心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

「芸術がいま地球にできること」

2008-05-21 | つれづれ
                       昨日の薫風 (半紙)



薫風は夏の季語。
大辞林によれば「初夏、新緑の間を吹いてくる快い風。」

5月は風薫る季節の・・はずなのに、今年はあまり実感がない。

昨日はちょうど通勤・通学時間の頃に、関東地方も激しい雨と突風。
最近、突風がよく吹くような気がする。

中国の大地震、ミャンマーのサイクロン被害。

身の回りの悲しい出来事も、社会や政治の不条理や、災害や戦争、紛争、
自然破壊も、考えると無力さに気持ちが滅入ってしまうことばかり。

だからと言って、諦めたり、開き直ったり、無気力になって拒絶してたら
きっとそっちの方が、人生辛くなるばかり 

時々くじけそうになることもあるけど 
ある1冊の本が、前向きに何かをし続ける勇気をくれた。

それは 平山郁夫 対談集 「芸術はいま地球にできること」 芸術新聞社

平山さんは「文化財赤十字」を旗印に、深刻な紛争の原因になっている
宗教問題、民族問題を抱える地域の文化財保護のための国際的な活動を
通して「文化による相互理解」を模索、実践されている。

この本では、阿川佐和子、梅原猛(哲学者)、小和田恒、司馬遼太郎、
渡辺淳一、村上三島(書家)、江崎玲於奈、三笠宮崇仁など18名の
著名文化人と「芸術による国際貢献」について語り尽くされ。

まずは自分の国の文化を知り、それを伝えようとすること、
けれど一方的にではなく、相手の文化を理解した上で、お互いを尊重しつつ。
力では得られないその信頼関係は、未来に向けて何ができるか。。

それは、身近な人と人との関係にもつながっているなぁって思った 

先行き不安を煽るニュースや現実の中、恥ずかしながら、自分を生きることしか
できないけれど、毎日を前向きにいられたらって思う。

この本は、何も芸術家でなくても、日々の繰り返しの生活の中で
「こんなわたしにもできること」を教えてくれた・・かな 
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いつか見つけられたら

2008-05-20 | 
                         (はがき)
               
   

   できるならば おおらかに生きたいなぁ。
   できるだけ やわらかく自由な心を持って。

   晴々と のびのびと。
   清々しく 素直に あっけらかんと。
   たまにはたくましく たまにはかわいらしく。

   なるべく隠さず 裸で生きたいなぁ。
   たとえ多くに受け入れられなくても
   ほんの数人 共に笑えたらそれでいい。

   人はもっとやさしく生きられるはず。
   人はもっと楽に生きられるはず。

   いつかそんな生き方を見つけられたら
   近くにいる誰かに伝えられるといいなぁ  

   さっき、みーにゃの寝顔を見ながら
   そんなことを考えていた。



              



 
京都で着物等のデザインをされているJOGANさんの、ちょっと色っぽく
楽しいエッセイもあるブログ 和柄 デザイン 京都 をブックマークに加えました。
是非お立ち寄りくださいませ。

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井上有一と尾崎放哉

2008-05-19 | 書展・展覧会情報
             ‘91年 大きな井上有一展 図録より 「質素 五十六才 井上」
                      (どこか質素?って迫力!)




おとといの土曜日、モディリアーニ展のあと、六本木のウナックサロンへ。
このウナックサロン、実は大学の頃から一度行ってみたかった所。(一体何年前だ~) 

住宅街の中の普通のマンションのような建物で、入口のインターフォンで呼ぶと開けてくれる。

 ←中は8畳位の展示スペースと奥に別室あり

ちょうどこの日の16:00~「放哉を語り合おう」という特別講座があるとかで
始まる5分前に到着した私と母は、慌てて作品を拝見。

井上有一を彷彿とさせるお方や、何やら独特のオーラをお持ちの方々の間を縫って
あっという間に出てきてしまった。ちょっと残念。
私ひとりだったら参加したのだけど、ややお疲れの母に2時間の講座はキツイかと思い
またの機会を楽しみに 

作品はこの「爪をきったゆびが十本ある ほうさい」他、10点位だったかな。

よく山頭火と放哉は、漂泊の俳人として並べて評されるけれど、
なぜ有一は山頭火ではなく、放哉を書いたのか・・・。

 ←ウナックサロンのちらしから


そこで放哉について知りたくなって、改めて家にあった本を開いてみた。

 尾崎放哉(おざきほうさい)

帝大卒業後、会社重役とエリート街道を極めながら、あまりのプライドの高さから
どこへ行っても何をしても世俗に馴染めず、酒に溺れ、寺男になってからも
戒律も守れず追い出され転々とする。
そんな破滅的な生き方をしつつも、人々に生活の面倒を見てもらっていた放哉。
最後は漁師の夫婦に看取られ、42才でこの世を去る。

「爪きったゆびが十本ある」
当たり前のようだけど、放浪し世捨て人となった放哉にしたら、
ゆびが十本あることが、有難くも不思議だったのかな。。

一方、井上有一は。
書壇から一切断絶し、激しく嘔吐し続けるかのごとく書きまくっていた。
彼の詩にこんなのがある。

メチャクチャデタラメに書け。
ぐわぁーとブチまけろ。
お書家先生たちの顔へエナメルでもぶっかけてやれ。
狭い日本の中にうろうろしている
欺瞞とお体裁をブッとばせ。
お金でおれを縛り上げても
おれはおれの仕事をするぞ。
グワーっとブッタ切ってやる。
書もへったくれもあるものか。
一切の断絶。
創造といういう意識も絶する。
メチャクチャデタラメにやっつけろ。


 ←後姿からも・・・


放哉と有一、どこか響き合うところがあったんでしょうね。。
改めて、山頭火と放哉についても、もっと知りたくなりました



 
新しく左のブックマークに、ぐりさんのほのぼのとしたイラストと、
ことば遊びが楽しい ぐりのぐりぐりおえかきぶろぐ を
追加しました~ 
ぜひお立ち寄りくださいませ~
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モディリアーニの線に惚れ惚れし

2008-05-18 | 書展・展覧会情報
                カリアテッド「大きな赤い胸像」(習作) 
                      今回買ったはがき




行って来ました~モディリアーニ展。
混んでるらしいと聞いていたのですが、土曜日なのにゆったり観れました。

以前の展覧会で観たことのなかった作品もたくさんあり、また今回は
行く前に少し勉強してから行ったので、見方、感じ方も違いました。
今更ながら、やっぱり「学ぶこと」は大事ですね 

今回の展覧会のテーマは、モディリアーニとプリミティヴィズム(原始主義)とか。
観に行こうと思っていてまだの方もいらっしゃると思うので、ちょこっとだけ。。

モディリアーニというと、人物、長い首、憂いをもった表情、独特の青い瞳、
あるいは瞳の無い目、暗い配色の背景という印象が強いけど、
無意識に好きって思うのは、昔も今も、この「大きな赤い胸像」のような
単純でより純粋な作品や、鉛筆で描かれた強い線のデッサン。

↓ そういえば・・と、随分前の展覧会で買ったはがき。
 
 ←このデッサンシリーズばかりある


そうか・・私の好きなものは、やっぱりずっと変わらないんだ・・と
改めて確認。 
そしてそれはちょっとした安堵というか、自分への信頼を得たというか。

今日間近で観たデッサンの生の線は、書でいうと木簡のリズムや
甲骨文に似ているって思った。

1本の線を「点」から捕らえて(始めて)いるのではなく、体のリズムに
まわりの空気を織り込んでいるから、始筆と終筆がわからない。
つまり、どこから描いて、どこで終わっているのかがわからない。
すると空間が静止せず、大きな世界を感じるっていうか。

その生き生きとしたリズムの線や、迷いのない確かな線の錬度。
1本の線にこれ程までに強いメッセージと存在感を感じたのは、初めて。
そして作家の人生や背景を知ることで、より興味を持てるし、作品の見方も
変わってくると実感。

この確かな線が、私は書けるか・・・ う~ん。否。
捨てなきゃ。 そして書かなきゃ。 書かなきゃ。

モディリアーニの「線」に惚れ惚れし、1週間遅れの母の日ってことで
美術館の中の三ツ星レストランでランチを頂き、のんびりしすぎて
もうひとつの目的、井上有一展へは時間がなくタクシー  で移動。

そのお話はまた。。。 歩きつかれて腰が痛い・・

コメント (7)
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井上有一と寺山修司

2008-05-17 | 書の話
                       「楽道忘貧」  (半紙)




自分の好きな道を楽しんでいると、貧しいとか苦しいとかは忘れてしまう の意。
(迫力出るように、画像も大きめにしてみました~  )

楽道の反対、道楽は本業以外のことに熱中して楽しむこと(大辞林より)とあるから
だいたい同じ意味なのかな。
(でも道楽っていうより、楽道って言った方が、かっこいい気がする )
ちなみに父の道楽の雅号は「楽道」 


この「貧」と言う字で思い出すのは、なんと言っても井上有一。

     
↑‘91年「大きな井上有一展」図録より         ↑ウナックサロンHP より



学校の先生をしながら、書に没頭、その激しい生き方はあの 糸井重里氏 も魅了し
80年代「貧」の作品は、西武百貨店の広告にも使われていた。

貧しくて何が悪い!
そもそも貧しいって何だ!
堂々と生きてやる!

そんな気迫に満ちた作品は、彼の圧倒的な存在感そのもの。

以前にもご紹介しましたが、再び。
5/30まで六本木のウナックサロンでやってます。 
特別企画 井上有一 『有一 放哉を書く』


「忘」の字から、この激しさとは対照的な寺山修司のことばを、ふと思い出す。


  私には忘れてしまったものが一杯ある。
  だが私はそれらを「捨ててきた」のでは決してない。
  忘れることもまた、愛することだという気がするのである。


さて、どちらの世界が、今の心に響きますか  ?

今日は母と、モディリアーニ展 → 井上有一展に行って来ま~す 
コメント (9)
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宇宙は無限なのだから

2008-05-16 | つれづれ
                      「大象無隅」  (半紙)




大いなる宇宙には隅(角:かど)がない、の意。

人の世は、こだまによって動いている、と思うのだ。
こだまはこだまにこだまする、っていうか。
あらゆるものはこだま(響き合い)するのだ。

四角い箱の中では、こだまはこだましない(たぶん)
一方通行っていうか・・・。

自分も箱の中にしまっておいたら、何も響かない。
大事にしまっておくと、いつの間にか声も出せなくなるかもしれない。

まずは箱から出さなきゃ。
どんな自分でも、きっと響き合えるこだまに出会える

だってここ地球も、宇宙の中の惑星なのだから。
宇宙は無限で、隅なぞ無いのだから。






明日、あさって(5/17・5/18)と、よこはまみなとみらい21 
横浜レンガ倉庫イベント広場で、
アフリカンフェスタ2008 in 横浜 が開催されます。
(↑クリックでイベント詳細情報見れます。コンサートやワークショップも。)
楽しそうなので、行ってみようと思います


コメント (8)
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アウトサイダー・アート

2008-05-15 | つれづれ
                       「驚」 (はがき)




アウトサイダー・アートということばを聞いたことありますか?

1993年に東京の世田谷美術館で開催された
「パラレル・ビジョン~20世紀美術とアウトサイダー・アート」では
探していたものに出会えたような、ゾクゾクっとする興奮があったことを
今でも覚えている 



 ←この号でも特集されてた


アウトサイダー・アートという言葉は、仏の画家ジャン・デュビュッフェが
作った仏語の「アール・ブリュット(Art Brut)」を英語に置き換えたもの。
正規の美術教育を受けたことのないアーティストたちの作品のこと。


 ←デュビュッフェの作品

最初は、このデュビュッフェの絵が好きで、たどり着いたところが、
このアウトサイダー・アートだった。

そして、以前ご紹介したフンデルト・ワッサーさん が、ここでもつながっていて。
彼は、鉛筆画の魔術師 ゾンネンシュターン と仲良しだったのだ~ 
(ここでも1本の糸がつながっている~)

えっと、話をもとに戻して・・・
このデュビュッフェは、常識や既成概念に囚われない、子供や原始的な生活を
送る人々、精神病患者の本質にある創造性に惹かれていく。

そして、衝動のみに突き動かされ、人目につかずひっそりと秘密裏に、
褒められることもなく、孤独に己の人生を描き続けるアール・ブリュットの
作者への熱狂的な虜になるというわけ。

その後、アンフォルメル(不定形絵画)運動の先駆者として、作家の発掘や
教育にも影響を与え、5000点にものぼるアール・ブリュット・コレクションの
創始者になる。

  
 ↑交差する魂展HPより拝借         ↑ギャルリー宮脇HPより拝借  


デュビュッフェの求めた芸術とは、「生」の芸術。
あらゆる文化的操作や、社会的な適応主義からの自由 

そこにはアートという枠組みを飛び越えた自由奔放さと、あっけらかんと
した潔さがある。(服部 正 氏


では、あっけらかんとした潔さはどこから来るのか・・


その答えを探したい方は、5/24~7/20まで 松下電工汐留ミュージアムで
アール・ブリュット/交差する魂   ありますので、お時間ありましたら
お出かけになってはいかがでせう~ 

今日15日まで、京都にある ギャルリー宮脇 でもあるようです。


で、最後になりましたが、今日の絵~「驚」
なんとなく見ていたら、この展覧会があることを思い出して
説得力もあっけらかんもないけれど、今日のきっかけの絵ということで 



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モディリアーニが好きな理由

2008-05-14 | つれづれ
                      国立新美術館HPより 拝借  
 


6/9まで、六本木の 国立新美術館 で開催中の モディリアーニ展 。

母はこのモディリアーニが好きらしい。 私も、うん。好き。

先日、日曜美術館で展覧会の紹介&解説をしていて、
そうだったんだぁ・・と、好きな理由がつながった。

売れないとき、彼はアフリカのプリミティブアートに出会ったのだ。

 
              ↑東京かんかんHPより拝借



実は私も、アフリカの仮面や雑貨は大好きで、本やらレプリカも持っているのだ~。
よく呪いがかかっていそうで怖いとか、不気味って言われるけど、
こちらが、いらっしゃ~いってモードだったら、怖いものなんて何もない 


 ←アフリカの仮面の「眼」より


こうしてみると、モディリアーニの描く人物に似ている。
人物の首を長く描くのは、なんだっけな・・理由があったんだけど。
 
またもや、確認。
好きなものはどこかでつながっている、つながっていくんだってこと。

あれもこれもやってみたいって迷ったときは、まず身近にある好きなこと、
興味のあることをやってみる。

するってぇと、あら不思議。。
かならず1本の糸でつながってる自分が見えてくる。

あれ? ここでも、あっちでもって。
すると、なんだか小さな自信になったり勇気になったり。
元気になって、自分が好き  になるってわけです。

さてと。
まずは何から始めますか~? 


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夢中な姿って

2008-05-13 | 八木重吉


子供にしても動物にしても、もちろん大人であっても
夢中な姿ってなんだか、いとおしいです。

夢中っていうのは、頑張ってる  っていうより・・

たとえば大好きな食べ物を前にして、食べたいって集中している目とか
見たこともないような物に遭遇したときの、凝視して観察する姿とか
おっ、いま全身全霊で何かを感じてるな、おぬしって感じで 

その新鮮で生き生きとした表情を見つけたとき、私までなんだか
うれしくなって、気持ちがホワン  ってなる。

昨日久々に聴きたくなった Daryl Hall & John Oates (←クリックで視聴)
学生時代によく聴いていました。
今でもやっぱりいいなぁ・・ って抱きしめたい気分。

最近の曲はどれも同じに聞こえたり、歌手の名前も覚えられないのに、
やっぱり青春時代( )の曲は、時が経っても色褪せないものですね~。

きっとその頃は、何を見ても聴いても刺激的で、スポンジが水を吸うみたいに
何でも吸収していて、感性がキラキラ していたのかな。

ふう~~ 
・・・なんて、過去のことと思わず、いくつになっても夢中になれる
自由でまっすぐな感性、忘れずにいたいものですね~。


今日のは、八木重吉の詩から。


  この豚だって
  かわいいよ
  こんな春だもの
  いいけしきをすって
  むちゅうであるいてきたんだもの


なんともかわいい詩でしょ 
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虹を見たような

2008-05-12 | 書の話
                    甲骨文 「虹」  (はがき)                    
 

先週の書道教室では、ちょっと鳥肌もので感動したことがあって 
当たり前と言えば当たり前のことなのだけど。。

普段は常にザワザワにぎやかで、男性陣は眉間に皺状態だった。
でも先週、ふと見回すと全員が真面目に筆を持って勉強していて、
思わず鳥肌が立って「ステキ  !」と拍手してしまった。
(今までどんなだったんでしょうね~  )

正直言って、長年ムズムズする思いを持ちながらも、なかなか言えなかった母と私。
気が弱い?ってこともあるけど、敢えて言いたくなかったっていうのもあるかな。

だって「学ぶ」は与えられるものじゃないからね・・ 
何でも自分から学びたい、知りたいって感じないと楽しくないし、感激もないもの。

よく私の師がおっしゃっておられた。
「不感症じゃいけない。自分の体で感じなきゃ、いくらこちらが言ってもだめだ」

ほんとにうれしかったですよ~ きれいな虹を見たような気がしました。
教室のあと、母と泣きました  (嘘ですけど  )
でもこれを機に、それぞれにまた新たな気持ちで書と向き合えたら嬉しいです。

というわけで 
いくつか↓別枠で書展のご案内をしますので、お時間がありましたら
お出かけ下さいませ。


コメント (4)
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