2018.07.04 続日本百名城の滝山城に登城して来ました。
本丸と中の丸の間の堀切に架かる引橋。
中の丸からの多摩川と対岸(昭島市拝島付近)の眺め。
滝山城跡 国指定史跡 続日本百名城(123)
八王子市の北端、多摩川と秋川の合流点の南側に広がる加住丘陵の多摩川を望む
標高約160mの丘の上にあります。
滝山城は戦国時代の中頃、大栄元年(1521)に武蔵国守護代の大石定重が、
この城の北西約1.5Kmの高月城から移り築城したものと伝えられます。
案内図
北は多摩川に侵食された急峻な断崖、南は谷戸が入り組んだ複雑な地形になっています。
大手口? 滝山城址下バス停から約150mも歩くと天野坂の竹林が両側から迫ります。
暗く撮影はフラッシュをたきました。
天野坂 左に小宮曲輪、右に三の丸の間を上ります。
① 天野坂から枡形虎口へ。
② 小宮曲輪(家臣屋敷)。
⑤ コの字形土橋(強力な側面攻撃) 上記写真は右千畳敷、左側の三の丸より撮影する。
千畳敷曲輪 実際には千畳以上の畳がひけそうな広い郭である。
⑦ 弁天池跡
⑥ 馬出 (少人数で守れる出入口前の防御設備)
上記写真は二の丸より撮影、
奥千畳敷、右手前が馬出、左手前は二の丸前の堀切。
⑧ 二の丸(集中防御)
「二の丸」は3つの尾根が集中していて、各々に「馬出(出入口)」を設け、
「二の丸には敵を絶対入れさせない」という堅固な構えになっています。
二の丸から見た堀切の奥は行き止まり曲輪。
二の丸前の堀切。
行き止まり曲輪(左側)右は土橋、東馬出と続く。
土橋から見た奥は行き止まり曲輪、撮影は左側東馬出より写す。
⑨ 行き止まり曲輪(ふくろのねずみ)。
二の丸堀切 右側は行き止まり曲輪。
二の丸堀切の奥は大馬出。
大馬出先は二の丸堀切。
二の丸堀切と右馬出。
以下は 滝山城 2 にアップします。
本丸と中の丸の間の堀切に架かる引橋。
中の丸からの多摩川と対岸(昭島市拝島付近)の眺め。
滝山城跡 国指定史跡 続日本百名城(123)
八王子市の北端、多摩川と秋川の合流点の南側に広がる加住丘陵の多摩川を望む
標高約160mの丘の上にあります。
滝山城は戦国時代の中頃、大栄元年(1521)に武蔵国守護代の大石定重が、
この城の北西約1.5Kmの高月城から移り築城したものと伝えられます。
案内図
北は多摩川に侵食された急峻な断崖、南は谷戸が入り組んだ複雑な地形になっています。
大手口? 滝山城址下バス停から約150mも歩くと天野坂の竹林が両側から迫ります。
暗く撮影はフラッシュをたきました。
天野坂 左に小宮曲輪、右に三の丸の間を上ります。
① 天野坂から枡形虎口へ。
② 小宮曲輪(家臣屋敷)。
⑤ コの字形土橋(強力な側面攻撃) 上記写真は右千畳敷、左側の三の丸より撮影する。
千畳敷曲輪 実際には千畳以上の畳がひけそうな広い郭である。
⑦ 弁天池跡
⑥ 馬出 (少人数で守れる出入口前の防御設備)
上記写真は二の丸より撮影、
奥千畳敷、右手前が馬出、左手前は二の丸前の堀切。
⑧ 二の丸(集中防御)
「二の丸」は3つの尾根が集中していて、各々に「馬出(出入口)」を設け、
「二の丸には敵を絶対入れさせない」という堅固な構えになっています。
二の丸から見た堀切の奥は行き止まり曲輪。
二の丸前の堀切。
行き止まり曲輪(左側)右は土橋、東馬出と続く。
土橋から見た奥は行き止まり曲輪、撮影は左側東馬出より写す。
⑨ 行き止まり曲輪(ふくろのねずみ)。
二の丸堀切 右側は行き止まり曲輪。
二の丸堀切の奥は大馬出。
大馬出先は二の丸堀切。
二の丸堀切と右馬出。
以下は 滝山城 2 にアップします。