粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

対馬さえ盗まれる?

2013-03-16 11:36:16 | 厄介な隣国

今回の韓国仏僧の対馬訪問、その意図が分からない。盗まれた仏像は確かに14世紀中頃韓国でつくられ、浮石寺に安置されてはいた。しかし、その後の李氏朝鮮時代にはいり、仏教が弾圧され仏像破壊が酷かったという。それを受けて駐在の日本人が仏像を日本に持ち帰り対馬の観音時に安置し保護し続けてきた。韓国の寺側は当時の倭冦がどさくさに紛れて略奪したと主張している。ただ、それを言い出したのはつい最近1988年、国交を回復して20年以上も過ぎている。

対馬と言えば、江戸時代朝鮮使節を江戸に向かい入れるために、当地の殿様がその橋渡しをしてきた。朝鮮と対馬は長く友好関係を続けてきた間柄だ。その間観音寺の仏像が盗難云々で問題になったことはない。現在に至るまで対馬は韓国と密接な関係が続いている。観音寺の仏像は昔から、悪く言えば帰属問題が見逃されてきたし、よく言えば追認されていたのだ。いや観音寺の住職の言うように破壊から守ったということで韓国から感謝されてもよいはずである。

それを最近になって、韓国の寺のものだというのは唐突過ぎるし、極めて礼を失していると思う。韓国の裁判所が自国の仏像だとして返還を留保をする判決をしたのは到底理解出来ない。大英博物館にあるエジプトやギリシャの文化財とは性格が違う。観音寺の仏像を長く日本で保護され対馬島民にとっての大事な心の拠り所になっている。長崎県の指文化財になったのも当然だろう。言葉は悪いが、今回の韓国側の態度は「盗人猛々しい」といえるのではないか。

現在の竹島も戦後まもなく李承晩大統領が一方的に領有を主張し、あっという間にそれが既成事実化されてしまった。李承晩は当時、なんと対馬さえ韓国領だと主張していた。李氏朝鮮時代に対馬の使節が島が王朝に帰属していることを認めた文書があると主張しているが、これは偽書と考えられている。しかし、今日でも韓国で自国領を主張するグループがあり、教科書にそれを明記するように働きかけているという(ウィキペディア「対馬」韓国の対馬領有権主張より)。嘘も100回つけば本当になるとヒットラーは自著に書いていたが、今回の仏像盗難事件を見るとそれも決して冗談と見過ごすことは出来ない。