粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

本当に大地は汚されたのか?

2013-03-14 12:06:21 | 原発事故関連

昨日(13日)テレビで坂本龍一氏が、「日本への想い」を吐露していた。彼は、「日本」ということでまず浮かぶ言葉は「大地」だという。彼はその意味を詳しくは語らなかったが、後でコメンテーターが「原発事故の放射能放出で大地が汚されたことへの悲しみがあるのではないか」と「解説」していた。

最近久しぶりに動員が増えた都内の反原発デモにも、「大地を汚すな」というスローガンが踊っていた。坂本氏のようなアーチストが「大地」を口にすると少し知的で文学的な印象を与える。ただ、実際本当に原発事故によって「大地が汚染」されたのだろうか。

昨年夏、福島県飯館村の様子がテレビに映し出されていた。そこは住民が避難していて誰も人はいない。しかし、その農村は、緑が色濃く映え小川も豊かな水に溢れている。鳥や虫も鳴き声を競い合っている。どこが汚れいるのか。唯一田畑に雑草が生い茂っているのが以前とは違う。人間の手がしばらく加えられていないためだが、自然は本来の営みを失ってはいない。

ここ2年、警戒区域で動物が大量死したり、植物が一度に枯れたなどという話を聞いたこともない。あるいは、イナゴが大量発生したりしたなんてこともない。時々、蝶やシジミに奇形が出たなどという話も聞くが、それもデマだということがわかっている。

アメリカの大学の研究では、マウスに毎時100マイクロシーベルトの放射線を照射しても遺伝子に異常はなかったという。それでなくても、自然界には既に放射性物質は至る所に存在し、動植物は放射線を毎日浴びている。花崗岩や大理石から絶えず被曝しており、日常被曝から無縁ではありえない。

また海洋についても同様だ。原発周辺の港湾は海水や海底の土壌で依然高濃度の放射性セシウムを含んでいる。時々近海魚からキロ数万ベクレルのセシウムが検出されニュースになる。ただそうした魚が大量死して海面に浮いていたという話は聞いたことがない。原油の流失、赤潮の発生ではしばしばそんな光景を目にする。ある意味、原発の近海は漁も行われず、魚介類の天国かも知れない。

工場の排水、排ガス、あるいは農薬などによる有毒物によって大地、大気は汚染される。これは動植物にとって深刻な被害を与える。放射性セシウムとは違い、時間が経っても毒性が消えないものも多い。その点を考えたら、放射能ばかりを大地の汚染と結びつけて考えるのは問題だと思う。

もちろん、放射能が全く大地を汚染していないというつもりはない。ただ大地という母なるものが、生き物の営みの基礎になることを考えると、その恩恵が放射能によって失われている、などと人が声を張り上げるほどに簡単には言えないのではないか。