おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

グラントハイツ・啓志線

2011-08-24 22:57:05 | 鉄道遺跡
 都営大江戸線の終着駅「光が丘」。初めておりたちました。地下から地上に出ると大きなショッピングモールや高層住宅、警察や郵便局、区民ホールなどが建ち並ぶ大きな街の装い。
 ここは、かつては「グラントハイツ」(中には、かつては陸軍の基地、敗戦後米軍に接収されて米軍の基地に。広大な敷地のイメージに関連させて「グランドハイツ」と呼ぶ人もいましたが)。中央には滑走路があった広大な基地でした。
 今は、まったくその面影を残していません。緑の木々の多い広大な公園と文教施設にあふれた地域になっています。
 さらに、ここへの交通手段として、東武東上線「上板橋」駅から分岐して「啓志線」がありました。途中、自衛隊練馬駐屯地を経由してここまで路線が延びていました。
 廃線になった後は、急速な宅地開発でまったくその痕跡は残されていません。田柄川の北側に沿って線路がありました。昭和時代の終わり頃までは、あちこちにまだ痕跡があったそうです。もし、その線路が残っていて運行されていたら、このあたりの交通事情も大きく変わっていたことでしょう。今は、大江戸線が大活躍です。
 田柄高校の正門付近がその線の終着駅だったとか。
このあたりがクラントハイツへの分岐線になっていたところ。
かつてのこの付近の雰囲気、畑が残されています。
田柄川。緑道になっています。この少し北側に啓志線が走っていました。
どういうわけか、恐竜(かわいい?場に添わない?)のモニュメント。
この直線が線路跡? 古い航空写真と見比べると、何となくそんな感じですが。
反対側から。まったく痕跡がないのが残念です。
 いくつかの廃線には、緑道として残したり、モニュメントがあるのですが。宅地開発でそういう余裕もなかったのか、また、基地に対する様々な思いがあったのか。
かつて、ほとんどが農地でした。旧家でしょうか、古い木々が生い茂っていて、昔を彷彿とさせるたたずまいです。
光が丘駅。直線に広い道が北に向かっています。滑走路があったところ。
公園へのプロムナード。子供連れや若者の姿が目立ちます。
 2,3日続いた「寒い」雨空も晴れて、東京地方も再び暑くなりそうです。

 

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