カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-846 『映画 緋牡丹博徒』

2013年07月29日 | 日記







 明日(7/29)の分です。
















「ご当家の親分さん お姐さん影ながらおゆるしこうむります。向かいます上さまとは今日向初(きょうこうはつ)の御意(ぎょい)を得ます」

「従いまして、生国は、肥後熊本でござんす。熊本は五木の生まれ、姓名の儀は矢野竜子」















「通り名を緋牡丹のお竜と発します。御視見の通り、しがなき者にござんす。行く末お見知りおかれましてよろしくお引き立てのほどお願いいたします」








娘盛りを 渡世にかけて

張った体に 緋牡丹燃える

女の 女の 女の意気地

旅の夜空に 恋も散る























鉄火意気地も しょせんは女

濡れた黒髪 緋牡丹ゆれる

女の 女の 女の未練

更けて夜空に 星も散る















男衣裳に 飾っていても

さしたかんざし 緋牡丹化粧

女の 女の 女の運命

捨てた夜空に 一人行く















此の人を超える緋牡丹お竜は、もう出ないだろうね。物腰は、あくまで女らしく色気があって柔らかい。この人は、心身に筋が入ってるね。

だから、崩れない、キリッと締めて流されないから頼もしい。殺陣も上手いし短銃の扱いも大仰でもなければ軽くもない、程よく使って生かしてるね。

このけじめを失うと、やたらめったらバンッバンッ撃ちまくって、場を潰すんだね。






小刀の免許皆伝の腕前って言う設定がいい。殺陣も、其れに倣った捌きようで斬っても斬っても納得できるね。

身構えが地に足ついてる。矢野一家を背負って立つ女親分の貫禄も持ち合わせてるね。なによりも、此の人は、品があるんだね、此れが素晴らしい。

熊本の方言がいいんだね。大きな器を感じさせるよ。見事な当り役だね。















緋牡丹博徒シリーズ

緋牡丹博徒 緋牡丹のお竜(1968年)

緋牡丹博徒 一宿一飯 (1968年)

緋牡丹博徒 花札勝負 (1969年)

緋牡丹博徒 二代目襲名 (1969年)

緋牡丹博徒 鉄火場列伝 (1969年)

緋牡丹博徒 お竜参上 (1970年)

緋牡丹博徒 お命戴きます (1971年)

緋牡丹博徒 仁義通します (1972年)




























此の人の父親が、東映の当時の大プロデューサー俊藤浩滋だったことから、女やくざ映画でありながら、安易なエロティック演出を一切排したのが功を奏したね。

高倉健、鶴田浩二、若山富三郎、菅原文太をはじめ丹波哲郎、藤山寛美 金子信雄、松方弘樹、待田京介など脇を固める役者が、大スターばかりで映画の格も上がった。

藤純子が「緋牡丹お竜」で一世を風靡するお膳立てが出来上がっていたんだね。其れに応えて裏切らぬ魅力と才能が彼女にあった訳だね。





当るときってのは、こんなもんなんだろと思うよ。





こんなの云ったら失礼だけど物語の内容は、どれも、然程の変わりもなくおんなじなんだね。なのに、観たくなる。

舞台の見せ場に似て、同じ出し物に何度も脚を運んで、何度も酔うような趣きだね。当時、他社でもブームにのって任侠ものが多かった。

日活や大映なんかが、あとを追ってたけど、東映との役者の幅が全然違ったね。東映は粒が揃ってたよ。















毎回、お竜は恋をするんだけど、好きって言葉もなければ、そういう思いもひた隠すんだね。

相手も相手で、露骨な台詞などないから、ほんのり色香が漂い、互いの仕草のほんの触れ合いで情が通じるって感じかね。

「お竜参上」だったかな? 雪の今戸橋、いつか、ちょいと書いたけど、雪に埋もれた墨絵のような静けさの橋の上で菅原文太と藤純子が語り合うシーンがある。





菅原文太の口跡がいいから冷たい空気を切るように凛と響くんだね。「お竜さん、あなたは、優しい人だ」 この言葉が、ずうっと残っているよ。

旅に出る菅原文太に渡そうとした黄色いみかんが雪の上を転ぶ、しゃがんで拾い取り雪を払って手渡す、お竜の思いは、なんでもない仕草のみなんだね。

荒くれ男どもの中で、女だてらに仁義の筋を通す。映画だと云ってしまえばそれまでだけど、娘盛りの女を秘めて、為さねばならぬことに命を賭ける。





自分では、願い下げだけど、人は、人の清廉な生きざまに酔いたいもんなんだろうね。








緋牡丹博徒 一宿一飯(プレビュー)










洋画好みのオレが、これほど夢中になって見続けた邦画も珍しい。

ちょうど、その頃住んでいたのが大阪市の南区だったから、松屋町筋の末吉橋近くに下駄履きの映画館があった。

任侠映画が花盛りの頃で3本立てで安かった。毎週末、観に行ってたね。ああいう、気楽な映画館が少なくなったね。どっか、近くにないかなあ?





今日は、なんにも浮かばないから遊びで埋めようか。

















「唐獅子牡丹」といえば高倉健。この人には、台詞は要らない、存在が全てを語らすね。

そして、此の人がいい味を出して脇を固めているね。着流しが、やけによく似合う池部良。




















我慢に我慢を重ね、耐えに耐えても、あこぎな奴は、何処まで行ってもあこぎなんだね。花田秀次郎(高倉健)が、ひとりゆく。

その行く手に待ち受ける風間重吉(池部良)「秀さん、ご一緒させていただきやす」 「重さん」 俺とおまえだ、なんにも云うな。

用意したドスを差し出し「行こうか」















義理と人情を 秤にかけりゃ

義理が重たい男の世界

幼な馴染みの観音様にゃ

俺のこころは お見通し

背中(せな)で吼えてる唐獅子牡丹














親の意見を 承知ですねて

曲がりくねった六区の風よ

積もりかさねた不幸のかずを

なんと侘びよか おふくろに

背中(せな)で泣いてる唐獅子牡丹














おぼろ月かよ 墨田の水に

昔ながらの濁らぬ光

やがて夜明けのくる それまでは

意地で支える夢ひとつ

背中(せな)で呼んでる唐獅子牡丹













浅草(エンコ)生れの 浅草育ち

やくざ風情(ふぜい)と いわれていても

ドスが怖くて 渡世はできぬ

賭場が命の 男伊達(おとこだて)

背中(せな)で呼んでる 唐獅子牡丹












親にもらった 大事な肌を

墨で汚して 白刃(しらは)の下で

積もり重ねた 不孝の数を

なんと詫びよか おふくろに
  
背中(せな)で泣いてる 唐獅子牡丹










昭和残侠伝 吼えろ唐獅子(プレビュー)










この最期の斬り込みに向う道連れがクライマックスの火蓋になる。高倉健の渋い低音の歌声にのって侠気通ずる二人が行くんだね。正義の爆発だね。

いろいろと、感想を書くつもりだったけど写真を盗むのに時間がかかって疲れたよ。

ホントは、もっと、手当たり次第に貼って写真集なんて銘打って終わったろうと思ってたけど、しんどいわ。





オレって、独り酔うとこあるからごめんなさい。

























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