おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

油堀川の跡をたずねて。その1。

2013-02-27 23:25:09 | 河川痕跡
 元弾正橋探索のついでに。油堀川(運河)の跡を。
「油堀川」。元禄年間に掘られた隅田川から木場に至る運河。現在の佐賀町、福住町の両岸には特に油問屋が多く、緑橋の南西には油商人会所もあり、油堀河岸とか油堀と称された。昭和50年(1975年)に埋め立てられ、そのあとに首都高速9号深川線が建設された。
明治中期のようす。中央の斜め南東に急角度で進むのが「油堀川」。北西から南東へに進んでいるのが「仙台堀川」。クロスして南西に向かうのが「大島川西支川」。この付近は、堀割が縦横にあった。西が隅田川。

 首都高の橋脚は、かつての運河の流れに沿って続いていく。
「隅田川大橋」からのスカイツリー。上は、首都高。隅田川上流に架かる橋は、「清洲橋」。
隅田川下流。「永代橋」。月島方向。
深川・木場方向を望む。埋め立てられた油堀川の上が首都高。
隅田川との合流点。かつて水門があったところ。
駐車場。
「緑橋」。現在、「仙台堀川」から南に分岐している「大島川西支川」に架かる橋。大島川は、埋め立て以前には「油堀川」を横切っていた。関東大震災に伴う復興橋の一つ。
 大島川西支川は、右岸佐賀2丁目・左岸福住2丁目で仙台堀川から分かれ、大横川(旧大島川)へ至る延長約820メートルの河川。両岸は、元禄期までに埋立てられた。川沿いには河岸地が設けられ、かつては荷物の積み降ろしなどでたいへん賑わっていた。本川の大島川は、木場5丁目から隅田川へ注ぐ河川。名称は、北岸の大島町(現永代2丁目の内)に因む。昭和40年(1965年)に、名称は大横川に統一された。西支川・東支川に大島川の名称が残されたが、平成4年(1992年)、東支川が区立木場親水公園となったため、現在の地図上では西支川のみが河川としてその「大島川」という名称を受け継いでいる。
かつての護岸壁の名残りのようだ。
壁を隔てて少し高いところに駐車場などがある。一部にレンガが使われていたり、苔むしたようすが時を感じさせる。
大きくカーブしている。川幅は20㍍以上で、けっこう広かったようだ。「門前仲町」駅に近くになると、かなり大きな駐輪スペースになる。
広々とした空間が広がる。門前仲町方向を望む。
首都高橋脚の北側。木々の植わった遊歩道になっている。かつては川沿いの倉庫街だったところ。
現在の木場公園付近。区割りされた堀が続く。下方西側に現在の首都高の深川ランプがある。

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