おやじのつぶやき

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なせばなる。ナセルはアラブの大統領

2011-02-06 21:43:09 | つぶやき
エジプト野党足並みに乱れ、ムスリム同胞団も政権側と協議へ(トムソンロイター) - goo ニュース
 エジプトの争乱。とっさに思い出してつぶやいてみたのが「なせばなる。ナセルはアラブの大統領」だった。が、かみさんも娘も一体何のこと?という風情。ちょっと不謹慎じゃないかという表情まで。
 1950年代の英雄だったのが、アラブのナセル(ナーセル)大統領。そこではやっていたのが、小学生のころの戯れ言。
 エジプトの現代史では、反英闘争と52年の軍事クーデターを主導し、アラブ民族主義を掲げたナセル大統領と、イスラエルと電撃的な和解を果たし親米路線にかじを切ったサダト大統領という2人の「英雄」が燦然(さんぜん)と輝きを放っている、という。
 エジプトのナセル大統領。インドのネールやインドネシアのスカルノと並んで、50年代には第三世界のヒーローだった。彼は52年の自由将校団によるクーデターを経て54年に政権を握ると、ナイル川にアスワン・ハイ・ダムを建設して砂漠を農地に変えようと計画。ナセルの中立外交に反発したアメリカやイギリスはダム建設の援助を破棄する。ナセルは56年、植民地時代から英仏資本の会社が運営していたスエズ運河を国有化して、その通行料収入で建設費を賄おうとした。英仏両国はエジプトに侵攻。国際世論の大反発を受け、エジプトから撤退。このスエズ動乱でアラブにおけるナセルの名声は不動のものとなり、ダムもソ連の援助を受けて完成させた。
 「スエズ動乱」を契機に、シリアと統合することを決め、58年にアラブ連合共和国を結成。こうしてエジプトはエジプト州、シリアはシリア州になったが、政府や軍の幹部でシリア出身者が更迭され、エジプト人の登用が増えるとシリア州では反ナセルの声が高まり、ついにクーデターが発生してアラブ連合共和国からの離脱を宣言。統一アラブを掲げた新国家はわずか3年で破局した。
 ナセルは1963年4月に再びエジプトとシリア、さらにバース党が政権を握ったイラクも加えて「アラブ連合共和国連邦」の結成を宣言する。もっともこの時はシリアとイラクのバース党同士が手を結び、主導権をエジプトに渡すまいとしたので、正式発足する前にナセルは結成を取り消した。
 1970(昭和45)年、ヨルダン内戦の仲裁や北イエメン内戦への軍事介入を行うなど多忙をきわめる中で、ナーセルは心臓発作で急死した。まだ52歳の若さだった。後を引き継いだサダト大統領は、翌年今度はエジプトと再びシリア、そしてリビアとも組んで「アラブ共和国連邦」を成立させる。この連邦はイスラエル包囲網を結成するために作ったもの。73年にエジプトとシリアは、第三次中東戦争(67年)でイスラエルに奪われた領土(シナイ半島とゴラン高原)を奪還すべくイスラエルに奇襲を仕掛けるが失敗、アラブ共和国連邦は77年にリビアとエジプトが対立して消滅した。
 エジプトは、78年にイスラエルと和平協定を結んでシナイ半島が返還されるが、アラブ諸国から大ひんしゅくをかい、サダト大統領は暗殺されてしまう。
 その後を接いだのが、今の大統領。という歴史。そして、現在の争乱状態。
 どうエジプトが変わっていくのか?
 他人事で不謹慎だが、こうみると、あながち「なせばなる」云々は、当たらずとも遠からずの「迷」言のような気がする。

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