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旅行 社寺

大分府内城

2015-12-13 10:49:17 | 
 2015.11.19 順調に15:00頃、最後の見学城、大分市内の府内城に到着する。

       約3年振り2回目の登城である。前回は外堀周囲を廻っていなかったので

       途中から皆と別れ主に外周を見学する。











  大分府内城 県指定史跡 日本百名城 海と川に面した水上の要塞。

    福原直高が大分湾の海際に築城し、竹中重利が大きく改修した城である。

    海側の本丸を二の丸(東の丸、西の丸).山里丸.三の丸がL字形に囲む縄張である。





  江戸時代の縄張図 現在内堀は埋め立てられている。



  城内の説明文。



  人質櫓と天守台。



  天守台から見た人質櫓。



  同上 東の丸の東北隅二重櫓。



  同上 西の丸の宗門櫓と西南隅二重櫓。



  前回、登城したときは西の丸に鉄筋コンクリート造の大きな文化会館が建っており

     違和感を覚えたが、現在は解体されたいた。

     今後整備が進めば良いお城跡となるでしょう。



  天守台から見た廊下橋、右側は山里丸。



  天守台跡。 四層の層塔型天守は寛保3年(1743)の火災で焼け落ち、以後天守は

      建てられず、野面積の天守台石垣だけが残る。



  近世府内城とは直接結びつきのない大友宗麟(キリシタン大名)の胸像が天守台前に立つ。



  東の丸 東北隅二重櫓。





  大手門 昭和20年(1945)の空襲により焼失し、昭和40年(1965)に復元された建築。



  東の丸 着到櫓。



  西の丸 宗門櫓 人質櫓とともに現存する江戸時代の建物である。現在の建物は

    安政6年(1859)に再建されたものである。



  三の丸跡 遊歩公園にある伊藤マンショの像 13歳で遣欧使節正使となり

    天正10年(1582)長崎を出発してローマ教皇に謁し、天正18年(1590)に帰国した。



  同上   フランシスコ ザビエル像 天文20年(1551)大友宗麟に招かれて、

        豊後府内で布教に専心した。

     皆と別れ城の外堀周りを時計回りと反対に一周する。





  東の丸 隅櫓。



  帯曲輪跡 元来直接河口に面していた本丸を囲うように、北方の砂州中島を基点とし

    東北から東にかけて人工の堤を築き、内側を石垣とし、堤上に松などの

    樹木を植えて区画した場所。





  人質櫓 江戸時代からの遺構で現在の櫓は文久元年(1861)に再建されたものである。

      奥に天守台が見えます。



  西の丸西南隅二重櫓.宗門櫓.大手門が堀に映り綺麗です。





  廊下橋 西の丸と山里丸を結ぶ渡り廊下、平成7年(1995)に復元された。

      全ての見学を終了して、16:20過ぎ大分空港に向かう。





  途中別府湾SAに立ち寄る。 別府湾.高崎山.別府温泉の夕景に別れを告げ、

        九州13城巡り5日間の旅が無事、楽しく終えたことに感謝する。








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