人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

「篤姫」女性達のドラマ

2008-12-17 06:53:37 | Weblog
 NHKの大河ドラマとしては久々の高視聴率だった「篤姫」が今週
終わった。歴史の変遷を女性の側から描いた数少ないドラマの一つで
あった。(以前、山内一豊の妻があったが)

 歴史は大抵の場合、男性を中心に語られることが多い。しかし、当然
の事ながら、その当時には主人公である男性にも妻や恋人がいたわけで、
そうした人以外にも母や姉や、その他大勢の女性や男性がいたはずで
ある。そうした大勢の人をも巻き込んで時代は移り変わって来た。

 篤姫の生きた時代はまさに激動の時代であった。幕末から明治という
日々変化していった時代であった。恐らく時代の中心にいた人物ですら
明日の事は分からなかったに違いない。

 時代が人を作るのか、人が時代を作るのか。私はいずれも正しいと
思っている。篤姫もそうした一人であったと思われる。まるで幕末の
大奥を無血開城すべく遣わされたような人物であった。

 将軍の妻としての時代は短く、その後に待ち受けていた大奥を取り
巻く様々な変化の中で時代を読みとり、大奥を解体していった。並々
ならぬ才能であったと言うべきではなかろうか。

 大奥は言うまでもなく将軍の私的な場所であると共に、次期将軍を
生み育てる場所でもあった。それだけに絶大な権力を有していたと
言っても過言ではない。

 従って、大奥に君臨する将軍の妻は戦国時代に戦場に出ていく夫を
支える妻以上の知力と権力を有していたに違いない。将軍の妻を支えて
いたのが多くの奥女中達であった。これらも又、将軍の妻を後ろ盾に
絶大な権勢を振るっていたに相違ない。

 大奥まで届くことの少なかった表向きからの数少ない情報を元に
江戸城の開城に至るまで、どのようなドラマがあったのであろうか。
江戸城は将軍不在のまま、大奥を取り仕切る篤姫(天樟院)によって
開城が決断された。

 私も幕末には将軍家へ嫁いだ薩摩のお姫様がいたとか、公武合体で
天皇の妹が将軍の妻になったとかという話は聞いていたが、篤姫なる
人物についてはほとんど知るチャンスがなかった。それは多くの小説
や歴史書や映画などは男性を中心に描かれてきたからである。

 今回の大河ドラマは、今の世相とか社会情勢、政治情勢に何故か
重なる部分が多い。今の世も女性の時代である。乱世に男が現れ、
その背後には微動だにしない女性がいる。そんな気がしてならない
のである。

 それにしても「宮崎あおい」は「篤姫」役に適役であった。篤姫の
姿を間近に見たものは誰もいないのだが、生き写しのようであったと
言っても過言ではないだろう。「篤姫」の魂が女優「宮崎あおい」の
姿を借りて何かを語りかけてくるような感じであった。

 彼女自身、インタビューに答えて次のように語っている。ドラマの
中では篤姫が自分なのか、自分が篤姫なのか、そんな気がしていたと。
それだけ「篤姫」を演じきったと言うことであろうか。

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