
今日は、何を書こうかと其処らの地べたを掘ってんだけど冷えて固まった土と石コロばかりだよ、最悪だよ。涸れぬ泉は何処にある?
「無いよ」 おまえは黙っとけ。 「徒労に終わる無駄なことはやめておけ」 藁をも掴む思いなんだよ。
「無駄が見えておるではないか」 じゃあ、どうすればいいのだ? 「何も考えるな」 何も考えない? 「そうだよ」
考えなかれば何もないぞ。「何も無い処から湧いて出て来るもんだよ」 遠い昔が出て来るよ。「だろう?」
あれはね、3階建ての家に挟まれて平屋の屋根から隣の3階建ての家の2階部分が渡り廊下になってる処がある。其処を足場にして
後ろの2階の屋根に上がるんだよ。瓦を割らないように出っ張りの部分を踏んで進むと表通り側はみんな2階建ての屋根になってる。
男漁りのスケベ猫の福が屋根伝いに何処かへ行きよる。其れを見送って表通りの屋根の上の看板の後ろまで行くとトタン板になってて
其処に薄黒く変色したすのこが置かれてる。お日さんに暖められて居心地がいいんだよ。其処で腰を下ろしポケットから畳んだ紙を
取り出す。周りを見回してから拡げてる。週刊誌の一部を抜き取ったものだよ。う~ん、言葉にならない感動に身を震わせてる。
なんてことだっ。訳解らんけど本能が疼くよ。此れは秘密の宝ものだよ。辺りを見回しポケットに仕舞ってる。そんな光景を思い出したね。

『0011 ナポレオンソロ消された相棒』 1966年(昭和41年)公開アメリカ映画
「何も考えなかったら、そんなのが思い出されるのか?」 そうだね。4ページあったね。あられもない若い女性の写真だったよ。
やらしい記事も難しい漢字を飛ばして読んでたね、えっへへヘ。小5~6頃辺りのオレだったかね。
時代が変わったからかどうか解らんけど、そんな頃の写真とは比べものにならない諸出しの露骨な写真が道路でも落ちてるね。
オレが、まだ仕事してる数年前かな、事務所に学校帰りの小6の男子が覗いて 「★★ちゃん」って呼んでるから、どうしたって聞くと
「凄いのが落ちてんねん」 凄いの? 「女の人がチンチン口に入れてんねん」 吃驚したわ。なんやねん、其れはっ? エロ写真やな?
「そや、わたしら帰る道やねん」 「あんた見たあ?」 「広げて落ちてんねん」 なんて学校帰りの他の子たちも聞きつけて騒いでる。
「俺、何枚も広げて見たよ、ペロペロ舐めてんねん」 アホッ。何処や、何処に放ってあんねん? 「★★ちゃん、拾うんか?」 アホッ。
「学校の先生が処分しはったわ」って、後から来た女の子らが教えてる。そうか、そらあ、処分せんとな、誰や、ほんまあ。
〇〇、おまえも、そんなもん広げて繰って見るな。帰って、よう手を洗えよ。 「えっへへへ」 あの時のオレと同じ笑いしとったなあ。
思い出したら50年以上の年月過ぎて、其の頃のオレと似たようなの見て騒いでる。人生長いようで短いようで、短いようで長いね。

『0011 ナポレオンソロ消された相棒』 1966年(昭和41年)公開アメリカ映画 センタ・ヴァガー ロバート・ボーン
大阪市堺筋本町に船場繊維センターってのが1970年(昭和45年)、大阪万国博覧会の開催に合わせて御堂筋に面した地下鉄本町駅から
堺筋本町駅を超えて東西にのびた船場センタービルが完成した。ショッピング店、飲食店、事務所などが入った複合ビルだね。
船場ってのは一般的に、北は土佐堀川から南は長堀川(現在の長堀通り)、東は東横堀川(現在の阪神高速南行線)から
西は西横堀川(阪神高速北行線)まで南北2km、東西1kmの地域を指して云う。其の工事対象となった区画が立退きになって行くさまが
ほんの部分的ではあるけれど写真に残ってる。親父の仕事の配達で自転車で走り回ったあと、いつもよく通りかかるところだった。
もう、此の頃には、親父も亡くなって商売やり出してた頃で、数年後、此方の方へ店を移転して働きまくったね。財布にお金が詰まってたよ。

『堺筋本町、左空き地になってる処が工事対象区画』 1966年(昭和41年)南から北方面を望む (1966年4月1日堺筋市電廃止)

『堺筋本町、右手空き地工事対象区画』 堺筋市電が廃止されてる 1966年(昭和41年)4月以降頃 北から南方面を望む

『堺筋本町、上の写真部分の遠望』 北から南方面を望む

『堺筋本町、船場センタービル建設中』 1969年(昭和44年) 北から南方面を望む 長堀の丸善石油ビルが見える

『本町船場繊維センター』 1977年(昭和52年) 撮影
26日、大阪市中央区午前11時摂氏3度、体感温度0度、晴れだね。今日は、駄文、此れで逃げておこ。もう、苦しいんだよ。
午後5時10分雪が空を覆って降り続いてる。