粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

真っ当な田母神ツイート

2014-01-12 14:10:21 | 過剰不安の先

福島県が県外に放射能避難をする人たちへの支援を打ち切ったことが批判的に報道されています。そして避難希望者が住居選択の自由を奪わないよう署名活動をして福島県に提出したそうです。人の支援を得て避難することが当然だという風潮はおかしい。自分で勝手に避難しろと言いたい。甘えるな。

これは元航空幕僚長の田母神俊雄氏が、1月10日に発したツイートだ。ここでいう「県外に放射能避難をする人たち」とは、原発事故で強制避難を余儀なくされた人のことではなく、福島県内で特に避難指示されていない地域から、放射能被曝による健康不安により避難した、いわゆる「自主避難」の人々のことをいうようだ。

その人々に対して福島県が県外支援を打ち切るという。これは至極当然だと思う。自主避難の人々は、将来はともかく今は帰還して福島県民に戻るつもりはないのだからだ。以前、福島県から愛媛県に家族で自主避難した一家の母親が「これから子どもを愛媛県民として育てる」とテレビで語っていたのを思い出す。

そこまで、はっきりいわないまでも、「私は故郷から切り捨てられた」と母子避難の母親がやはりテレビで窮状を吐露していた。しかし、この女性は逆に「故郷を切り捨てた」ともいえるのではないかと自分自身疑問に思った。

というのも、被曝による健康被害を一部マスコミや学者、市民活動家が今なお盛ん喧伝しても、福島では大多数の県民が日常生活をおくっているのだ。一部には避難したいものの、事情があってできない人もいるだろうが、多くは福島で生活しても問題がないと考えているのだ。福島県にしても、そして日本政府にしても見解としてはすでに県民が日常を送る分には放射能の影響は問題のないレベルと考えているわけだ。

だから、そうした現状に背を向けて今なお県外に住み続けることは、福島県民から見れば「故郷を切り捨てた人々」と映るのは自然な事ではないか。当然福島県も政策は福島に留まる県住民を対象にしたものにならざるを得ない。他県民になろうとする人々や福島県民でいることを拒否している人に対して、福島県が支援をする整合性はないといえる。逆に、それは自主避難をした当地県や市町村が彼らを支援すべき性格ではないかと思う。

ところで、問題の田母神ツイートだが、今は削除されているようだ。おそらく、都知事選に出馬を表明している田母神氏が(支援者の助言で?)選挙戦の悪影響を懸念して削除したものと思われる。確かに「甘えるな」というのはストレート過ぎて、脱原発派の候補者やそれを支援するマスコミからは格好の攻撃材料となるであろう。

そのための防衛措置かもしれないが、自分には削除はとても残念である。すなわち、原発事故問題の核心を突いているからだ。今も日本全体を覆っている原発事故騒動、放射能被曝がどれだけの健康被害を及ぼすかわからないという漠然とした不安である。

細川元総理の都知事選出馬が取りざたされているが、自治体の首長選挙で今なお、彼が「脱原発」で選挙に挑む事が大きくマスコミの脚光を浴びる。それだけ事故のトラウマが国民を覆っているといえる。

しかし、実際のところ放射能被曝が一部マスコミがいうような深刻なものといえるだろうか。最近次々発表される内外の公的機関の報告書は全てといってよいほど、福島の事故による国民特に福島県民の被曝(これは低線量被曝)は軽微で問題ないレベルであることを示している。

もちろん、事故そのものは対策をしっかりとらなければ深刻な被害をもたらすことは当然だ。しかし、一部問題(避難方法の不備)はあったが、今回の事故では全くいってよいほど健康被害被害はでていないし。将来的にも可能性は極めて低い。

田母神氏は、こうした現況をふまえた上で発言したと思う。そして被曝の影響を今なお過大に煽っている特定の人々への問題提言だともいえる。あるいは、田母神氏は当の福島県郡山出身だ。故郷を愛する気持ちから出た同郷人への叱咤激励と解釈したい。