粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

双葉町の将来

2012-06-24 08:05:40 | 福島への思い

6月22日夜NHKテレビで福島県双葉町の町民の避難生活を紹介していた。昨年の原発事故以来、双葉町は町民総出で埼玉県内に移転していった。これは江戸川町長の決断によるもので、今も町役場の機能は埼玉県加須市の廃校になった高校にある。そこには当初は多くの町民も避難していたが、今は200人ほどになってしまった。町民の半分は、福島の仮設住宅などに移り住み、残りは主に埼玉県が提供する住宅などに生活している。各々がそこから近隣の職場で仕事をしている。

その点が福島県の他の市町村と違うところで、福島県内の町民と県外の町民とに対立を生んでいる。町議会は町役場の県内移転を目指していて町長と対立していた。結局町長は議会の主張に押し切られる形で、福島県いわき市への町役場移転を決めた。

番組では埼玉の避難所に残る人々を中心に紹介していたが、印象的だったシーンが2つあった。ひとつは92歳のおばあちゃんの言葉だ。もともと明るい性格で同居する人にとっては楽しい話し相手になっている。「はたして私の人生はしあわせだったのかなあ。もっと他に道がないのかなと思うこともある」92歳にしてそんな嘆きの言葉に発する胸のうちはいかばかりだろう。しかし慣れない避難生活で歩行が難儀になっているのに、敢えて歩行器を使いリハビリに励んでいる。

もう1人は、62歳の独り身の男性だ。先のおばちゃんとともに避難場の高校の旧教室で10人足らずで同居していたが、いつしか校内の駐車場にある自分の車で寝泊まりするようになった。そして最後は避難所から突然去り、埼玉県が提供する住宅に1人移り住む。

男性に番組が取材していたが、精神的にも落ち込んでいた。月10万円の補償金で仕事もないまま一人将来に希望が持てずに日々を送っている。取材に来た記者に「帰るときに(あんたの)ネクタイを置いとおけ。首をくくるのにちょうどいい。」と自虐的に答えていた。

やはり2人とも故郷を追われて喪失感が強く滲み出ていた。追い込んだものへの怒りは当然あるだろう。しかしそれと同じ位、いやそれ以上に今も強い故郷への熱き思いが感じられた。同部屋にいる唯一の若者である高校3年の少年も進路に悩みながらも、故郷へ帰りたい気持ちは強いようだ。

番組では井戸川町長の行政の取り組みも紹介しているが、どうもこの町長には違和感を覚えてしまう。町民こぞって県外へ避難させる決断はやむを得ないにしても、その後も県外移住に固執して、県内移転を主張する人々と深刻な対立を生んでしまった。町長は放射能汚染に対して極端に敏感な印象がある。以前の彼のインタビューを動画でみたが、事故は世界最悪とし政府の冷温停止宣言にも否定的だった。

もともとは町長は原発推進派で原発立地としての財政的恩恵を受けてきた。しかし事故後は、政府や東電を批判するばかりで被害者意識を前面に出している。近隣の自治体とも中間貯蔵施設の設置を巡って対立をしている。

ようやく町役場を福島県内に移転することを決めたが、少し遅きに失した感じがする。まして「仮の町」建設は全く展望がみえて来ない。これは政府といたずらに対立してしまった結果であると思う。

町民のなかには、故郷に見切りをつけて別天地で新しい生活を始めている人たちも少なくない。しかし彼らの胸のうちでは故郷への思いは消えることはないだろう。町民の望郷の念をひとつにつなぎ止めることが理想だが、時間の経過がその紐帯を断ち切ろうとしていく。



反原発ハルマゲドン

2012-06-23 10:53:17 | 煽りの達人

でもこれは、序盤戦。本当に序盤戦なんです。本番はこれから先になります。放射能による健康被害が首都圏で明確化してくるときが本番なんです。その時に、きつくてつらい戦いになります。いくらごまかそうしても、多くの人たちの健康が害されていることがはっきりと分ることになる。そんな時代の流れに、その目の前にいることは、僕は間違いないと思います。

反原発派の最右翼(左?)である木下黄太氏のブログ(6月23日)の一部だ。前日に行なわれた官邸前の反原発デモの「盛況」を評価しつつ、今後の反原発での苦難の戦いに檄を飛ばしている。

22日のデモでは主催者発表で4万5千人もの参加者があったという。(もっとも産経ニュースでは1万1千人程度となっているが)まあ実際は1万人程度であってもその数は注目に値しよう。

しかし、今後放射能による健康被害の惨劇が首都圏を覆う時代がくる。その時に備えよ!という。まるでどこかの宗教団体のハルマゲドン(終末思想)のようだ。彼は本当にそれを確信しているようだ。一種の宗教的信念にさえ思えてくる。

そのために彼は住民に避難を盛んに勧める。すでに彼の「預言」を信じて西日本へ幼い子供を連れて移住していった母親たちも少なからずいる。東日本は彼からみれば汚れた世界「穢土(えど)」の地になっている。だから「浄土」の世界へ移らなくてはいけない。また穢土のガレキを浄土に持ち込むなどもってのほかだ。各地で起こる反対運動は、その宗教的信念による戦いといえようか。

ハルマゲドンは必ずくる!しかし外部の人間からみれば内心「来なければならない、来て欲しい」と望んでいるようにしか思えない。自分自身決してそんな「放射能ハルマゲドン」などくるとは思わない。ノストラダムスの大予言やマヤの大予言と同じオカルトに過ぎないと考えている。預言者の木下さん、ハルマゲドンがはずれた時はどうするんだろう。まさか自分の超能力で回避させたなんてはいわないでしょうね?


庭山市議の放射能「保守」主義

2012-06-22 13:53:19 | プロ市民煽動家

群馬県桐生市の庭山由紀市議が、ツイッターでの「輸血忌避」のつぶやきで市内外で問題になり、市議会で除名処分を受けた。庭山市議は過去にも市内の農産品拒否で地元の農家の怒るをかっており、その放射能忌避は折り紙付きだ。

市議として立場上今回の除名は当然だと思うが、今その是非を問題にするつもりはない。ただその放射能忌避はどういう性格で如何に政治活動に反映されているかが興味をもつ。「由紀日記」なる彼女のブログにそれが如実にでている。

私と桐生市議会議員の皆様と根本的な違いは、放射能がいかにキケンであるかという認識の違いです。放射能が与える健康被害について、専門家の意見が両極端に分かれています。私たちが愛してやまない子どもたちの命と健康は、誰も責任のとりようがありません。そうであるならば、命と健康の問題については保守的になるべきです。放射能はどんなに少量でも健康に影響があるという考え方に立って、私たちが愛してやまない子ども達を放射能から守ることをすべきです。

特に、「命と健康の問題については保守的になるべき」という箇所だ。おそらく彼女の立ち位置からすると、いわゆる市民活動家であり、思想的には「左翼的色彩」が強い感じがする。その彼女が、この件に関しては「保守」を強調する。しかしここでの「保守」の実態はそんなきれいごとではない。彼女がいみじくも指摘する通り「放射能はどんなに少量でも健康に影響があるという考え方」=「放射能危険原理主義」に基づいているのだ。

その最たるものが今回の「輸血拒絶ツイッター」なのだが、「桐生市は放射能に汚染されている」という決めつけにも表れている。彼女によれば桐生市が「放射性物質汚染対処特措法に基づく汚染廃棄物対策地域、除染特別地域及び汚染状況重点調査地域の指定を受けている」ことが「桐生は汚染地域」の同義となる。

しかし桐生市内の放射線量を見てみると、日常の生活圏は0.1マイクロシーベルト毎時以下であり、一部山間部が0.2を超えているに過ぎない。0.1マイクロシーベルト毎時など山口県の通常時の線量と変わりがない。「汚染状況重点調査地域」などとある通り、調査は必要だというのに過ぎず、彼女が曲解しているとしか思えない。

こうした見解が、市内の学校給食やガレキの広域処理の取り組み方に如実に表れている。子供の食品はセシウム不検出でなければならず、岩手のがれきは汚染を拡散させる以外の何ものでもない。

彼女の「放射能危険原理主義」が全ての抗議活動の基本となっている。そして「子供たちの健康」が枕詞につく。これは反原発活動家に共通した原理だ。特に有名作家・芸能人の独特の情緒によって拡散していく。坂本龍一しかり、瀬戸内寂聴しかり、山本太郎しかりだ。


武田教授煽り算「子供がガンで25.5万人死亡」

2012-06-21 09:51:09 | 煽りの達人

どうしてもこの人は叩けば叩くほどほこりが出る。ブログもつい「苦しい時の武田頼み」になってしまう。

被曝による子どものがん死・・・の責任だから理論武装(武田邦彦中部大学教授ブログ6月17日

「理論武装?」なんぞや、よくわからない。教授の核心部分はこうだ。


小児ガンによる死亡数は10万人あたり3人程度です(人口動態統計から。年齢は0才から14才まで)。これに対して「1年100ミリで発ガン率は100人に0.5人だから大丈夫」という事との比較をします.


1年100ミリの被曝によってガンになる人は「100人に0.5人」と言うことは「10万人あたり500人」です。医療関係の疾病数などは常に10万人あたりで表示するのが普通です.


子どもは大人に比べて3倍の危険性があります。つまり子どもの場合、10万人あたり1500人です。つまり1年100ミリの被曝は子どもがガンで死ぬ可能性を通常の状態の500倍にするということを意味しています(普通は3人で、1年100ミリなら500倍になる)


小児ガン死は10万人で3人ですから、日本の小児人口が約1700万人(2011年)なので、全部で510人です。それが山下医師の「1年100ミリで100人に0.5人」という数値では小児25万5000人という膨大なガン死が予想される事になります。


いつのまにか510人の小児ガン死亡者数が放射能被曝で25.5万人にふくらんだ。これは、御用学者と武田教授が呼ぶ山下俊一福島県立医科大学副学長の安全説に異議をとなえるものだ。

一見理屈にかなっていそうだが、次の大事な2点を武田教授は見落としている。

1、25.5万人のガン死は子供時代の死ではなく生涯を通じての総数であり、1700万×30%=510万人(ガンで死亡する総数)と比較すべきだ。

2、そもそも100ミリシーベルト被曝した子供はどれ位いるか。皆無に近い。

まず1を考える前に武田教授の前提として子供全部が100ミリシーベルト被曝したとして計算している。これは2の検証で見当違いも甚だしいのだが、百歩譲って武田説を前提で計算してみる。

小児ガンはその名のごとく子供のころ(0歳~14歳ごろ)に発症する病気だ。そのうち死者数は武田教授の資料を信じるとすると10万人当たり3人になる。なんと全死亡者数の0.003%。したがって日本人のガン死のなかでもほんの微々たる数字だ。日本人の毎年の死者のうち3割がガン死であるから、ガン死のなかでも小児ガンはほんのわずか0.01%ということになる。

武田説によれば子供の被曝がない場合、1700万人の子供が小児ガンで死亡する数は510人だ。ただこのうちのガン死総数は3割の510万人だ。教授にいわせると被曝で25.5万人ガン死が増えるという。しかしこれは決して「子供の死」ではない。1700万人の全生涯でのガン死増加数である。平成20年の統計をみると20歳以下での死亡は6442人で全体の0.56%にすぎない。99.44%が「大人の死」である。武田教授はもしかして「これは平常時の統計であって原発事故という惨事があったのだから、これまでの統計は通用しない」と反論するかもしれない。しかしかつての原爆被爆やチェルノブイリ事故を見る限り死亡要因の目立った変化は認められない。

したがって25.5万人を小児ガンの通常の死者数と比較するのは意味がない。510万人の全体のガン死者数と比較すべきだ。するとガン死の5%になるが、(25.5万人の)内訳はほとんどは胃ガン、肺ガンなどの成人病になるはずだ。5%というのも武田教授の「危険理論」(子供の放射能の影響は大人の3倍)に基づいている。実際はもっと少ないとする意見も多い。

武田教授は「小児25万5000人という膨大のガン死が予想される」と書いている。現在子供のガン死とは小児ガンが大半だ。「『小児ガン』による膨大な死」と書かなかったのがミソだ。自分なりにその後の反論を予想して防衛線をはったのかもしれない。しかし教授の論調は「小児ガン」が500倍になって25.5万人の犠牲者が出る、といっているのと同じ意味といってよい。これが絵空事であることは以上の説明で分かるだろう。

次に2の件だが、事故の実態を見る限り、全国北海道から沖縄まで1700万人の子供が100ミリシーベルト以上被曝したとは全く考えられない。原発作業員を除く一般の人で100ミリを超えた人はいないというのが専門家一般の定説になっている。これも百歩譲って危険のグレーゾーンとされる20ミリ以上を基準にしても子供の被曝はなかったと福島県の最近の調査で報告されている。「1700万人の子供100ミリシーベルト総被曝」などというかつての週刊現代が煽ったようなカルトまがいの数字をいまだ使う神経が理解できない。

要するに「原発事故の影響による子供のガン死の増加はまずあり得ない」というのが私の結論だ。まして小児ガンの増加などさらに考えられない話だ。

武田教授の反論を待ちたいが、無理だろう。武田教授のブログは今も50万人に閲覧されているという。自分の「しょぼい」ブログからすれば、月とスッポンだ。しかしこの教授はこんな煽り記事ばかり書いていて楽しいのだろうかとつくづく思う。人を脅したり、傷つけたりして何が面白いのだろうか。つまらない人生だなと、半分やっかみ気分で思う今日この頃です。


梅雨雑感

2012-06-15 07:32:33 | 一般

梅雨時の最中、すっきりしない日々が続く。自分のブログも最近どこかもやもやが残る。記事の趣旨の是非には自信があるつもりだが、時に細部の事実関係に誤解が見られる。どうも毎日書き続けて、記事対象の取材能力に疲労がでてきたようだ。

昨日でやっとというか、閲覧のカウンターが2万を突破した。1万を超えるのに5ヶ月半かかったが、今回はちょうど3ヶ月だった。始めの1ヶ月と比べると1日の閲覧が3~4倍ぐらいになった。自分の拙いブログを読んでいただけて素直にうれしい。

ただ今でも、自分の記事がどう読まれているかはよくわからない。たまにブログを閲覧された何人かにより取り上げていただく。そんな時は急激に自分の方に訪問者が増える。しかし自分の少々ひねくれた性格のためか「疑問」を呈すコメントも少なくない。まあ人の性格は早々変わらないから今後もこんな調子でいくのだろう。

ただ、先にも述べた通り、ここへきて取材力の疲労が出てきたようなので、少し「休筆」したいと思う。とりあえず1週間、骨休みします。なお昨日書いたブログには一部事実関係に誤りがあったので削除させていただきます。