粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

自主避難問題の根本原因

2013-03-18 16:36:02 | 過剰不安の先

原発事故による避難のうち、自主避難と呼ばれるものはなかなか政府や自治体の支援が得られず厳しい状況に置かれている。特に母子だけの避難は、地元に残る夫との確執で離婚問題となって重くのしかかっている。

少し前の記事(3月11日)だが、産経ウェブによると、西日本での避難を支援している大阪市の団体がアンケートしたものには深刻な内容が多い。突然届いた離婚調停の書類、止められた仕送り…。また家族で避難したものの、夫婦間で考え方の違いからいざこざが絶えないといった悩みは多い。

しかし、この問題の根本にあるのは支援者が指摘する通り、「これ以上放射能の危険に子供をさらしたくない」という母親たちの不安に尽きると思う。これが解決しない限り、いくら支援をしても根本の解決にはつながらない。そういう点で母親たちの心のケアが先決だ。

最近のWHOの報告や環境省の発表をなどを見る限り、福島を含めて東日本の放射能被害は軽微であることが続々明らかになりつつある。今こそ放射能を冷静に考えるべきなのに、残念ながら、不安が覆っている彼女たちに「正しく放射能を恐れる」ように諭しても無理である。要はこれを社会問題と捉え世間的な総意が出来ていなければならない。いまだ、福島には住めない、とか東日本が汚染されているなどとデマがまかり通っている間は無理である。食物などの内部被曝などフィクションといえるほど無視できるのに、何かとケチをつける偽専門家の主張が通用するようではなおさらだ。

そのためにも安全というより安心を心理的に担保できる社会を醸成していき、放射線被曝を過度に恐れる人々が戻りやすい環境をつくっていくことが大事だろう。間違っても、カルトの親玉のような人々に引き寄せられるような事態は避けなければならない。

アンケートの回答に子供に関するこんな悩みがあった。

「子供が福島から来たことを人に言いたがらない。突然の避難と転校、父親との別居、さらに引っ越しなどがあり、子供の心に何も影響がなかったとは思えない。」

子供のためと思ったことが、逆に子供たちを傷つけていることも多いのではないか。だとしたら、何のための避難か分からない。将来を担う子供のためにも、この問題を深刻な社会問題として国が率先して考えなければならない時期にきていると思う。