2018.07.20 近くまで行く所用がありましたので猛暑の中でしたが、
小机城跡に登城して来ました。
JR横浜線 小机駅から見た小机城跡。
駅南口にある城郷小机地区センターにより1階でパンフレットとスタンプをゲット。
案内図 お城まで徒歩約15分位です。
県道12号線を西に歩き小机辻を右折するとお寺(金剛寺)が左側に見えます。
JRの踏切を渡るとすぐに小机城跡左折の案内標識があります。
小高い緑の丘陵が小机城跡手前の住宅地付近は「根古谷」と呼ばれ
当時は城の麓にあった城主の館や家臣の屋敷地と思われます。
城北側の大堀切。
本丸入り口の冠木門。
小机城跡 続日本百名城 平山城(丘陵) 鶴見川に突き出た丘陵上の要害で、
15世紀半ば頃(室町時代)までには築城されていたと考えられます。
背後の神奈川湊と鶴見川及び鎌倉街道の交差する交通の要衝であり、
横浜市北部一帯を含む支配拠点でした。
長尾景春の乱で太田道灌と籠城戦を戦う。
小机城について
小机城想定図
縄張りについて。
いよいよ登城です。当時の大手道は別のようですが、現在の公園入口です。
右下辺りが「根古谷」です。
先に本丸へ向かいます。
本丸南側 空堀。
本丸(西郭)
東郭(二の丸)は初期小机城の本丸であったと思われ、後北条氏の武蔵国進出に伴い、
東郭から西郭に向かって大規模に改修したものと考えられています。西郭と東郭は
つなぎの郭を介して結ばれており、行き来できる構造となっています。
本丸 東側空堀。
本丸 北側空堀。
本丸より眺めた北東側大堀切。
二の丸方向へ向かいます。
櫓台(南側)
同上 櫓台からの眺め。空堀で守られ当時は樹木が無く見晴らしは良かったと思います。
矢倉跡 (北側)
同上 矢倉跡からの眺め。北大堀切が見える。
土塁 東郭からつなぎの郭、西郭まで大きく囲うように堀跡が残っています。
堀の両側に土塁を巡らせた、後北条氏の築城術「二重土塁」の遺構が残されています。
本丸の防御と敵の攻撃に対抗するために造られ、麓から攻めてくる敵に、
上から弓や槍で攻撃できるようにしています。
櫓跡.井楼(せいろう)跡 遠くの敵を見つけるために造られた見張台や武器を
保管する兵器庫があったと言われています。 (説明はパンフレットより)
続きはは小机城跡 2にアップします。
小机城跡に登城して来ました。
JR横浜線 小机駅から見た小机城跡。
駅南口にある城郷小机地区センターにより1階でパンフレットとスタンプをゲット。
案内図 お城まで徒歩約15分位です。
県道12号線を西に歩き小机辻を右折するとお寺(金剛寺)が左側に見えます。
JRの踏切を渡るとすぐに小机城跡左折の案内標識があります。
小高い緑の丘陵が小机城跡手前の住宅地付近は「根古谷」と呼ばれ
当時は城の麓にあった城主の館や家臣の屋敷地と思われます。
城北側の大堀切。
本丸入り口の冠木門。
小机城跡 続日本百名城 平山城(丘陵) 鶴見川に突き出た丘陵上の要害で、
15世紀半ば頃(室町時代)までには築城されていたと考えられます。
背後の神奈川湊と鶴見川及び鎌倉街道の交差する交通の要衝であり、
横浜市北部一帯を含む支配拠点でした。
長尾景春の乱で太田道灌と籠城戦を戦う。
小机城について
小机城想定図
縄張りについて。
いよいよ登城です。当時の大手道は別のようですが、現在の公園入口です。
右下辺りが「根古谷」です。
先に本丸へ向かいます。
本丸南側 空堀。
本丸(西郭)
東郭(二の丸)は初期小机城の本丸であったと思われ、後北条氏の武蔵国進出に伴い、
東郭から西郭に向かって大規模に改修したものと考えられています。西郭と東郭は
つなぎの郭を介して結ばれており、行き来できる構造となっています。
本丸 東側空堀。
本丸 北側空堀。
本丸より眺めた北東側大堀切。
二の丸方向へ向かいます。
櫓台(南側)
同上 櫓台からの眺め。空堀で守られ当時は樹木が無く見晴らしは良かったと思います。
矢倉跡 (北側)
同上 矢倉跡からの眺め。北大堀切が見える。
土塁 東郭からつなぎの郭、西郭まで大きく囲うように堀跡が残っています。
堀の両側に土塁を巡らせた、後北条氏の築城術「二重土塁」の遺構が残されています。
本丸の防御と敵の攻撃に対抗するために造られ、麓から攻めてくる敵に、
上から弓や槍で攻撃できるようにしています。
櫓跡.井楼(せいろう)跡 遠くの敵を見つけるために造られた見張台や武器を
保管する兵器庫があったと言われています。 (説明はパンフレットより)
続きはは小机城跡 2にアップします。