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駿府城 坤(ひつじさる)櫓

2014-10-01 13:59:38 | 
 2014.09.27 今年の4月駿府城に復元された坤櫓を見学して来ました。



  坤櫓とは駿府城二の丸の南西の角に建つ櫓です。江戸時代は方位に干支を用いて、

      北を「子(ね)」として時計回りに割り当てていました。その為、城の中心から

      見て南西の方角を「ひつじさる」と呼びます。



  駿府城案内図 右側が北です。



  駿府城 徳川家康公が五ヵ国(駿河、遠江、三河、甲斐、信濃)大名時代の天正十六年(1588)

      に築城しました。天正十八年(1590)の小田原攻めの後、秀吉から関東に移封を

      命じられ、駿府を離れますが、慶長十二年(1607)征夷大将軍の職を秀忠に

      譲り、再び駿府に居を構えます。この慶長の築城では、天下普請として諸大名に

      命じ三重の堀を巡らせた現在の姿の駿府城を築きました。





  県庁別館21階展望ロビーより眺めた坤櫓





  同上 駿府城公園、南アルプス、遠くに富士山が霞んで見えます、右下には巽櫓と東御門(北)。



  同上 左の小高い山は日本平、その右に駿河湾と伊豆半島が見えます(東)。



  同上 安倍川の先には大崩山と駿河湾が眺められる(南)。









  坤櫓 木造軸組構造二層三階(建築基準法では木造2階建て)、屋根本瓦葺入母屋造

         外壁小舞土塗壁漆喰塗。

 



  同上 内部 外観は、屋根が二層ですが、内部は三階構造となっています。上階は

        公開いていない為(安全上?)天井を吹き抜けにして見せ、床も強化ガラスで

        床下の三和土、床軸組を現している。





  発掘調査で見つかった坤櫓 石垣 鬼瓦(葵紋)軒丸瓦等。







  駿府城は幾度と無く天災に見舞われました。復元には、寛永年間の資料

         「駿府御城惣指図(個人蔵)」「駿府御城内外覚書(個人蔵)」を参考に

          不足している情報は、現存する徳川家の建築物を参考にいています。

                              (パンフレットより)

   




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