扇子と手拭い

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落語の楽しさ、奥深さ(落語2ー69)

2011-11-24 23:56:50 | 日記
▼もう、後がない稽古
 平治師匠に稽古をつけてもらうのも、この日が最後。「落語の学校」は、今期をもって卒業しようと考えている。だから、後がない。この機を逃したらもう、聞くことが出来ない。日ごろから迷っていた上下(かみしも)について疑問をぶつけた。

 24日の稽古で初めて「時そば」を最後まで演じた。平治師匠に「時そば」を見てもらうのは前回に続き2度目とあって、随所で貴重なアドバイスを受けた。しかも、指摘を受けた個所がすべて自分で日ごろから、「どうやればいいのだろう」と迷っていたところばかりだ。

▼教えは頭の中に
 「目から鱗」とはこのことで、どれも納得する有難いアドバイス。ほんのチョットしたことだが、そのチョットが、私たちは気付かない。鋭い指摘に改めて師匠の存在を思い知らされた。指摘については具体的に書くと長くなるので、ここでは省略する。この日の教えは、頭の中にシッカリ叩き込んでおく。

 「湯屋番」は、勘当された若旦那が、番台に上がってひとりで妄想する愉快な噺。一席終えた受講生に、演者は馬鹿になってやらないと、いけない。中途半端にやると、客は笑いたくても笑えない。羞恥心を捨てて、現実と妄想の世界を使い分ける。現実に帰った場面で一気にトーンを下げる。そこに面白味がある、と師匠。

▼探究心を持たないと
 別の受講生の「道灌」は、新田義貞をはじめ多数の武人の名が登場したが、聴いていてよく分からない。師匠が「義貞を知ってるか」と質問したところ、「知らない」と返答。「知らないでやると薄っぺらになる。歴史を調べないと、探究心を持たないといけない」と師匠は落語に対する心構えを説いた。

 本職の噺家にも、「もう一度、聴きたい」と思わせる人と、そうでない落語家がいるが、客を引き付ける噺家には、確かな“裏打ち”がある。研鑽をつんでいる者と、そうでない者に人気の差が出来るのもよく分かる。いろんな師匠に稽古を付けてもらったが、指導にも落差はあった。素人相手だからと、何でも「いいですよ」と繰り返す講師もいた。


▼独特の“平治ワールド”
 平治師匠には、細かな点までいろいろと教えていただいた。素人の私たちと真剣に向き合い、稽古をつけてくれた。驚いたのは、受講生ひとりひとり異なる演目を、すべてその場で即席で演じて見せてくれたことだ。一体、どれだけ噺を知っているのだろうかと、ただただ、感心した。

 親しい落語仲間が言っていた。「われわれが師匠の真似をしても出来ない、無理だよ。独特の“平治ワールド”があるから」。だが、あの間合い、仕草、語り口の抑揚からは、学ぶべきところがいっぱいあった。落語の楽しさ、奥深さを教えてもらった。当代第一級の師匠から手ほどきを受けた時間は宝であり、私の自慢である。いい師匠と巡り合えたと感謝している。

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