2012.10.20 川越まつりの時に日本100名城の川越城に行ってきました。
川越城は1457年の築城。
川越城本丸御殿(埼玉県指定文化財)1848年造営現在は玄関、大広間などと移築
復元された家老詰所が残っている。
大広間
使者の間などいろいろの間(部屋)がある。
平成の修理工事で交換した大棟南側の鬼瓦(葵の紋が入っている)
家老詰所
家老詰所前庭
家老詰所、廊下、坊主部屋の中庭
廊下
富士見櫓跡 天守閣のなかった川越城には東北の隅に二重の虎櫓、本丸の北に菱櫓、
西南の隅に三層の富士見櫓があって城の中で一番高い所にあった富士見櫓が
天守閣の代わりとなっていた、長さ八間半(約15m)横八間(約14m)あった。
その昔はこの高台に立てば、富士見櫓の名の通り遠く富士山までも望めた。
中ノ門堀跡 堀は深さ7m、幅18m、東側の法面勾配は60°、西側は30°で中ノ門は
二階建ての櫓門で梁行4.6m、桁行9.2mほどの規模で両側に土塁が取り付き
土塁の上には狭間を備えた土塀が巡っていた。
三芳野神社 川越城内の天神曲輪に建てられている、この為「お城の天神さま」と
親しまれている。又童唱「通りゃんせ」の歌詞発祥の地であると言われている。
川越城の残っている遺構は少ないが本丸御殿は堂々たる姿でした。
川越城は1457年の築城。
川越城本丸御殿(埼玉県指定文化財)1848年造営現在は玄関、大広間などと移築
復元された家老詰所が残っている。
大広間
使者の間などいろいろの間(部屋)がある。
平成の修理工事で交換した大棟南側の鬼瓦(葵の紋が入っている)
家老詰所
家老詰所前庭
家老詰所、廊下、坊主部屋の中庭
廊下
富士見櫓跡 天守閣のなかった川越城には東北の隅に二重の虎櫓、本丸の北に菱櫓、
西南の隅に三層の富士見櫓があって城の中で一番高い所にあった富士見櫓が
天守閣の代わりとなっていた、長さ八間半(約15m)横八間(約14m)あった。
その昔はこの高台に立てば、富士見櫓の名の通り遠く富士山までも望めた。
中ノ門堀跡 堀は深さ7m、幅18m、東側の法面勾配は60°、西側は30°で中ノ門は
二階建ての櫓門で梁行4.6m、桁行9.2mほどの規模で両側に土塁が取り付き
土塁の上には狭間を備えた土塀が巡っていた。
三芳野神社 川越城内の天神曲輪に建てられている、この為「お城の天神さま」と
親しまれている。又童唱「通りゃんせ」の歌詞発祥の地であると言われている。
川越城の残っている遺構は少ないが本丸御殿は堂々たる姿でした。