右手に「久慈川」が近づいてきます。
「中舟生(なかふにゅう)駅」。
茨城県常陸大宮市舟生字堂下にある。ホーム上にドアのない待合所があるのみ。
彼岸花(曼殊沙華)。
「久慈川」が右手に。
左に見える橋は、沈下橋の「平山橋」。
※沈下橋(「地獄橋」とも呼ばれている):欄干がなく、水流が増えた場合、川に沈むことにより橋が流れることを防いでいる。
「下小川駅」。
2004年、駅舎コンパクト化が鉄道建築協会賞(推薦)を受賞。
「久慈川」を渡る。
「西金(さいがね)駅」。
水郡線の建設に際して、当初は西金に駅が建設される計画であった。しかし1921年(大正10年)に測量作業が開始された折、駅の建設予定が地元に漏れてしまい、西金の前後である現在の上小川駅及び下小川駅の周辺住民が測量技師に対して激しい運動を行ったため、この双方に駅を建設して西金には駅を建設しないことになってしまった。後にその事実を知った西金の住民が激怒し、西金駅設置のための激しい運動を繰り広げるようになった。さらに、駅が建設されないのであれば鉄道を通す必要もないと、線路の敷地の売却を拒む運動まで始まったため、鉄道を通す必要はないと判断した鉄道省は測量を中断してしまい、常陸大子駅の周辺住民と争議になった。最終的に、憲政会の加藤高明内閣の際に、地元の憲政会の議員大津淳一郎に対して運動を行って、地元から停車場設置費用を寄付する条件で1925年(大正14年)7月3日に駅の増設が決定した。
建設にあたっては、県道(現在の国道118号)の敷地を駅に転用することになり、そのために県道を移設する先として畑24歩、水田7畝15歩が買収された。これを含めて、地元西金からの労役奉仕延べ2,662人役、他村からの労役奉仕294人役、寄付金3,448円を負担し、鉄道の開通に遅れること8か月後の1926年(大正15年)3月21日に駅が開業した。
駅舎の前には、1957年(昭和32年)4月建立の「水郡線西金駅増設記念之碑」と、1961年(昭和36年)8月建立の「感謝の碑」が建てられている。「水郡線西金駅増設記念之碑」は、西金駅増設運動に関わった小室順太郎が私費で建立したもので、大津淳一郎の功績と西金の住民の努力が称えられている。・・・
(この項「Wikipedia」参照)
左右に屈曲する久慈川。
「上小川駅」。
公民館と役場の出張所を併設した木造の駅舎。
※「下小川駅」と「上小川駅」との中間に「西金駅」があることになります。