おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

鶴川宿~野田尻宿~犬目宿~上下鳥沢宿~猿橋宿。その6。(「甲州街道」をゆく。第5日目。)

2017-06-05 20:15:57 | 甲州街道

 「鳥沢宿」に向かって進みます。
古びた案内図。

「扇山」への道標。

 かつての甲州街道は今まで来た印象でも、現在のように車道となって曲がりくねっている道ではなく、尾根道をもっと直線的に進んでいたと思われます。この付近は特に標高が高く、富士山などの周囲の景観ももっとすばらしかったでしょう(足下はかなり悪いと思いますが)。
 地元の方々によって古道が復活されているところがしばしば見られます。しかし、荒廃している箇所もあるようで、一般の街道歩きでは現在の甲州街道・車道を歩くことが安全で確かなのかもしれません。景色は今ひとつ物足りませんが。

右手上に、茅葺き屋根のおうち。「瀧松苑」という蕎麦屋さんでしたが、現在は廃業?


旧道のようです。


        

 「君恋温泉」を経由して行く道のようでしたが、「君恋温泉」はすでに廃業しています。


(12:35)県道をそのまま進むと、正面に「恋塚一里塚」が見えて来ます。



恋塚一里塚
 この一里塚は、江戸時代、甲州街道に1里(約4㎞)ごとに築かれた塚の一つで、江戸日本橋から21番21里にあたります。
 塚は原形をよく残しており、直径約12㍍、高さ約5㍍の円丘です。昔は街道を挟んで北側にもありました。
 もともと付近は峰続きでしたが、旧街道を造る時に堀割にしたため、道の両側に小高い場所ができました。この地形を利用して一里塚が築かれたものと考えられています。
 ・・・平成18年、大雨によって塚の西側斜面が崩れたため復旧工事を行いました。
・・・
           平成23年9月           山梨県教育委員会 上野原市教育委員会

 

振り返って望む。

カーブを曲がり、赤い鳥居のところを右に入って行きます。「馬宿」の集落。


              

その先に江戸時代の甲州街道・石畳が残っています。

枯れ葉に覆われた石畳道が40㍍ほど。

  

すぐ県道に出てしまいます。

左手が開けてくるので、富士山に期待が。

大月市に入ります。



                           

右手の高台に石仏と祠。

右側も開けてきます。山里風景。

しばらくすると山谷の集落に入って、どんどん下って行きます。旧道は途中、右に入る坂道を下って行くようでしたが、その入り口に気が付かず、そのまま県道を右に左にカーブしながら進みました。次の集落「中野」に向かいます。


               

小さな川を越えると中野の集落。

中野を過ぎると、目の前に中央道の高い橋脚が見えてきます。


中央道の高架下を進みます。

                  

しばらく進むと、「国道20号線」と合流。今回の出発地「上野原宿」以来、久々の国道(現「甲州街道」)との再会です。


             

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