おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「十三夜」。10月27日(金)。「豆名月」・「栗名月」。月見団子・ススキ。樋口一葉『十三夜』。

2023-10-27 20:35:00 | 世間世界

今夜は、「十三夜」。少し欠けた月がきれいですが、スマホではうまく撮れないので、「ウェザーニュース」を拝借。

                              

十三夜とは、昔使っていた月の満ち欠けをもとに1か月の日付を決める太陰太陽暦(旧暦)の9月13日の夜を指し、この日に見える月は旧暦の8月15日(十五夜)に出る月(中秋の名月)と並ぶ名月とされています。

平安時代に中国から伝わったとされる十五夜の月を愛でる風習とは異なり、十三夜の少し欠けた月を愛でる風習は日本独特のものと言われています。

ではなぜ、満月でもない十三夜にお月見をする風習が日本で始まったのでしょうか?

これに関しては諸説あるものの、延喜(えんぎ)19年9月13日 (現在の暦では919年10月9日)に、当時の法皇が催した月の宴がきっかけとなったというのが、最も有力な説とされています。

また、十三夜の月は、十五夜の月(中秋の名月)とセットで呼ばれることも多く、旧暦8月の十五夜の月を「前の月」、9月の十三夜の月を「後(のち)の月」と呼んだり、2つの月を合わせて「二夜(ふたよ)の月」と呼ぶこともあります。

そして、片方しかお月見を行わないことは「片見月(かたみづき)」と呼ばれ、縁起の悪いものとされています。

(この項、「ウェザーニュース」HPより)

十三夜には、別の言い方があります。この時期は、栗や豆が収穫できる時期であり、旬のものをお供えしてお月見をしたことから「豆名月(まめめいげつ)」「栗名月(くりめいげつ)」と呼ばれます。十五夜の「芋名月」が、芋を収穫しお供えしたことから名づけられたのと同じですね。

また、十五夜に次いで美しく、十五夜の後に巡ってくるので、「後(のち)の月」とも呼ばれます。

お月見では、秋の収穫に感謝するため、収穫物をお月様にお供えします。お供えしたものは、必ず美味しくいただきましょう。神様との結びつきが強くなると考えられています。十五夜に対して十三夜の月見を「後の月見」と言います。

「後の月見」に何を準備して、楽しみましょうか? まずは、月見団子。十三夜の場合は、13個のお団子を用意し、1段目に9個、2段目に4個並べます。月見団子は、お月様から見えるところもしくは、床の間にお供えしましょう。合わせて、収穫された旬の果物や野菜をお供えし、秋の実りに感謝します。旬を迎える栗やブドウと言った果物がおすすめです。名前の由来にもなっている枝豆、大豆をお供えするのも良いでしょう。

そして、収穫物と共に、ススキを飾ります。ススキの鋭い切り口は、魔除けになる。茎の内部が空洞のため、神様の宿り場になると信じられていたため、古くから神様の依り代(よりしろ)と考えられていました。悪霊や災いなどから収穫物を守り、翌年の豊作を願う意味が込められています。

(この項、「Oggi.jpおしゃれもキャリアも。働く女性のWebメディア」HPより)

※樋口一葉『十三夜』を紹介します。

《貧しい士族斉藤主計の娘お関は、官吏原田勇に望まれて七年前に結婚したが、勇は冷酷無情なのに耐えかねてある夜、無心に眠る幼い太郎に切ない別れを告げて、無断で実家に帰る。おりしも十三夜、》

・・・ほんに/\手が懸つて成ませぬ、何故彼樣で御座りませうと言ひかけて思ひ出しの涙むねの中に漲るやうに、思ひ切つて置いては來たれど今頃は目を覺して母さん母さんと婢女をんなどもを迷惑がらせ、煎餅おせんやおこしの※(「口+多」、第3水準1-15-2)たらしも利かで、皆々手を引いて鬼に喰はすとおどかしてゞも居やう、あゝ可愛さうな事をと聲たてゝも泣きたきを、さしも兩親ふたおやの機嫌よげなるに言ひ出かねて、烟にまぎらす烟草二三服、空咳こん/\として涙を襦袢の袖にかくしぬ。

今宵は舊暦の十三夜、舊弊なれどお月見の眞似事に團子をこしらへてお月樣にお備へ申せし、これはお前も好物なれば少々なりとも亥之助に持たせて上やうと思ふたけれど、亥之助も何か極りを惡がつて其樣な物はお止よしなされと言ふし、十五夜にあげなんだから片月見に成つても惡るし、喰べさせたいと思ひながら思ふばかりで上る事が出來なんだに、今夜來て呉れるとは夢の樣な、ほんに心が屆いたのであらう、自宅うちで甘い物はいくらも喰べやうけれど親のこしらいたは又別物、奧樣氣を取すてゝ今夜は昔しのお關になつて、外見みえを構はず豆なり栗なり氣に入つたを喰べて見せてお呉れ、いつでも父樣と噂すること、出世は出世に相違なく、人の見る目も立派なほど、お位の宜い方々や御身分のある奧樣がたとの御交際おつきあひもして、兎も角も原田の妻と名告なのつて通るには氣骨の折れる事もあらう、女子をんなどもの使ひやう出入りの者の行渡り、人の上に立つものは夫れ丈に苦勞が多く、里方が此樣な身柄では猶更のこと人に侮られぬやうの心懸けもしなければ成るまじ、夫れを種々さま/″\に思ふて見ると父さんだとて私だとて孫なり子なりの顏の見たいは當然あたりまへなれど、餘りうるさく出入りをしてはと控へられて、ほんに御門の前を通る事はありとも木綿着物に毛繻子の洋傘かうもりさした時には見す/\お二階の簾を見ながら、吁あゝお關は何をして居る事かと思ひやるばかり行過ぎて仕舞まする、實家でも少し何とか成つて居たならばお前の肩身も廣からうし、同じくでも少しは息のつけやう物を、何を云ふにも此通り、お月見の團子をあげやうにも重箱おぢうからしてお恥かしいでは無からうか、ほんにお前の心遣ひが思はれると嬉しき中にも思ふまゝの通路が叶はねば、愚痴の一トつかみ賤しき身分を情なげに言はれて、本當に私は親不孝だと思ひまする、それは成程和やはらかひ衣服きものきて手車に乘りあるく時は立派らしくも見えませうけれど、父さんや母さんに斯うして上やうと思ふ事も出來ず、いはゞ自分の皮一重、寧そ賃仕事してもお傍で暮した方が餘つぽど快よう御座いますと言ひ出すに、馬鹿、馬鹿、其樣な事を假にも言ふてはならぬ、嫁に行つた身が實家さとの親の貢をするなどゝ思ひも寄らぬこと、家に居る時は齋藤の娘、嫁入つては原田の奧方ではないか、勇さんの氣に入る樣にして家の内を納めてさへ行けば何の子細は無い、骨が折れるからとて夫れ丈の運のある身ならば堪へられぬ事は無い筈、女などゝ言ふ者は何うも愚痴で、お袋などが詰らぬ事を言ひ出すから困り切る、いや何うも團子を喰べさせる事が出來ぬとて一日大立腹であつた、大分熱心で調製こしらへたものと見えるから十分に喰べて安心させて遣つて呉れ、餘程甘うまからうぞと父親の滑稽おどけを入れるに、再び言ひそびれて御馳走の栗枝豆ありがたく頂戴をなしぬ。

※太字:「十三夜」にちなんだもの。

《両親を見て言い出しかねていたが、あやしむ父に促されて経緯を話し、離縁をと哀願する。父は、お関に因果を含め、ねんごろに説きさとす。お関もついにはすべて運命とあきらめ、力なく夫の家に帰る。》

《その途中乗った車屋はなんと幼なじみの高坂録之助。話を聞けば、自分のために自暴自棄、妻子を捨てて落ちぶれた暮らしをしている。そのひとを今、目の前にして、万感、胸に迫る思いで、無限の悲しみを抱いたまま、彼とも別れ、帰って行く。》

男はうす淋しき顏に笑みを浮べて貴孃といふ事も知りませぬので、飛んだ我まゝの不調法、さ、お乘りなされ、お供しまする、さぞ不意でお驚きなさりましたろう、車を挽くと言ふも名ばかり、何が樂しみに轅棒かぢぼうをにぎつて、何が望みに牛馬の眞似をする、錢が貰へたら嬉しいか、酒が呑まれたら愉快なか、考へれば何も彼も悉皆しつかい厭やで、お客樣を乘せやうが空車からの時だらうが嫌やとなると用捨なく嫌やに成まする、呆れはてる我まゝ男、愛想が盡きるでは有りませぬか、さ、お乘りなされ、お供をしますと進められて、あれ知らぬ中は仕方もなし、知つて其車それに乘れます物か、夫れでも此樣な淋しい處を一人ゆくは心細いほどに、廣小路へ出るまで唯道づれに成つて下され、話しながら行ませうとてお關は小褄少し引あげて、ぬり下駄のおと是れも淋しげなり。
 昔の友といふ中にもこれは忘られぬ由縁ゆかりのある人、小川町の高坂とて小奇麗な烟草屋の一人息子、今は此樣に色も黒く見られぬ男になつては居れども、世にある頃の唐棧たうざんぞろひに小氣こきの利いた前だれがけ、お世辭も上手、愛敬もありて、年の行かぬやうにも無い、父親の居た時よりは却つて店が賑やかなと評判された利口らしい人の、さても/\の替り樣、我身が嫁入りの噂聞えそめた頃から、やけ遊びの底ぬけ騷ぎ、高坂の息子は丸で人間が變つたやうな、魔でもさしたか、祟りでもあるか、よもや只事では無いと其頃に聞きしが、今宵見れば如何にも淺ましい身の有樣、木賃泊りに居なさんすやうに成らうとは思ひも寄らぬ、私は此人に思はれて、十二の年より十七まで明暮れ顏を合せるたびに行々は彼の店の彼處へ座つて新聞見ながら商ひするのと思ふても居たれど、量らぬ人に縁の定まり、親々の言ふ事なれば何の異存を入れられやう、烟草やの録さんにはと思へどそれはほんの子供ごゝろ、先方さきからも口へ出して言ふた事はなし、此方は猶さら、これは取とまらぬ夢の樣な戀なるを、思ひ切つて仕舞へ、思ひ切つて仕舞へ、あきらめて仕舞うと心を定めて、今の原田へ嫁入りの事には成つたれど、其際までも涙がこぼれて忘れかねた人、私が思ふほどは此人も思ふて、夫れ故の身の破滅かも知れぬ物を、我が此樣な丸髷などに、取濟したる樣な姿をいかばかり面にくゝ思はれるであらう、夢さらさうした樂しらしい身ではなけれどもと阿關は振かへつて録之助を見やるに、何を思ふか茫然とせし顏つき、時たま逢ひし阿關に向つて左のみは嬉しき樣子も見えざりき。
 廣小路に出れば車もあり、阿關は紙入れより紙幣いくらか取出して小菊こぎくの紙にしほらしく包みて、録さんこれは誠に失禮なれど鼻紙なりとも買つて下され、久し振でお目にかゝつて何か申たい事は澤山たんとあるやうなれど口へ出ませぬは察して下され、では私は御別れに致します、隨分からだを厭ふて煩らはぬ樣に、伯母さんをも早く安心させておあげなさりまし、蔭ながら私も祈ります、何うぞ以前の録さんにお成りなされて、お立派にお店をお開きに成ります處を見せて下され、左樣ならばと挨拶すれば録之助は紙づゝみを頂いて、お辭儀申す筈なれど貴孃のお手より下されたのなれば、あり難く頂戴して思ひ出にしまする、お別れ申すが惜しいと言つても是れが夢ならば仕方のない事、さ、お出なされ、私も歸ります、更けては路が淋しう御座りますぞとて空車引いてうしろ向く、其人それは東へ、此人これは南へ、大路の柳月のかげになびいて力なささうの塗り下駄のおと、村田の二階も原田の奧も憂きはお互ひの世におもふ事多し。

(明治二十八年十二月「文藝倶樂部」臨時増刊 閨秀小説)

(「青空文庫」より)

                       樋口一葉。


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