おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

42 「青砥駅」・幻の線路跡?

2009-04-30 18:31:59 | つぶやき
 京成電車が京成本線(上野線)「お花茶屋」駅から「青砥」駅に向かうとき、かなり急カーブとなって青砥駅に到着します。そこには、あまり知られていない歴史があったようです。(今となっては真偽の程は確かではありませんが。)
 青砥駅は、1928(昭和3)年、日暮里 - 青砥間開通時に、押上線との分岐駅として開業し、1931(昭和6)年、日暮里~青砥間が本営業を開始しました。実は、それまで、立石駅(押上線)~高砂駅間に、駅は設置されていませんでした。
 もともと、京成電鉄は、1909(明治42)年、「京成電気軌道」として創立されました。古くから参詣者を集めていた、成田山新勝寺への参拝へ、東京から向かうための鉄道事業(具体的には押上~千葉~成田間の電気鉄道)でした。そのために、「京成(東京~成田)」と社名を命名しました。
 1912(大正元)年には、帝釈天(今では「寅さん」で有名な)へ向かう「帝釈人車軌道」(線路上の車を人間が引いて走る?)を買収、本格的な鉄道事業を始めます(今のJR金町駅から柴又駅まで)。
 次第に東へ東へと線路敷設工事が進捗して、1921(大正10)年には押上から千葉まで全通します。さらに、1930(昭和5)年、押上~成田間が全通します。こうして、本来の目的が完成しました。
 しかし、当時、押上は、都心に行くには大変不便な位置にあるため、京成は、当初からの狙いである、押上から隅田川の向こうにある浅草まで、線路を延ばす画策をします。けれど、政財界を巻き込む「疑獄事件」を起こして、東武鉄道にその権利を取られてしまいます(東武鉄道は浅草まで乗り入れ。)。
 そこで、鉄道敷設の権利を持っていた他の鉄道会社を買収して、権利を得て、上野・日暮里から高砂までの路線を敷設し、都心まで乗り入れることになりました。
 この計画が持ち上がった時、葛飾区青戸町の南地域には駅はありませんでした。土地の古老の話ですと、今の東立病院辺り(現在の青砥駅の少し南西側)に、臨時停留所みたいなものがあって、電車が来ると、手を挙げて停めて貰ったとか。
 もともとは、京成としては、お花茶屋駅(ことによると、一つ日暮里寄りの「堀切菖蒲園」駅)から直接高砂駅までの線路を接続して、高砂を押上線との分岐駅にする計画だった。
 そこで、今の青砥駅付近の地主が立ち上がり、自分の土地を提供して青砥駅を新設することを要請した、その結果、青砥駅が出来たということです。
 1931(昭和6)年青砥~日暮里間開業。1933(昭和8)年、日暮里~上野公園(現・京成上野)間が開業し、上野から成田まで貫通しました。
 話は、余談ですが、来年・2010(平成22)年4月には、今の北総鉄道(高砂~日医大)が成田空港まで延長され、「成田新高速鉄道線」として、開業となります。同時に新型スカイライナーの投入によって、大手私鉄では最高速度となる160km/h運転を実施する予定です。40分くらいで、日暮里~成田空港間を結ぶとか。そのために将来的には、上野線を全線高架化することになるようです。
 こう見てくると、直進で進む押上線に比べて、青砥駅から分岐する上野線(京成本線)は、かなりきついカーブになっていて、たしかに不自然な感じがしないわけでもありません。また、青砥・高砂と二駅続いて、押上線と上野線の分岐駅があるのも不必要な感じがしますが。
 写真は、お花茶屋駅付近から続く直線道路で(今は、水戸街道で分断されていますが)、高砂橋を通って、高砂駅まで至る道筋です。もしかしたら、この道路が幻の鉄道線の跡なのかもしれません。右手が、青戸公団住宅です。
 もし、そうだとしたら、青戸の現在も、ずいぶん違った発展の仕方があったかもしれません。青砥駅設置のもっと詳しい事情が知りたいものです。

コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 39 猿江恩賜公園、木場の跡 | トップ | 43 押上駅の今昔 »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして (ゆうじ)
2015-07-31 18:04:34
古い記事に失礼します。

青戸生まれで40年前まで住んでおり
懐かしくなりました。

お花茶屋(昔は宝木塚と言ってました)から
青戸をつき通って真っ直ぐ行く道は
水道道(すいどうみち)と呼ばれていて
金町の浄水場から水を引く水道管が
通っていたので、直線道路と子供の頃
祖父から聞きました。

今では水道道などと呼ぶ人はいないんでしょうね

大変お邪魔しました!
返信する
水道道 (おやじ)
2015-08-02 17:19:28
金町浄水場から四つ木までのほぼ直線の道路は水道道として子供の頃からありました。
 その現状は浄水場から四つ木の荒川までの道筋を探訪してblogに載せたことがあります。
 この他にも上水道道があったことははじめて知りました。
 水戸街道(国道6号線)で分断されていますが、たしかに高砂橋~青戸公団脇~お花茶屋駅南~堀切までほぼ東西方向に直線道路があります。この道がかつての水道道の名残なのかもしれません。少し調べてみます。
返信する
Unknown (Unknown)
2021-12-23 21:44:07
はじめまして。興味あるお話なので今更でしょうがコメントさせて頂きます。
昔の葛飾区の地図によると青砥駅は今より東側(当時まだありませんがだいたい環七との交差付近)にありそこからお花茶屋方向に今とは逆向きの緩いカーブで分岐していたようで、
ほぼその道を通ってます。恐らくその名残りなのではと思います。
返信する

コメントを投稿

つぶやき」カテゴリの最新記事