作者の亜子さんのお宅のリビングには、黒いドレスのお目々ぱっちりのビスクドールの写真の額が架けられているそうです。43年前に日動画廊で行われた「パリの人形写真展」で求められたそうです。人形の作者はステネール。古いビスクドールに見せられたカメラマンの後藤敬一郎さんがフランスに滞在して撮影された写真だそうです。その写真のお人形の眼は、いつも亜子さんを見つめておられるようです。悲しい時も楽しい時も一緒に時を過ごしているのですね。
人形は歳をとりません。黒い眼の色もはっきりと力強いことでしょう。亜子さんはその人形を見てうらやましいような気持ちでしょうか?「春かなし」がなんともいえない春愁を感じさせてくれますが、ぴったりと収まりのいい句だと思いました。
容子さん:フランス人形でしょうか。捨てるに捨てられずどこか寂しげです。
郁子さん:春はなんだかかなしい。景色が明るくきらきら輝きだすその変化についてゆけないからでしょうか。ドールというのはアンティークの年代物か。取り残された感がとても出ている。
★★★
春は明るい季節である一方、別れや憂いが顔をのぞかせる頃でもあります。春のエネルギーについて行けないからでしょうか?でも別れがあれば出会いもあります。続いては能登さんの句。
別れあり春風吹いて出合いあり
そうです。また新しい物、事、人との出合いの季節の到来ですね。晴代さんからもリズムがよいとのコメントがありました。
こちらは佐保子さんの句です。
この桜あねいもうともはや見ず 佐保子
桜は不思議な花で、だれと見たかという思い出も運んでくれます。毎年、三姉妹で見た桜。いつしかもうお二人はいなくなってしまったのでしょう。喪失感を埋める桜かも知れません。
能登さん:お二人への深い哀悼の気持ちが伝わります。良い句ですね。
千香子さん:いつか、別れは来るとわかっていてもつらいものです。
亜子さん:「あねいもうと」とあるので作者は三姉妹の真ん中でしょうか?一緒にお花見をしていた姉妹はもうこの世にはいない。切ないが桜をこんな風にも詠めるのですね。
★★★
人生に別れはつきものですが、なんとか春風に乗って軽やかにうまくやり過ごしていきたいです。亡き人も天国からきっと桜を見ていたはずです。麗子
私の句。去年の春は二人とも普通に元気に過ごしていたので、まさかこの春には、亡くなっていないとは思いもしてなかった。それを思うと、とても不思議な気分です。「飛花落花姉妹のゐない春」という句もできました。