HARD HEAD

旅行 社寺

浪岡城跡

2019-07-08 14:32:42 | 
 2019.06.25 前日弘前駅前のホテルに宿泊。予定より早く目覚めたので予定の電車より

      約50分早い弘前駅6:37分発に乗り浪岡駅に6:56分に到着、浪岡城跡迄タクシー

      (北館入口迄1010円)で向かい約10分で到着しました。





  浪岡城跡 北館。



  同上  左側内館、右側西館の間の二重堀、中央の土塁の上を通路として使用。



  同上  北館  奥に見えるのは内館。





  浪岡城跡 国指定史跡 続日本百名城。 公家出身の城主.北畠氏の拠点として、

       15世紀中頃に築城され、16世紀前半に最盛期を迎えた北日本を

       代表する中世(戦国時代)の城館です。





  案内図。 城縄張は内館の西.北.東側を西館.北館.猿楽館がカバーし、さらに外側を

       検校館.北外郭.東館がカバーする構造になっていて特に北側を意識した

       防御構造になっています。浪岡城の最大の特徴は北館の周囲と内館の北側に

       構築された規模の大きい二重堀で、二重堀間の土塁道は横矢掛けの導線として

       利用されていました。また北館.西館間の二重堀からは水量調節用と思われる水門が

       確認されており、往時堀は水濠だったようです。(パンフレットより)



  北館 北側の入口。 この前でタクシーを降りる。



  同上 北側の虎口。







  同上 浪岡城主の家臣たちが住んでいた武家屋敷町を作っていた場所。



  北館推定復元図。



  北館 南西より左側内館、右側西館二重堀を見る。



  西館 調査をしていないのでなにがあったのかわかっていません。東西200m*南北80m。



  内館  浪岡城主が住んでいた「本丸」のような場所です。東西120m*南北80m。

      城内には桜の木がたくさん植えられています。



  同上  北畠 古城之碑。 明治15年有栖川宮熾仁親王の親筆を頂き建立された。



  同上  から見た 西館と内館の堀跡  南側を除いて各曲輪は水堀で囲まれている。

           水堀の中央部には中土塁が設けられていたため、堀が二重に見える。



  同上  南側は浪岡川.正平津川の氾濫原を自然の濠とした。



  同上  から見た 北館。



  同上  から見た 二重堀と奥に北館が見える。



  西館と内館の堀の中央部は中土塁が設けられ通路として使われいた。



  北館  西側虎口。枡形と門の跡が確認されている。





  北館  浪岡城では最大規模、塀で囲まれた武家屋敷があった。東西200m*南北100m。



  北館  周囲には土塁が設けられている。



  東館  浪岡城が滅ぼされた後、一時期津軽為信の弟が「代官」としていた場所とされている。

      東西100m*南北60mほど。



  同上  にある  浪岡城跡の全体構造の立体模型。



  案内所  休憩所.トイレがあります。





  新館  大永年間(1520年代)に拡張されたとされるところ。



  北館北側の堀。  



  検校館  未調査。



  浪岡八幡宮  中世(戦国時代)には浪岡城主.北畠氏、江戸時代には弘前藩主

         など歴代領主から崇敬庇護された歴史ある神社。



  中世の館  スタンプと資料受領。タクシーで浪岡駅に向かう(930円)。



  浪岡駅  早朝出発、タクシー利用で予定より約2時間早く到着。

       新幹線の切符を変更して、浪岡駅10:09分発~新青森駅10:31分着、

       新青森駅10:39分発、新幹線(はやぶさ10号)に乗り二戸に向かう。