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旅行 社寺

長崎 興福寺

2017-12-13 14:05:33 | 寺院
 2017.11.28 崇福寺から風頭.寺町7寺院の門前の通りを散策すると、20分程で興福寺に着きます。

     中国の高僧.隠元隆琦が、日本からの再三の要請に応えて来日し、最初に住持になった寺。









  興福寺 



  御朱印









  山門  県有形文化財 上部の扁額「初登宝地」は隠元禅師の御書。







  大雄宝殿の扁額  「大雄宝殿」の扁額は隠元の書。



  大雄宝殿(本堂) 国指定重要文化財 寛永9年(1632)建立、元禄2年(1689)再建,

           さらに明治16年(1883)に再建し現在に至る。

           宗派 黄檗宗別格地。 山号 東明山。 本尊 釈迦如来坐像。





  同上  中国工匠による純粋の中国建築で、氷裂式組子の丸窓や

                アーチ型の黄檗天井などが珍しい。



  同上  前廊部の天井  黄檗宗寺院に多く見られることから「黄檗天井」とも呼ばれる。







  大宝宝殿の前、樹齢400年のソテツに守られるように立つ。「三福対の碑」

         興福寺に伝わる五言一行の隠元の書。



  隠元隆琦禅師。





  鐘鼔楼  県有形文化財  元禄4年(1691)再建。二階建て上階は梵鐘を釣り

               太鼓を置き、階下は禅堂とした。



  媽祖堂  県有形文化財  寛文十年(1670)の扁額「海天司福主」がある最古の建物。



  同上 内部   媽祖像(天后聖母船神像)は正面奥の高壇でイスに座している。その手前の

          木像は媽祖を守護する鬼神の従者。向かって右が順風耳で、左が千里眼。





  旧唐人屋敷門  国指定重要文化財 元禄二年(1689)に完成した広大な唐人屋敷に

          遺存した門を昭和35年、保存のため興福寺に移築。



  庫裡







  魚板(ケツギョ)  庫裡の入口にさがる巨大な魚鼔は、寺院の衆に飯時などを告げた

            江南のケツギョの木彫。日本に唯一残る明朝魚鼔の粋。





  三江会所門  県有形文化財  原爆で大破し門だけ遺存。豚よけの高い敷居が中国風。



  同上 門より見た鐘鼔楼。





  中島聖堂遺構大学門 県有形文化財 正徳元年(1711)に竣成。昭和34年に保存の為

            興福寺に移築。







  眼鏡橋  国指定重要文化財 日本で最初のアーチ形石造橋。寛永11年(1634)、

       興福寺二代住持の黙子如定が参詣者の便宜の為、参道を横切る中島川に架橋。



  長崎新地中華街近くのホテルに宿泊する。




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