粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

東京新聞の都知事選「世論」調査と隠れた本質

2014-01-26 13:29:25 | 反原発反日メディア

25日東京新聞の都知事選に関する世論調査の記事は、いかにも「東京新聞らしい」内容であった。

原発についての公約を重視するかとの問いに16・4%が「大いに重視する」、43・3%が「ある程度重視する」と答え、六割が原発について候補者の発言に注目していることが分かった。(調査1)

新知事に力を入れてほしい政策としては「医療・福祉」が最も多く26・4%。これに「教育・子育て」が18・2%で続き、「原発・エネルギー政策」と「防災」(ともに14・3%)の順となった。(調査2)

調査1が調査2より記事では先にきていて、「原発を公約で重視するか」という設問が、各種公約の優先順位の設問に「優先」している。「六割が原発問題を重視している」ことがこの記事の「趣旨」になっている。「都民はやはり原発問題に関心があって、某候補のシングルイッシューは間違っていない」と東京新聞は言いたいようだ。少なくとも意地の悪い拙ブログにはそう思える。

ただ、調査1で「大いに」と「ある程度」では意味合いにおいて相当な開きがある。設問で「原発問題に関心がないか」と問われれば、昨今の世情からすれば大方の都民は「ある程度」は関心があると答えるのではないか。43.3%という数字がそれを物語っている。これを「大いに」と合計して六割にもっていくことは「強引」な結論だと思う。

次に、調査2でよく注意すると「原発・エネルギー政策」といつのまにか「エネルギー」が加わる。公約の選択に「原発」と単独にしたらまた結果が変わってくるのではないか。実際はもっと下がってしまうはずだ。「エネルギー」という言葉が加わることによって公約がより幅広く一般的な政策のように都民は思ってしまう。

世論調査の設問や記事の取り扱いで相当読者に対する印象が違う。さずが脱原発ならぬ反原発を社是とする東京新聞だけのことはある。

ところで、この原発・エネルギー政策であるが、東京新聞を始めとして原発ゼロか否かが焦点になっている。そして、そのために原発再稼働を容認するかどうかが問われる。しかし、この再稼働問題で全くいってよいほど考慮されていない視点がある。それは「電力料金の値上げが企業の経営や都民の生活を圧迫している」問題である。

実はこれは都民を目下直撃して深刻な問題の一つになっているのだ。原発が止まって化石燃料の輸入が急増してそれが電力料金に跳ね返る。一昨年東京電力管内で平均8.46%の値上げをしたが、平均家庭で年間2万円前後の余計な出費である。不況に苦しむ都内の中小企業ではさらに経営を圧迫させているのだ。

東京電力は、この夏、柏崎刈羽原発が再稼働しないとさらに10%の値上げを検討しているという。それを考えたら、別な意味で「原発・エネルギー政策」は都民とっては重要といえる。そうした現状を理解しないで「再稼働反対」などと安易に公約でぶち上げる。余生を陶芸に打ち込めるお殿様や原発ゼロに情熱を燃やす劇場型政治家にとってこうした現実とは無縁なのかもしれない。