粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

武田教授への期待

2013-03-06 12:10:05 | 煽りの達人

この教授はどうしても「風評被害」という言葉にはつい過剰反応してしまうようだ。武田邦彦中部大学教授3月1日のブログ「読売新聞・社説の評価」でまた大手新聞に噛み付いた。

対象となる社説は読売2月25日「原発風評被害 放射能の水準から考え直せ」だ。民主党政権時代に決められた放射能汚染に対する防護基準が厳しすぎて、福島県産の農産物の流通の阻害要因になり、原発事故で避難している県民の帰還の妨げになっているという指摘だ。冒頭から「風評被害」の見出しが出てくる。これに負い目を感じる教授にはいたたまれない気持ちだったのだろう。

武田教授は例によって「年間1ミリシーベルト被曝」の原則を金科玉条のごとく振りかざして、それに異議を唱える読売に反論している。この点は池田信夫氏を始めとして武田説の矛盾が既に論破されているので、もはやここで改めて論じるつもりはない。今回特に気になったのは、世界の高線量地帯についての認識だ。

まず世界で1年10ミリシーベルト以上の自然放射線の場所があるというのは事実だが、そこに住む人が「日本人並みの健康を保つことができるか?」が問題である。

私の調査によれば、中国、インド、ブラジルのいずれもが平均寿命が低く、日本の昔のように「ガン」という病気すら知られていない場所であり、インドでは海上生活と陸上生活の区別がなく、ブラジルでは道路をコンクリートで覆って線量率が低くなっているが統計は混合しているなどの問題があり、「世界の高線量地帯が日本の生活のクオリティーを持っているか」の評価はない。

生活のクオリティーと高い線量とは全く関係ない。おそらく武田教授はクオリテーとして医療水準を中心に考えているのだと思う。そもそも高い線量で健康被害があるのに、生活のクオリテイーが低いために満足な診療が受けられないということではない。その線量では病状が見られないから診療の必要がないだけの話だ。また平均寿命が低いのは、発展途上国どこでもみられる。しかしこれら地域の人々の死因で、他の平均寿命が低い人々と比べて、「放射線被曝」によるガンや白血病などが特別高いという報告はされていない。

武田教授はインドの高線量地帯では日常は線量の低い海上で生活するから、実際はずっと低いことを主張している。しかし、これも海で漁をする成年男子に限られる。陸地で普段生活している女性や子供は該当しない。

確かに教授が指摘するように、ブラジルの地域では都市化が進みコンクリートが増え実際の線量は低くなっている。しかしそれも1970年代からの話だ。それ以前は年間10ミリを超える環境が続いてきたのも事実だ。

他のイランや中国などはどうなのか。武田教授は、適当に自説に有利なデータだけを拾って論理を進めているにしか思えない。さらに「日本の昔のようにガンという病気すら知らない」という物言いも失礼な話だ。武田教授はそう断言するほどこれらの地域が未開で知的水準が低いのか。自分にはそんな酷いとは思えない。

「結論ありき」で事実を歪め、論理が破綻しているのはまずい。読売新聞はその歴史と伝統を重んじ、日本をリードする新聞としてもう少しシッカリした論説をすることを期待する。

おそらく「日本をリード」していると自負されている武田教授には、そっくり教授の結論をお返ししたい。「しっかりした論説」をすることも期待する。