昭和十九年八月、空襲候補地の国民学校は集団疎開した。
四年生の私は一年の弟と、父の故郷の神奈川県真鶴町へ縁故疎開した。
一年後の八月十五日に戦争が終わって、間もなくアメリカ海兵隊が
カービン銃を構えて上陸してくることになる。
その二回の夏、毎日潜っていた真鶴の海。
埋め立て地横須賀の何もない海底と、伊豆半島の太古の海底の
あまりの違いに、体が震えた。
切り立った岩棚。海草の森。おびただしい貝類と魚たち。
手作りの銛で、岩陰に寝ている魚を刺す。手に激しい痙攣が伝わる。
私は大人の手前まで来ていた。

本箱に、草柳さんの句文集・埋め立て地を見つけました。
これもなにかの縁。ブログに掲載させていただきます。(遅足)
朱露氏が主宰されていた会メンバーの句。若い彼女はいつもダイナミックな動詞が得意。動詞が句を貫くがごとし。