粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

母娘の会話

2013-03-11 13:59:16 | 震災全般

遠藤未希さん(当時24歳)、宮城県南三陸町で町民の避難を呼びかけながら押し寄せる大津波の犠牲になった。

「大津波がきています、早く早く高台へ逃げてください。」津波の荒々しい音にも負けないほどに強く、無線から発せられる叫び声が今でも思い出される。そしてその様子を後でビデオで見た母親の美恵子さんが「まだ言ってる、まだ言ってる」と何度も繰り返す様子は、聞いていてこちらもつらくなる。

美恵子さんは、娘が町の職員になることを勧めたことを震災後悔やんだという。しかし後になって娘が将来の自分に向けて書いた手紙を見つけた。おそらく自分が嫁ぐ時のことを想像したのかも知れない。その中に「お母さん、私を産んでくれてありがとう」という言葉があった。美恵子さんはテレビで「これを読んで少しは気持ちが軽くなった」と語っていた。

おそらく、震災前まで平凡だが、家族内で濃密な時間が流れていたのだろうと想像される。美恵子さんは、震災後水産加工の工場で働き始めた。テレビで、同世代の女性たちとわかめを仕分けする様子が映し出された。世間話が飛び出すような職場でも、おそらく娘の昔が脳裏をしばしばよぎるに違いない。懐かしく、愛おしく、今も心の中で娘と会話しているのだろう。