夫の5回目の祥月命日、そしてお盆を過ぎ
心はからっぽなのに
次からつぎへと
さまざまなことが起きてくる。
それらをどう考えればいいのか・・・
夫がいたころは
どんなことでも夫と飲みながら話すことができた。
夫はいつでも私の思いをそのまま肯定してくれた。
だから、わたしは冷静になって
自分のとるべき道を冷静に考えることができた。
今、
そんなふうに話す相手がいなくなって
わたしは
自分の思いを持て余しているのだと思う。
だれかに「そのままでいいよ」と言ってもらいたい。
誰かに「その気持ちはわかるよ」と言われたい。
そんなことは
もうかなわない甘えなのだとよくわかっている。
自分のことは
自分で結論を出すしかないのだ。
残されて
ひとりで生きるということは
こういうことなのだと
まいにち
思い知らされる。
話し相手がいる人には
決してわからない
孤独感だ。
心はからっぽなのに
次からつぎへと
さまざまなことが起きてくる。
それらをどう考えればいいのか・・・
夫がいたころは
どんなことでも夫と飲みながら話すことができた。
夫はいつでも私の思いをそのまま肯定してくれた。
だから、わたしは冷静になって
自分のとるべき道を冷静に考えることができた。
今、
そんなふうに話す相手がいなくなって
わたしは
自分の思いを持て余しているのだと思う。
だれかに「そのままでいいよ」と言ってもらいたい。
誰かに「その気持ちはわかるよ」と言われたい。
そんなことは
もうかなわない甘えなのだとよくわかっている。
自分のことは
自分で結論を出すしかないのだ。
残されて
ひとりで生きるということは
こういうことなのだと
まいにち
思い知らされる。
話し相手がいる人には
決してわからない
孤独感だ。