粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

津田リポートを読んで

2012-06-10 11:07:43 | ガレキ広域処理問題

ジャーナリスト津田大介氏といえば、脱原発論者としてよく知られている。彼のツィッターなどをみると少し過激なところもあるのかなと思えるが、必ずしもそうではないようだ。なんと彼が環境省が進めるガがれきの広域処理問題に関して、ピーアール記事を書いているのだ。(環境省がすすめるがれき広域処理の意味ー前編後編

はてなブックマークという情報サイトが、環境省の依頼を受けてジャーナリストに取材させて、そのリポートをネットで発表する企画だ。なんと津田大介氏に白羽の矢がたったのだ。環境省もなかなか粋なことをやるものだ。政府の原発政策に相当批判的な津田氏を起用するとは。

その経緯はわからないが、単なる環境省の提灯記事を出しても無意味と判断したのだろうか。津田氏の記事は、一方的な立場の主張に偏よることなく、公正で妥当な内容におおむねなっているといってよい。がれき処理に賛成する側も反対側も共に一読の価値ありとお勧めしたい。

記事は前編と後編に分かれいささかは長大だ。前編は主に広域処理の必要性について、後編はその安全性に関してである。前編の必要性についてはこうだ。

被災地には、広域処理が必要な地域があれば、そうでない地域もある。重要なのは、その単純な事実を多くの人が知ることで、必要な地域に必要な手当てがなされていくように、現状をよく見て、うまく進むように変えていくことだ。

自分もこれに全面的に賛成だ。被災地で処理ができればそれに越したことはない。しかし現状を見ると、地元では到底処理できず、他地域の協力が必要なところも相当ある。特に都市部から離れた漁村部がそうだ。そうした現実に迅速に対応することが必要だと思う。

後編の広域処理の安全性、特に放射性物質の健康への影響であるが、「危険派」の児玉龍彦東大教授のコメントを紹介しつつ環境省の考え方を詳細に伝えている。

特に焼却灰セシウム8000ベクレル/キロ以下を基準としていることについてだ。処理に従事する関係者は年間1ミリシーベルト以下、最終処分場周辺の住民に及ばす影響は年間0.01ミリシーベルト以下の被曝という基準で算定されたものであるということだ。

これには2005年に制定された放射性物質の扱いの基準を100ベクレル/キロ以下とした法律に反するとの批判がある。しかし「放射性物質として扱わないレベル」で再利用が可能なものと、処分場で埋めて隔離するものとの違いであると環境省は強調している。

その基準に異論を唱える自治体(札幌市、徳島県など)もあるし、児玉教授などもそうだ。ただ8000ベクレル/キロというのは主に福島県内のゴミ焼却を念頭にいれて決められたようだ。広域処理に限って基準を下げることは二重基準となり、逆に福島差別になるという環境省の立場もある。

しかし最近の静岡県島田市の焼却の例で焼却灰自体が100ベクレル/キロ以下であることを考えると、「放射性物質として扱わないレベル」になっている。自分が思うに札幌市や徳島県の主張自体が、的外れにものになりつつあるのが現状だろう。

津田氏は、こうした環境省の安全性の主張に理解を示すとともに、注文をつけている。情報の徹底した公開だ。そもそも広域処理問題がこれだけ混乱しているのは、政府の情報公開が充分でなかったことが原因だとしている。その基本要素として、公開性、正確さ、冷静さ、わかりやすさ、タイミングを挙げる確かに今後はこうした観点から、政府特に環境省は可能な限り情報の徹底公開をはかるべきだろう。

以上、津田氏の主張にはおおむね賛成だ。ただ2点だけ彼の結論から欠けているものを挙げておきたい。

彼は人間論的にいって性善説をとっている感じがする。政府がもっと首尾よくやっていれば問題は起こらなかった。国民は本当のことを言われれば納得する、と。

しかし媒介するメディアが、本当に政府の見解を正しく伝えていただろうか。はなから政府の言っていることは嘘ばかりと決めつけ、逆に煽り情報を流し続けたメディアも少なからずあった。それも自分たち特有の反原発観から恐怖情報を意図的に流布した面もあり、これにより多くの国民に不安感を増幅させたのも事実だ。ガレキ問題にしても然りだ。また国民にも政府は信用できないという先入観がなかったと言い切れるだろうか。

情報の伝達には発表する政府と。それを伝えるメディアそしてそれを受け止める国民三者が、互に信頼関係が充分なければ成立しない。一方的に政府ばかりを問題にするのはフェアーではないと思う。

それとがれき広域処理問題でいえば、反対の先頭に立っている人々は最初から過剰な放射能忌避で凝り固まっている点だ。かれらに政府や自治体が理を尽くして懇切丁寧に説明したとしても、はたして納得するだろうか。これまでの彼らの言動を見ても悲観的にならざると得ない。もちろん過激に反対する人は一部だと思う。大半は説明次第で理解する人も多いだろうが、現実にはこうした「反対のための反対」のグループに引きずられているケースが多いのも事実だ。その辺の実態を見逃してはならないと思う。