心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

井上有一と尾崎放哉

2008-05-19 | 書展・展覧会情報
             ‘91年 大きな井上有一展 図録より 「質素 五十六才 井上」
                      (どこか質素?って迫力!)




おとといの土曜日、モディリアーニ展のあと、六本木のウナックサロンへ。
このウナックサロン、実は大学の頃から一度行ってみたかった所。(一体何年前だ~) 

住宅街の中の普通のマンションのような建物で、入口のインターフォンで呼ぶと開けてくれる。

 ←中は8畳位の展示スペースと奥に別室あり

ちょうどこの日の16:00~「放哉を語り合おう」という特別講座があるとかで
始まる5分前に到着した私と母は、慌てて作品を拝見。

井上有一を彷彿とさせるお方や、何やら独特のオーラをお持ちの方々の間を縫って
あっという間に出てきてしまった。ちょっと残念。
私ひとりだったら参加したのだけど、ややお疲れの母に2時間の講座はキツイかと思い
またの機会を楽しみに 

作品はこの「爪をきったゆびが十本ある ほうさい」他、10点位だったかな。

よく山頭火と放哉は、漂泊の俳人として並べて評されるけれど、
なぜ有一は山頭火ではなく、放哉を書いたのか・・・。

 ←ウナックサロンのちらしから


そこで放哉について知りたくなって、改めて家にあった本を開いてみた。

 尾崎放哉(おざきほうさい)

帝大卒業後、会社重役とエリート街道を極めながら、あまりのプライドの高さから
どこへ行っても何をしても世俗に馴染めず、酒に溺れ、寺男になってからも
戒律も守れず追い出され転々とする。
そんな破滅的な生き方をしつつも、人々に生活の面倒を見てもらっていた放哉。
最後は漁師の夫婦に看取られ、42才でこの世を去る。

「爪きったゆびが十本ある」
当たり前のようだけど、放浪し世捨て人となった放哉にしたら、
ゆびが十本あることが、有難くも不思議だったのかな。。

一方、井上有一は。
書壇から一切断絶し、激しく嘔吐し続けるかのごとく書きまくっていた。
彼の詩にこんなのがある。

メチャクチャデタラメに書け。
ぐわぁーとブチまけろ。
お書家先生たちの顔へエナメルでもぶっかけてやれ。
狭い日本の中にうろうろしている
欺瞞とお体裁をブッとばせ。
お金でおれを縛り上げても
おれはおれの仕事をするぞ。
グワーっとブッタ切ってやる。
書もへったくれもあるものか。
一切の断絶。
創造といういう意識も絶する。
メチャクチャデタラメにやっつけろ。


 ←後姿からも・・・


放哉と有一、どこか響き合うところがあったんでしょうね。。
改めて、山頭火と放哉についても、もっと知りたくなりました



 
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コメント (6)
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