575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

探梅    麗

2014年02月13日 | Weblog
我が家の庭の紅梅のつぼみが大きく膨らんでいます。まもなく開花してくれそうです。

梅は1300年前本来は薬用として中国から渡来したものがその品格や美しさから観賞用として好まれて来ました。
奈良時代以前は花というと桜より梅が愛されてきました。まだまだ寒さが残る中
他の花より先駆けてさくことから「春つげぐさ」と呼ばれたりもします。気品のある花と清らかな香りは兼行法師も絶賛し、また菅原道真がの東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ という歌も有名ですね。

さて、梅を探すと書いて
「探梅」という言葉があります。俳句をつくったり詩を作るために梅の花のある地を訪ねること。梅見にいくことです。私は毎年犬山市にある尾張二の宮と言われる大あがた神社に行きます。
大あがた神社の境内には女の子の成長を願う姫の宮神社もあり古来から女性の守護神として称えられ、安産・子授け・ 特に縁結びの神様として篤い信仰があります。その境内の奥の山の斜面を利用してすばらしい梅園があるのです。全国の著名な梅園・神社から奉納された梅をはじめ紅白300本のしだれ梅がを集められています。満開になるとそれはそれは見事で毎年楽しみに出かけています。

私のおすすめは午前中の早い時間帯です。まだ空いていて本当に清らかで華やかなしだれ梅を独り占めできます。梅園の斜面を一番上まで行くと遠くには名古屋駅のツインタワーも見えてとても気持ちがいいですよ。今年も2月23日から梅祭りが始まります。
梅祭りの期間中は俳句も募集していますのできっと美しい梅を堪能したあと一句作りたくなると思います。まさに探梅のスポット。ぜひお出かけください。


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風の耳拾ひあつめし二月かな   木村敏男

2014年02月12日 | Weblog
句会が近づいてきました。題詠は「二」です。
「二」には大きく二つの意味があります。
数を数える時の「二」。順序をあらわす「二」。
二月はどちらになるんでしょう?
もう一つは、二つで一組をあらわす使い方。

季語としての二月の句。

  朝触るるもののつめたき二月かな   小川軽舟

梅二月、伊勢二月、二月の子などという言い方もあります。
別の季語を使って二という数字を入れた句。

   探梅の二つの影の重なりぬ   遅足

冒頭の句。風の耳が面白いですね。
風聞という言葉からの連想でしょうか?
一月も終わり二月へ。周囲の空気もなにか変ったような。
季節の変化や身の回りの噂話が気になります・・・

素直に風の落としていった耳を拾い集めてた、
と読んだほうが面白い句かもしれません。

                   遅足



   
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体育系に縫いぐるみ  鳥野

2014年02月11日 | Weblog
地下鉄の車内は、さながら世相の縮図。当方が
よく利用する東山線の東部は、沿線に学校の多
い文教地区。
おかげ様で、若者文化にいち早く触れることが
出来ます。
携帯電話もスマホも、タブレットもあれよあれ
よの間に新型が出て、車内はまるで端末機器の
商品展示場です。

その若者たち、気が付いてみれば、バッグにゆ
らゆら縫いぐるみ。それが可愛いらしくて。
女子学生に限らず、部活帰りらしい男子の用具
入れにも。その違和感。これも流行なのでしょ
うか。

体育系男子を孫に持つ友人の話では、「女の子が
付けてくれるんですよ、簡単には外せないんだっ
て」

当方も縫いぐるみは大好き。家の内に溢れていて、
日夜癒されているのだけれど・・・。

 ・ 部活帰りのバッグに提げし縫いぐるみイヌ
   ありネコありヘビの尾もあり
 
 ・ 縫いぐるみの視線一途で真っ直ぐでその安
   定に癒されており
                  鳥野


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早春の鳩と深空を同じうす      遅足

2014年02月10日 | Weblog
今朝、庭の餌場に野良猫がやってきました。
町内で猫への餌やりが禁止され、数が激減。
そのなかで生き残っている猫、用心深い性格のようです。
雪のために食べ物がみつけにくくなったのでしょうか。
一心に芋の残りを口に運んでいきます。

そのあとに、やってきたのがヒヨドリ。
いつも最初にやってくる雀の姿が見当たりません。
こんな小さな庭でも弱肉強食。

春窮という季語があります。
春先に食べるものがなくなって飢えに苦しむ、という意味。
現代日本の人間社会からは消えた季語ですが・・・
世界には飢えている人たちが多数とも。

わずかに残っている雪も今日中に消えてしまうでしょう。
木蓮の枝には鳩が下界の様子を見ています。


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班雪(はだらゆき)七十一に手の齢    遅足

2014年02月09日 | Weblog
  はたらけど
  はたらけど猶わが生活楽にならざり
  ぢっと手を見る

石川啄木の有名な歌です。

赤ちゃんの紅葉のような手。
若い女性の白魚のようなほっそりした手。
亡くなった叔父さんのようにゴツゴツした農民の手。
工場で働く人の油の滲んだ手。
ペンより重たいものは持たなかったという父の手。

手は、文字を書き、ご飯をつくり、子供を抱き、水仕事をして・・・。
さまざまな人々の、さまざまな生活を語っています。

  おしゃべりもだんまりも吊皮に地上に向かう最終電車

一日の仕事を終えて帰宅する手、手、手・・・も。

私も啄木にならって、じっと手を見ました。
班雪は、まだらに降る雪、まだらに残った雪。春の季語です。
名古屋近辺はまだ雪が残っています。
東京は大雪のあと、都知事選の投票もあります。
手ばかりでなく、足元にも、十分ご注意を。



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春の手に雪をいただく誕生日      遅足

2014年02月08日 | Weblog
昨日、小牧市のメナード美術館に行ってきました。
「春の恋して」という企画展。
前田青邨の「紅白梅」。画面一杯の春です。
花のほかに沢山の小鳥が描かれていた、と奥さん。
えっ!小鳥が・・・私は見れども見えずでした。
何をみてきたんでしょうね?

その足で小牧山へ。頂上からは360度のパノラマ。
北は、御嶽、乗鞍、加賀白山、伊吹山などの雪山。
南にはツインタワー、四日市コンビナートなど・・・
「こんな日は一冬に一度あるかないかです」
と、ガイド・ボランティアのオジサンも。

            

今日は一転。日本列島は朝から雪です。
名古屋市も春の雪。積雪は5センチを越えそうです。
実は、今日は私の誕生日。
天が祝福してくれているのでしょうか。
降りすぎないようにお願いします。





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爪を切る今年初めて逢うために  童子

2014年02月07日 | Weblog
爪は何んのためにあるのでしょうか?
指先まで力を伝えるためにあるそうです。
爪が無ければ、指先はやわらかな肉。
手の爪が無ければ、指先で上手に物をつかめません。
足の爪が無ければ、指を使っての歩行ができません。

爪の美しさはいつ頃から意識されるようになったのでしょう?
古代エジプトのミイラの爪は着色したったとか。
中国では唐の時代の楊貴妃が爪を染めていたそうです。

大切な人と逢うために爪を美しく、という女心。

                      遅足




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我が家の春信    麗

2014年02月06日 | Weblog
春に信じると書いて春信。春の訪れや梅など春の花が咲いたという花の便りのことを指す言葉です。
先日風邪を引いて寝込んでいたら近くに住む友人からメールがありました。
私が調子悪いことを知っていたその友人は「おかげんいかがですか?お玄関にお花を一輪お届けしました」とメールをくれたのです。
お玄関に行ってみると門のところに紙袋がかかっていて中に春らしい真っ赤なガーベラのお花が入っていました。わざわざ来てくださったのにピンポンをするわけでなくお花だけを置いていかれるその優しい心使いにありがたくて涙がでそうになりました。
以前私は知り合いが入院したのでお見舞いをと思って病院の下から「今近くにいるのでちょっとお見舞いにいくね」とケータイにかけて何号室?と聞いたら703号というので探したらどこを見ても7階の建物はないのです。おかしいな?病院を間違えたかな?と
もう一回電話してみたらなんと彼女はすでに退院していてマンションの部屋の番号を教えていたというとんでもないことがありました。結局マンションまでいくことになりさりげなくお見舞いをと思ったのが返って気を遣わせることになりこれからはちゃんと話そうと心に決めました。近くにいるのではなく病院の近くにいるとちゃんと言わなければならないな~と反省したことを思い出しました。
お見舞いのタイミングってなかなか難しいものですよね。
私を見舞って下さった友人はとても気のつく素敵な方なので見習いたいと思いました。そしてその花を花瓶にいけて殺風景だった私の家に一足早く春が来たかのように明るくなりました。これが我が家の最初の春信です。おかげで風邪もすっかりよくなりました。

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拝まれて素知らぬ顔の初日の出  能登

2014年02月05日 | Weblog
世界の各地に遺された巨大な石の建造物。
太陽の運行を知り、作物の植え付けの時期を決める暦の装置。
太陽は人間の運命をも左右する神でした。

科学はこの太陽から神秘のベールを剥ぎ取ります。
科学の教えてくれるところによれば、
太陽には神ではなく人格もありません。
拝んでも、挨拶を返してくれるわけではありません。
素知らぬ顔です。

それでも一年に一度、日本人は太陽を崇拝。
作者は、何気なく行っている動作への違和感を掬い、一句に。

                        遅足



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宗匠またもや    鳥野

2014年02月04日 | Weblog
こうなれば、宗匠は中日歌壇では言う事なしの常連
です。ワタクシの入選の報告だけでは、心が痛みま
す。ともあれ、今回の作品。

 ・目の前に扉は開き乗り込めばたちまち
  都会の闇に吸わるる

 <選者、小島ゆかりの評> 地下鉄の扉か。茫漠とし

    た都会の闇の深さを、巧みに捉えた。

当方が毎回の入選作に、感銘するのは、作者の若々しい
感性。
あの喧噪のホームから、発車の合図一瞬で、トンネル
の闇へ。シュールへの飛躍。
それを「都会の闇」と表現した新鮮な着眼と奥深さ。
間違って読み取っていましたら、お許しを。
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馬暦初記入すは回収日   智恵

2014年02月03日 | Weblog
「馬暦」とは面白い表現ですね。
普通なら

  初暦まず記入する回収日

ですが、馬暦と言ったことで俳諧味が、と亜子さん。

新しい暦をもらって、まず記入するのは・・・
資源ごみの回収日です。
私も月一回の資源ごみと不燃物ごみの回収日を。

あれからもう一か月・・・時の流れのはやいこと。
旧暦でいえば今日は節分。明日から春です。
でも立春寒波がきるとのこと。
春は名のみの・・・でしょうか。
                   遅足


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着膨れて二礼はできず初詣   狗子

2014年02月02日 | Weblog
神社の参拝。二礼二拍手一礼が正式とされています。
着脹れているから二礼が出来ないわけはありません。
神社に参拝するということに心理的な拒否感があるのでしょう。
着脹れを言い訳にしているのでしょうね。

こんな句もあります。

   青嵐神社があったので拝む    池田澄子

神社へはわざわざ出かけるわけではありません。
そんな神社への距離感を感じさせる句です。
神社に対して素直になれない。
ちょっとしたコダワリを感ずる世代なのでしょうか?

                      遅足



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手を清め大樹を撫ずる初詣  立雄

2014年02月01日 | Weblog
手を清めた後、神社の大樹にそっと触れて撫でる。
新年の力を授かるように。
日本人の自然信仰は今も健全です。
草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)。
草木や国土のような心をもたないものも、
すべて仏となりうるという意味です。

インドの仏教にはない考えで、中国仏教の思想。
日本人の心性にもピッタリしたようです。
近年言われる共生という考え。
この思想に負うところが大きいのではないでしょうか。

                    遅足


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