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旅行 社寺

吉野ヶ里

2015-12-03 13:56:11 | 
 2015.11.16 今日は吉野ヶ里から肥前名護屋城と平戸城を見学して長崎市内に宿泊予定です。

       吉野ヶ里に開園時間の9:00に到着、朝一番の見学です。











  吉野ヶ里 国指定特別史跡 日本百名城 日本の城の起源とされる環濠集落。

       吉野ヶ里遺跡は弥生時代前期から後期にかけて存在した環濠集落である。

       弥生時代中期後半、紀元前一世紀頃に富をめぐる戦が起こり、外敵に備えて

       集落の周囲に二重三重に濠や柵を巡らせた「城」の祖型である環濠集落が

       誕生し、後期になると国内最大規模の環濠集落へと発展したと考えられている。



  案内図





  環濠入口(東口) 濠や柵、先の尖った杭などで守っている。



  南内郭が見えてくる。昔はイノシシなど野生動物もたくさんいたことでしょう。







  南内郭 王や支配者層の人々が暮らしていたと考えられる。城柵と逆台形の濠が周囲を囲み

      物見櫓を建て兵士が不審者を監視していた。物見櫓4棟や王たちの家、

      煮炊き屋など、王たちの居住空間も含め20棟の建物が復元されている。





  同上 王の家と内部。



  同上 倉と市 環濠外の西側には倉と市の建物がある。

     吉野ヶ里の「クニ」の交易の中心地と考えられています。

     出入りを監視する櫓や倉庫、市を管理する市楼など31棟の建物が復元されています。



  園内は広く 南のムラが櫓上から見渡せる。

        南のムラは「下戸」と呼ばれる一般の人々が住んでいた区域で、竪穴住居や

        高床倉庫など27棟の建物が復元されている。













  北内郭(王の宮殿)吉野ヶ里集落の中で最も重要で神聖な場所とされており、当時まつりごとが

      行われていた所と考えられています。

      巨大な祭殿をはじめ、9棟の建物が復元されています。



  北内郭 発掘当時の状況。



  同上 環濠外の西側には中のムラがある。



  同上 環濠外の北側には北墳丘墓が見えます。



  北墳丘墓 約2100年前の歴代の王やそれに近い身分の人が埋葬された特別な墓です。

       墳丘の中からは14基の甕棺が出土し、そのうち黄一基には王道の剣とガラスの管玉

       が、7基には青銅の剣が副葬されていました。



  北墳丘墓保存館









  14基の甕棺



  北墳丘墓の歴史



  南北の聖なる軸線



  野生の雉(園内は84.7haと広く、古代植物の森ゾーンもありますので

       雉が表れても不思議ではないと思われます)







  展示室 有柄銅剣、管玉が出土した甕棺の模型。

      出土の弥生時代木器。

      出土した銅鐸。

     10:20分見学を終え、名護屋城に向かう。



  










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