人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

玉島活弁口演終わる

2010-06-27 06:22:28 | Weblog
 先の西大寺での活弁口演に引き続いて玉島での口演が昨晩終了した。
私たち夫婦活弁士としてはホッと胸をなで下ろしているところである。

 
 今回は玉島観光協会が取り組んでいる行事として、地元マスコミでも大きく
報じられた。山陽新聞や玉島テレビである。むろん私たち夫婦も取材を受け
大変うれしく思っている。

 また、RSK(山陽放送)では、有名なアナウンサーである濱家さんの
番組にも呼んでいただきインタビューを受けることが出来た。

 そもそも今回の取り組みは、玉島観光協会が地元観光事業の衰退を何とか
したいという思いから始まったものである。その熱い思いと私たち夫婦の
活弁の魅力をもっと多くの方々に知って欲しいという思いが重なって開催と
なった。

 また、玉島という地で口演させて頂くことは、私たち夫婦にとって大変
意義深いことだと思っている。それというのも玉島という地が、私たち夫婦
にとって少なからず色んな縁で繋がっているからだ。

 実は家内の先祖である黒田綾山は江戸時代の玉島に居を構え、多くの
有名な弟子を世に送り出した人である。当時としては大名家にもお抱えの
絵師として何度も誘われた有名な絵師であった。しかし、綾山はあくまで
市井の絵師として生涯を送った自由人でもあった。

 往時玉島はこうした芸術家と言われるような人を惹きつけるような魅力
ある土地柄であった。綾山は向かいは四国、讃岐の人であったが、この地
を誰よりも愛していたようだ。それだけ自由の気風に溢れ、人の行き来が
多い魅力ある街だったのではなかろうか。

 と言うのも、この地がある大名家の飛び地として入り船で船で大変繁栄
した港町であったからだ。北前船は言うに及ばず、この地の特産品でもある
綿花などを運び出す船が盛んに出入りした。

 そして、私たちが活弁士としてデビューする事になった「豪傑児雷也」
という映画の主役である尾上松之助(岡山市出身)と、この映画を作った
牧野省三監督が出会った場所でもあると言われている。
 
 その辺の経緯は、尾上松之助が後に著した自伝の余白に書かれていて
諸説あるようだが、この地の有名な芝居小屋「おうこう座」と言うところで
二人が顔を会わせていることは間違いないようである。

 こうした縁繋がりは、活弁に関わり始めて数多く経験していることでも
あるが、今回もとても偶然の事とは思えない。それだけに思い入れも格別
であった。

 次回開催(9月上旬)を更に改善し、11月9日(火曜日)に開催予定
であるプロの活弁士「佐々木亜希子」の口演に向けて更なる飛躍を期待して
いる。そして観光協会の皆さんが目指しておられる地元の観光事業発展の
一助となり、玉島の活性化に貢献できればと思っている。
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