今日Aは横浜の神奈川新聞本社で開催された第46回神奈川新聞文芸コンクール授賞式に出席してきました。
短編小説部門で入賞したのです。審査員は山田太一先生(写真前列中央)。
現代詩部門にも応募したんですけどね…。
10月6日の神奈川新聞に載った現代詩部門審査員・廿楽順治先生の総評の前半が大変為になるので下に転記しておきます。
詩は、油断するとつい言葉を書き過ぎてしまう。書けば書いた分だけ熱意が相手に伝わるような気がしてしまう。また、自分が思いついた発想とその意味を伝えることに夢中になって、ついつい説明し過ぎてしまうこともある。しかし、書き手の気分や発想、書きたかった意味を理解することと、詩を味読することはイコールではない。むしろ、冗舌や説明は読み手に苦痛を与え、詩から遠ざけてしまう場合がある。
読み手の側から言えば「分かる」ということと「感動する」ことは似ているようで実は違う。笑いのことを引き合いに出して考えてもよい。人はどこがおかしいか、そのことの意味を理解してから笑う訳ではない。同じように、作品の意味を理解した後でなければ、感動はやってこないという訳ではない。
廿楽先生(写真前列中央)と現代詩部門入選者の皆さんです。
短編小説部門で入賞したのです。審査員は山田太一先生(写真前列中央)。
現代詩部門にも応募したんですけどね…。
10月6日の神奈川新聞に載った現代詩部門審査員・廿楽順治先生の総評の前半が大変為になるので下に転記しておきます。
詩は、油断するとつい言葉を書き過ぎてしまう。書けば書いた分だけ熱意が相手に伝わるような気がしてしまう。また、自分が思いついた発想とその意味を伝えることに夢中になって、ついつい説明し過ぎてしまうこともある。しかし、書き手の気分や発想、書きたかった意味を理解することと、詩を味読することはイコールではない。むしろ、冗舌や説明は読み手に苦痛を与え、詩から遠ざけてしまう場合がある。
読み手の側から言えば「分かる」ということと「感動する」ことは似ているようで実は違う。笑いのことを引き合いに出して考えてもよい。人はどこがおかしいか、そのことの意味を理解してから笑う訳ではない。同じように、作品の意味を理解した後でなければ、感動はやってこないという訳ではない。
廿楽先生(写真前列中央)と現代詩部門入選者の皆さんです。