせだったのかなあ。もっと他に道がないのかなと思うこともある」92歳にしてそんな嘆きの言葉に発する胸のうちはいかばかりだろう。しかし慣れない避難生活で歩行が難儀になっているのに、敢えて歩行器を使いリハビリに励んでいる。
もう1人は、62歳の独り身の男性だ。先のおばちゃんとともに避難場の高校の旧教室で10人足らずで同居していたが、いつしか校内の駐車場にある自分の車で寝泊まりするようになった。そして最後は避難所から突然去り、埼玉県が提供する住宅に1人移り住む。
男性に番組が取材していたが、精神的にも落ち込んでいた。月10万円の補償金で仕事もないまま一人将来に希望が持てずに日々を送っている。取材に来た記者に「帰るときに(あんたの)ネクタイを置いとおけ。首をくくるのにちょうどいい。」と自虐的に答えていた。
やはり2人とも故郷を追われて喪失感が強く滲み出ていた。追い込んだものへの怒りは当然あるだろう。しかしそれと同じ位、いやそれ以上に今も強い故郷への熱き思いが感じられた。同部屋にいる唯一の若者である高校3年の少年も進路に悩みながらも、故郷へ帰りたい気持ちは強いようだ。
番組では井戸川町長の行政の取り組みも紹介しているが、どうもこの町長には違和感を覚えてしまう。町民こぞって県外へ避難させる決断はやむを得ないにしても、その後も県外移住に固執して、県内移転を主張する人々と深刻な対立を生んでしまった。町長は放射能汚染に対して極端に敏感な印象がある。以前の彼のインタビューを動画でみたが、事故は世界最悪とし政府の冷温停止宣言にも否定的だった。
もともとは町長は原発推進派で原発立地としての財政的恩恵を受けてきた。しかし事故後は、政府や東電を批判するばかりで被害者意識を前面に出している。近隣の自治体とも中間貯蔵施設の設置を巡って対立をしている。
ようやく町役場を福島県内に移転することを決めたが、少し遅きに失した感じがする。まして「仮の町」建設は全く展望がみえて来ない。これは政府といたずらに対立してしまった結果であると思う。
町民のなかには、故郷に見切りをつけて別天地で新しい生活を始めている人たちも少なくない。しかし彼らの胸のうちでは故郷への思いは消えることはないだろう。町民の望郷の念をひとつにつなぎ止めることが理想だが、時間の経過がその紐帯を断ち切ろうとしていく。