
福井県小浜市遠敷(おにゅう)に鎮座する若狭彦神社は彦火火出見尊
(ヒコホホデミノミコト・山幸彦)を、若狭姫神社は山幸彦の妃
豊玉姫(トヨタマヒメ) を、それぞれ祭神としています。
若狭彦姫神社は奈良時代から伝わる由緒ある神社で、「延喜式」
(967年 施行)の神名帳(じんみょうちょう)に神名大社として載って
います。また、中世には若狭一ノ宮として幅広い階層から信仰されて
いました。
若狭彦姫神社には、古くから門外不出の「秘密縁起」という巻物一巻が
伝えられいます。
私の父が一時期、この神社に奉職していたこともあって、四年前、特別に
巻物を見せてもらいました。達筆な漢文。所々、読めるものの、独特の
難解な文体で前へ進むことができません。
これまで、ごく限られた専門家にだけに閲覧が許されました。
幸い、古筆学者の小松茂美氏が解読した内容の一部が公開されています。
(「日本絵巻大成」中央公論社・昭和54年 刊)、また「小浜市史・社寺文書編」
(昭和51年 刊)に全文、活字化され、こちらも公開されています。
但し、すべて文語体です。
その内容は、まず、この世の始まり以来の神々の系譜を簡単にたどった後、
ホノスソリ ノミコト(海幸彦)と彦火火出見尊 (ヒコホホデミノミコト・山幸彦)は、
天孫の二二ギノミコトの御子であるという行(くだり)から始まって、海幸山幸の
神話が展開されています。
この物語が「秘密縁起」の大部分を占めており、最後に彦火火出見尊と豊玉姫を
祭神とするのが若狭彦姫神社であるとして、「様々な口伝えがあるが、この記述
こそが、これまで秘密としてきたもので、かりそめにも、他人に見せてはならない。」
(筆者の意訳)と結んでいます。
これまで多くの歴史家が「秘密縁起」の内容は、すでに「日本書紀」「古事記」に
記載されていることばかりで、あえて取り上げるには及ばないとしています。
それでは、一体、どこが「秘密」なのか、ということになります。
私はその部分は海幸山幸の神話にあり、「記紀」に取り上げられる前から、口伝えで
若狭地方にこの物語があったと考えています。
「記紀」成立後、導入部の神々の系譜と最後の結びの部分を付け足して、いつの
時代かに文章化したものと思われます。
古筆学者の小松茂美氏は「書風から推して、室町時代のものと思われる。…その
原本がはたして、いつの時代にさかのぼるのか、ちょっと見当もつかない。」と
しています。
多分、奈良時代に文章化されたものをもとに、何回か書き写されたと思われます。
若狭彦姫神社には、この「秘密縁起」をもとに描かれたと思われる絵巻物が伝わって
います。次回は絵巻物についてお伝えします。
写真は福井県小浜市遠敷(おにゅう) に鎮座する若狭姫神社と千年杉 (筆者 撮影)
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