▼噺家の実力の違い
博学で知られる北野武監督(ビートたけし)は毎朝、必ず7つの新聞に目を通すというが、落語家の春風亭一之輔も、それほどではないがよく勉強している。落語の本題に入る前の、1、2分のマクラに最新の世相をさりげなく折り込み、笑いを誘う。久しぶりに寄席に行ったが、噺家の実力の違いが分かり勉強になった。
池袋演芸場はJR池袋駅のすぐ近くにある。建て替えて今年で20年だそうだ。昼席、夜席通しで聴いた。あたくしのお目当ては、古典落語の第一人者である五街道雲助と一之輔。そして林家正蔵だ。
▼雲助演じる女の仕草
雲助、と言っても落語通以外は知らないだろうが、江戸落語を語らせたら現在、この人の右に出る噺家はいない、と言われるほどの実力の持ち主だ。18日は廓噺の古典、「品川心中」を高座にかけたが、見事な話術に引き込まれ、もっと聴きたくなった。
注目したのは雲助演じる女の仕草。彼は手を置く位置ひとつで、男と女を使い分ける。そして目線と肩の角度。ひょいと肩を少し傾けて畳に片手をつく。この仕草で女の色気を表現するのである。これがこなせないと吉原や花魁が登場する廓噺は出来ない。この種の噺が難しいといわれる所以だ。
▼期待滲ます正蔵
当代若手落語家の人気No1の一之輔は、「蒟蒻問答」を15分の中で披露。その筋の元親分が和尚になって、禅問答を挑んだ修行僧をけむに巻くという愉快な噺。一之輔は冒頭のマクラで先日、実家がある千葉県野田市を襲った竜巻を題材に、オヤジとの電話でのやり取りを巧みな話術で展開。客席の笑いを取った。
数年前からタレント活動を抑え、古典落語に本格的に取り組んでいる林家正蔵(元のこぶ平)は、歌舞伎物の「七段目」を一席。正蔵の「七段目」を聴いたのは2度目だが、前回同様、聴かせた。このまま精進すれば、彼は大看板に恥じない噺家になるだろう。期待したい。
▼高座の空気は客席に
反対にガッカリしたのは橘家文左衛門なる落語家が演じた「夏泥」。終始、苦虫をかみつぶしたような表情。落語は本来、楽しく、愉快なものだが、彼の顔を見ていると不快になってきた。十一代桂文治が高座にかける「夏泥」は抱腹絶倒で、天と地の差があった。ちなみに「夏泥」は泥棒に入った男が、反対にカネを恵んでやると言う面白い噺。
柳家喬太郎と五明桜玉の輔もバツだ。2人とも下らない近況を長々やった。喬太郎はちょっと売れたので、天狗になっているとの声をよく聞く。この日の高座は明らかに手抜き。それが客席に伝わるから恐い。客を軽んじると、手痛いしっぺ返しを食らいますぞ、喬太郎ダンナ。
▼聴くに耐えないマクラ
玉の輔はボスの落語協会会長の小三治をヨイショ。その上、マクラまで小三治を真似てダラダラ20分近くやった。落語好きは「落語」を聴きに来たのだ。つまらない世間話などどうでもいい。玉の輔は夜席の大トリだが、聴くに耐えなくて、あたくしはマクラの最中に退席した。
マクラと言うのは、落語の本題に入る前の「助走」であって、長くやる必要はない。ところが、小三治が長講マクラをやり始めて、下の連中がおもねるように小三治の真似をし出した。時として彼は、本題と関係ないバイクで旅した自慢話を延々40分も、50分も平気でやり、肝心の本題はたった15分という高座がある。本末転倒も甚だしい。
▼天狗になれば終り
高い木戸銭を払って聴きに行った落語ファンは、「アイツの落語はもう、聴きに行かない」と怒っていた。こんな小三治がなぜ人気があるのか、今もって理解しがたい。彼ほどファンの好き嫌いがはっきりした落語家は珍しい。
強いて挙げれば晩年の立川談志ぐらいか。談志には熱狂的な追っかけがいた反面、4文字熟語の下ネタを乱発する談志が、下品で嫌いという落語通が多い。
それはともかく、落語家は天狗になったらオシマイだ。そんなことを感じさせた池袋の寄席だった。
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博学で知られる北野武監督(ビートたけし)は毎朝、必ず7つの新聞に目を通すというが、落語家の春風亭一之輔も、それほどではないがよく勉強している。落語の本題に入る前の、1、2分のマクラに最新の世相をさりげなく折り込み、笑いを誘う。久しぶりに寄席に行ったが、噺家の実力の違いが分かり勉強になった。
池袋演芸場はJR池袋駅のすぐ近くにある。建て替えて今年で20年だそうだ。昼席、夜席通しで聴いた。あたくしのお目当ては、古典落語の第一人者である五街道雲助と一之輔。そして林家正蔵だ。
▼雲助演じる女の仕草
雲助、と言っても落語通以外は知らないだろうが、江戸落語を語らせたら現在、この人の右に出る噺家はいない、と言われるほどの実力の持ち主だ。18日は廓噺の古典、「品川心中」を高座にかけたが、見事な話術に引き込まれ、もっと聴きたくなった。
注目したのは雲助演じる女の仕草。彼は手を置く位置ひとつで、男と女を使い分ける。そして目線と肩の角度。ひょいと肩を少し傾けて畳に片手をつく。この仕草で女の色気を表現するのである。これがこなせないと吉原や花魁が登場する廓噺は出来ない。この種の噺が難しいといわれる所以だ。
▼期待滲ます正蔵
当代若手落語家の人気No1の一之輔は、「蒟蒻問答」を15分の中で披露。その筋の元親分が和尚になって、禅問答を挑んだ修行僧をけむに巻くという愉快な噺。一之輔は冒頭のマクラで先日、実家がある千葉県野田市を襲った竜巻を題材に、オヤジとの電話でのやり取りを巧みな話術で展開。客席の笑いを取った。
数年前からタレント活動を抑え、古典落語に本格的に取り組んでいる林家正蔵(元のこぶ平)は、歌舞伎物の「七段目」を一席。正蔵の「七段目」を聴いたのは2度目だが、前回同様、聴かせた。このまま精進すれば、彼は大看板に恥じない噺家になるだろう。期待したい。
▼高座の空気は客席に
反対にガッカリしたのは橘家文左衛門なる落語家が演じた「夏泥」。終始、苦虫をかみつぶしたような表情。落語は本来、楽しく、愉快なものだが、彼の顔を見ていると不快になってきた。十一代桂文治が高座にかける「夏泥」は抱腹絶倒で、天と地の差があった。ちなみに「夏泥」は泥棒に入った男が、反対にカネを恵んでやると言う面白い噺。
柳家喬太郎と五明桜玉の輔もバツだ。2人とも下らない近況を長々やった。喬太郎はちょっと売れたので、天狗になっているとの声をよく聞く。この日の高座は明らかに手抜き。それが客席に伝わるから恐い。客を軽んじると、手痛いしっぺ返しを食らいますぞ、喬太郎ダンナ。
▼聴くに耐えないマクラ
玉の輔はボスの落語協会会長の小三治をヨイショ。その上、マクラまで小三治を真似てダラダラ20分近くやった。落語好きは「落語」を聴きに来たのだ。つまらない世間話などどうでもいい。玉の輔は夜席の大トリだが、聴くに耐えなくて、あたくしはマクラの最中に退席した。
マクラと言うのは、落語の本題に入る前の「助走」であって、長くやる必要はない。ところが、小三治が長講マクラをやり始めて、下の連中がおもねるように小三治の真似をし出した。時として彼は、本題と関係ないバイクで旅した自慢話を延々40分も、50分も平気でやり、肝心の本題はたった15分という高座がある。本末転倒も甚だしい。
▼天狗になれば終り
高い木戸銭を払って聴きに行った落語ファンは、「アイツの落語はもう、聴きに行かない」と怒っていた。こんな小三治がなぜ人気があるのか、今もって理解しがたい。彼ほどファンの好き嫌いがはっきりした落語家は珍しい。
強いて挙げれば晩年の立川談志ぐらいか。談志には熱狂的な追っかけがいた反面、4文字熟語の下ネタを乱発する談志が、下品で嫌いという落語通が多い。
それはともかく、落語家は天狗になったらオシマイだ。そんなことを感じさせた池袋の寄席だった。
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