575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

若狭の海幸山幸絵巻 ⑥ ~山幸彦を竜宮に導いた老人とは~竹中敬一

2018年03月21日 | Weblog

平安時代末期に描かれた「彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)絵巻」で展開される
海幸山幸神話の中から、弟の山幸彦が、兄の海幸彦の釣り針を海に失ってしまった
ことに対して、兄は「 どうしても、元の釣り針が欲しい」と言い張る。
弟の山幸彦が泣き悲しんでいるところへ、一人の翁(おきな・老人)が現れるという
場面を取り上げてみます。

絵巻物にある詞書(ことばがき・説明文) は、若狭彦姫神社に伝わる「秘密縁起」の
記述と殆ど同じで、私は「秘密縁起」の方が先にあったと考えていますので、
「秘密縁起」をもとに、引用してみます。
小松茂美氏による訳文を更に私が現代語訳したものです。

「弟の山幸彦が釣り針を失って、途方に暮れながら、泣く泣く海辺を歩いていると、
薄い黄色の直垂(ひたたれ・上衣とハカマからなる衣服)を着た一人の浦人(うらびと)が
簀(あじか)というザルのようなものを杖にかけ、肩に担って現れた。」
「秘密縁起」に出てくる「浦人」。絵巻物の詞書では「翁」「古事記」では「塩椎神」
(しほつちのかみ)、「日本書紀」では「塩土老翁」(しほつつのをじ) 又は「塩筒老翁」
(しほつつのおじ)となっています。

江戸中期の国学者、本居宣長(もとおりのりなが)は、その著「古事記伝」の中で
「塩椎神は一種の神の名のあらずして物をよく知る人をいう。」としています。
浦人にしろ、翁にしろ、「漁の経験が豊富で、潮の流れや気象のことにも詳しい老人」と、
いうことになります。

若狭彦姫神社に伝わる「秘密縁起」が いつ頃 成立したものなのか、専門家でも
よくわからないと言います。私は海幸山幸神話を中心に伝えている「秘密縁起」は、
「古事記」「日本書紀」が完成する前に、若狭地方に昔から口伝えで語られてきた
物語をもとに、いつの時代かに脚色したものではないか、と思っています。
ここからは、その痕跡を求めて、空想を交えてお伝えします。痕跡は私の生まれ故郷 、
若狭の内外海(うちとみ)半島の小さな浦に残っています。


写真は「彦火火出見尊絵巻」(明通寺 蔵) を筆者がエンピツで模写。
山幸彦が兄の釣り針をなくして、浜辺で困りはてている所へ、竹籠を棒に背をった
老人が現れる場面。老人はこのカゴに山幸彦を乗せて竜宮へと誘う。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 白梅のつぼみは紅を隠しをり... | トップ | 人生のさえずり  麗 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事