粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

武田教授の沈黙は金

2013-03-17 15:12:25 | 煽りの達人

あれほどの饒舌はどこへ行ったのだろう。「沈黙は金」とはよくいったものだ。「環境省が発表した福島県外3都市の甲状腺検査結果、福島県と違い見られず。」これまで反原発の論陣が、原発事故の「深刻な影響」を盛んに喧伝していた。特に福島県から「子供の甲状腺がんが3人判明、その他7人も濃厚」という経過報告があった時にはそれが頂点に達した。

武田邦彦中部大学教授もその一人というか、「急先鋒、トップリーダー」というべきだろう。なにしろ、教授は自分のブログ(2月14日)で「福島の子供の甲状腺がん発症率は平時の50倍」と号外を出すようなはしゃぎぶりだった。しかも、当初は「10倍」としていたが、計算方法を改めたら一挙に「50倍」に跳ね上がった。それをブログで断りなしにこっそりというか、堂々と書き換えた。その俊敏さは、教授の「若さ」の証明だろうか。

ところがその後の環境省の発表、これは反原発論陣には衝撃となった。早川由起夫群馬大学教授など、一部がその感想をツイートで反応しているが、環境省の発表を覆すものにはなっていない。検査方法を問題にしたり酷いのは日本全体が汚染されているという極論まで飛び出す始末。

そして武田教授、環境省の発表から1週間以上たっているがいまだにこれについての反論がみられない。その前のWHOの報告書問題に対しては、一応ブログで異議を表明(3月1日)したが、ブログを読んでも反論になってはいない。WHOが昔間違ったことがあるとか、原発推進派に加担していて中立でないとか。しかし、この論法を環境省に対しても再度適用させるのは、学者の良心?が許さないのか。

都合が悪いと黙りを決め込む。「甲状腺がんが50倍の頻度」という当初の武田ブログ(2月14日)にあった一節を思い出す。

通常はお医者さんというのはできるだけ病気にならないように、注意をされるのが普通ですが、福島の医師団だけは「病気になる危険を冒せ。病気になってもかまわない」という態度に終始しています。

これを「暴言」といわないとしたら、教授はその理由を即座に示すべきだろう。ここ最近は反原発派には形勢不利ともいうべき情報が次々と入ってきている。しかし、これは日本国民、特に福島県民にとっては朗報というべきだろう。教授の沈黙は何を意味するか。ひょっとして「反原発」の宗旨を返上?桜の開花宣言(南関東)が出たことだし。まさか?